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教学を知らずに聖者となった、スンルン・サヤドー

 通常、テーラワーダ仏教の修行においては、教法(pariyatti)と実践(paṭipatti)との双方を学び修めることが重要であるといわれる。
 
 だが、一九世紀から二〇世紀の初頭にかけて、ミャンマーで活躍したテーラワーダ仏教の僧侶、スンルン・サヤドーは、ほとんど仏法の知識がないまま、ただ実践のみで最後の阿羅漢果にまで達したという稀有な例の持ち主だ。

「必ずしも仏教の勉強が達者でなくても、偉大な聖者となれる」
という意味で、現在でもスンルン・サヤドーは多くのミャンマー人仏教修行者の励みとなる存在となっている。

 今回は、そのスンルン・サヤドー(Sunlun Sayadaw)について、紹介をしてみたいと思う。 

スンルン・サヤドーの略歴


 スンルン・サヤドーは、ミャンマー中央部、マンダレー管区ミンジャン群にある、スンルン村の僧院の僧院長をしていたため、そのように呼ばれるようになった。また、「サヤドー」というのも人名ではなく、ミャンマー語で「尊師」「大先生」を意味するものである。言い換えるなら、「スンルン村の尊師」という意味の呼称である。
 
 彼の俗名は、ウ・チョー・ディンといった。一八七八年、ミンジャン群に生まれる。当時の多くのミャンマーの子どもたちがそうするように、幼い頃は僧院内にある学校に通ったが、勉強は大の苦手であったという。そんなこともあってか、十五歳になると、ミンジャン県の県知事事務所の小間使いの仕事を得、自立をする。
 
 生活が安定してきたウ・チョー・ディンは、同じ村に住む娘、マ・シュエイーと出会い、結婚をすることにする。そうして、しばらくは平穏な日々が続いたが、三十歳のとき、県知事事務所の職を辞し、実家に戻り家業の農業を継いだ。
 
 幸いなことに、ウ・チョー・ディンの畑は毎年豊かな実りをもたらし、やがて、彼は村の中ではちょっとした富農の部類に入るようになっていた。特別な工夫をこらしているのではないのだが、周囲の畑が不作の年でも、ウ・チョー・ディンの畑はきまって豊作なのである。
 
 一九一九年のことであった。村では疫病が流行り、不吉な雰囲気が周囲を満たしていたが、それにもかかわらず、ウ・チョー・ディンの畑はまたしても豊作なのであった。ミャンマーには、古くからこのような言い伝えがある。

「ある人の財産が急に増えたのなら、その人は間もなく死ぬであろう」
この言い伝えを思い出したウ・チョー・ディンは不安になり、占星術師に相談をすることにした。占い師は彼に言った。

「まもなく、二本足の生き物がこの家を去っていくであろう」
この言葉は、ウ・チョー・ディンにとって、自らの死を宣告されているのに等しかった。

仏教瞑想との出会い


 占い師の言葉を聞いたウ・チョー・ディンは、大変な恐怖に囚われた。
「このまま何もしなければ、自分は死ぬ」
という思いに取りつかれた彼は、何とかして事態を打開しようと思いを巡らせた。そして、何か大きな布施行為をすれば、この自分の死すべき運命を変えられるのではないかと思いついた。ウ・チョー・ディンは、さっそく、このアイディアを実行に移した。自宅の前に短期間のうちに簡素な小屋を建築し、村の人々に三日間の間、ごちそうを振る舞った。彼が、富農であったからこそできた布施行為である。
 
 そうした宴が続いた三日目の日、見知らぬ織物工場の従業員が宴の場に訪れた。そして、宴席で、彼は周囲の人々とアーナパーナ・サティについて会話をし始めた。この「アーナパーナ・サティ」という言葉を初めて聞いたウ・チョー・ディンは、理由は分からないが、大きく心を動かされた。なぜだか分からないが強く興奮をした彼は、その晩、眠ることができなかった。
 
 明朝、やはりどうしてもその「アーナパーナ・サティ」というものを実践してみたいと思ったウ・チョー・ディンは、織物工場の従業員のところへ行って尋ねた。従業員の家に行く道中、彼の心の中に不安がよぎった。
「自分には、まったく仏教の知識が無い。子どもの頃、僧院に併設されていた学校に通っていた時も劣等生で、勉強はからっきしだった。こんな俺でも、その『アーナパーナ・サティ』とやらの修行ができるのだろうか?」
そうした不安を抱きながら従業員に質問をしてみると、
「アーナパーナ・サティの修行には、特別な教学上の知識は必要ありません。むしろ、熱心さと精進が重要でしょうね」
という答えが返ってきた。
 
 織物工場の従業員から、アーナパーナ・サティの実践方法を聞いたウ・チョー・ディンは、それから時間があるときはいつでも、それを実践した。アーナパーナ・サティとは、自らの入息・出息に気づく瞑想法のことである。最初は、単に入息・出息だけを観察していた彼だったが、後にある人物から鼻孔の先に触れる感覚を観察するのがよいというアドバイスを受け、息が肌に触れる感覚を観察するようになった。
 
