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許せることは許したい

最近、友人と

そうであってもいいけど
そうじゃなくてもいいよね

と よく話をする

ま 結局 私たちは自分のことは
決めるのだけど

地上のルールに沿って
そうである方にいかなくちゃいけない
理由もないし
逆も 然り ということだ

自分が決める だけ

私は幼稚園の頃
自分の誕生日会を当日思い立ち
幼稚園でお友だちを誘い
たぶん 土曜日だったのだと思う
帰宅してお昼ごはんを食べたら
4.5人のお友だちがプレゼントを持って
やって来た

という、何も知らない母と祖母からしたら
プチパニック的な
イベントをしたことがある。

後で叱られたかどうかは覚えてないが

大人を困らせてはいけない

ということが 
強烈に意識に入った出来事
無意識に悪いことをする自分の恐ろしさ
ということが入ったのかもしれない

今日 なんとなく その頃の
自分の罪悪感がポロポロと崩れ始めている

何が悪かったのだろう?

私は大人の調和がわからなかっただけだ

そして、ちょっとしたハプニング入りの
調和にしただけだ

どうで在っても良かったのだ

それを言い出したら何でもそう

なのかもしれない

でも 今のわたしは
自分が心地悪くならないように
創造にエネルギーを使う生活をしている

空気を読まなくても

人間は万能 が前提に在る


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