外国の人と接する
マスクの装着が個人の判断に委ねられ、海外からの入国規制も緩和され、アフターコロナが日常になりつつあります。人との交流もオフラインでのやり取りが増えてくると思います。そうした中で、外国の人と接する機会もまた一層多くなるのではないでしょうか。
私は、学生の頃に韓国留学したり、社会人になり中国で働いていたりしていましたが、外国の人と接する上で思ったことがあります。
○外国語で話すこと自体に労力がいる
一生懸命覚え、話したいことを頑張って外国語で話すのは相当に労力がいるものです。なので、その内容そのものを否定されたときの無力感や寂しさは、言い様がないほどです。発音がどうとか、文法がどうとかは、指摘されたら「ありがとう」ですが、ハナから聴く耳をもたれなかったり、受け入れてもらえなかったときは、日本人どうしのやり取りで否定されるより、遥かにショックが大きいのです。
○ 外国人が日本語を話すときも労力がいる
日本人は「○○人は、こういう連中」とか「日本のやり方はこうなのに、外国はおかしい」と言う人が多いように感じます。そうした言い方は相手を絶望させます。
中国で働いていたとき中国人の友人が言った言葉が今も心に残っています。
「相手の靴を履いて歩いてみる」
相手の靴は自分とはサイズや履き心地が違いますから、気持ち悪いですよね。それでもその違いを受け入れて歩こうという気持ちがないと外国の人とうまくやっていくのは非常に難しい。
日本にいる外国の人と接する中で、日本語が変だったり、癇に障るようなこと、強引に思えること、これまでの自分の価値基準や判断軸にないようなことに出くわすことは、たくさんあると思います。しかし、そういう時に一度、「相手の靴を履いて歩いてみる」ことです。彼らは縁あって日本に来て日本語を一生懸命話そうとしているということを、理解し、その上でこちらの思いも、遠慮せずオープンに、遠回しにせず直接伝えればいいと思います。お互い人間どうし。基本的な部分は一緒なのですから、そうした葛藤を乗り越えて気持ちが通じたときは、逆に感動も大きいのです。
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