 ウ・チョー・ディンの必死の実践は続いた。やがて、彼は呼吸が鼻孔に触れるのに気づくだけでなく、手が物に触れる感覚、農作業をする際に鎌でトウモロコシなどの穂を刈るときの刃が触れる感覚、水汲みをするときに、井戸のロープに触れる感覚、歩くときに地面に足の裏が触れる感覚など、あらゆる「触れる」感覚に気づくようにした。そして、牛の番をするときなど、一見して何もしていないようなときには、木の下に座り、アーナパーナ・サティを実践していた。
 
 やがて、ウ・チョー・ディンはアーナパーナ・サティの実践を続けていくうちに、色のついた光や、幾何学的なパターンを見始めるようになった(アーナパーナ・サティは、通常閉眼でおこなう)。教学に疎い彼は、それが何を意味するのか、さっぱり分からなかったが、何かしら自分の修行が進歩しているのだろう、と結論づけた。この成果に彼は大いに発奮し、よりせっせと実践を続けた。
 
 しかし、こうして熱心に修行をつづけていくと、ウ・チョー・ディンは突然、猛烈な不快感に襲われることもあった。けれども、ウ・チョー・ディンはそのことによって実践を止めることはなく、むしろ、これも何らかの修行の成果なのだろうと解釈した。これは何らかの試練であり、もし、自分が今以上の修行の進歩を望むなら、打ち勝たなければならないものであると結論づけたのである。彼はより厳密に気づきの瞑想を実践することにし、そして、彼が考えた通り、不愉快な感覚はやがて消え去り、瞑想修行の階梯は、より高いステージへと突入していった。

ついに悟りを開く


 こうした凄まじい努力の結果、ウ・チョー・ディンは一九二〇年の七月、ついに悟りの第一段階の階梯である預流果に達した。彼は、その結果に安住せず、その後も弛むことなく努力をし、九月には一来果に、そして十月には不還果に達したと言われている。
 
 ここまでの悟りの段階に達してしまうと、在家の生活を続けるのは難しい。ウ・チョー・ディンは出家を決意し、その気持ちを妻に伝えた。だが、彼の妻は夫の出家に大反対をし、絶対に認めないという。粘り強い説得の結果、最後に畑仕事をしてからなら、出家をしてもよいという返事を得た。最後の畑仕事を終えると、ウ・チョー・ディンの心の内に、強烈な厭離の念が芽生えた。一刻もはやく出家をしたいと思った彼は、畑仕事に使っていた牛をその場で解き放ち、家に帰ることなく、その足で村にある僧院へと向かった。
 
 村の僧院で沙弥として無事出家をすると、ウ・チョー・ディンは独りで瞑想に専念するために、近くの渓谷にある洞穴へと向かった。十一月のある晩、瞑想にうちこんでいたウ・チョー・ディンは、ついに悟りの最後の階梯である阿羅漢果に達した。こうしてウ・チョー・ディンは、スンルン・サヤドーとなったのである。

ミャンマー全土の学僧たちからの挑戦


 翌一九二一年、スンルン・サヤドーは沙弥から正式に比丘として出家をする。既に阿羅漢となっているスンルン・サヤドーは堂々とした風格を持っており、とても新米比丘には見えなかった。そこで周囲からすぐに
「もしかして、阿羅漢なのでは?」
という噂が広まり、その真偽を確かめようと、ミャンマー全土からスンルン・サヤドーが安居している僧院に僧侶たちが集まってきた。
 
 スンルン・サヤドーは生い立ちの部分でも書いたように、初等教育も十分に終えていない程度の教養しかなく、四〇歳を過ぎているとはいえ、比丘としては一年生である。そのスンルン・サヤドーに対して、ミャンマー中から名立たる学僧たちが、その悟りの境地を試しにやってきた。
 
 学僧たちは、経典に書いてある中から、ありとあらゆる質問をスンルン・サヤドーに対して投げかけた。すると、スンルン・サヤドーはまったく教学を学んだことがないにもかかわらず、そのほとんどの問いに対して正しい答えを返してきた。だが、中には学僧たちにとって、疑問の残る回答もあった。そこで、学僧たちが実際に経典や注釈書(アッタカター)に当たってみると、実にみごとにスンルン・サヤドーの答えが正しいものであるということが分かった。最後には、彼の悟りの境地に疑問を持つ学僧はいなくなり、スンルン・サヤドーは阿羅漢に違いないという評判はますます確かなものとなった。
 
 こうして名声が高まったスンルン・サヤドーの元には、多くの人々がその下で学びたいと集まってきた。そんな弟子たちに対して、スンルン・サヤドーの指導は、素朴で、誠実感溢れるものだったという。彼は長い間農夫をしていただけあり、がっしりとした体躯を誇っていた。決して、学者肌ではないが、残された写真からは悟った人物に特有の智慧の光に満たされた眼差しを感じさせる。

堂々たる体躯のスンルン・サヤドー。
写真出典:http://www.sunlun-meditation.net/

 そうして集まってきた弟子たちに、スンルン・サヤドーは精力的に指導をし、中にはその導きもあって悟りを開いた者もいたといわれている。こうして、約三〇年間後進の指導に尽くしたスンルン・サヤドーであったが、一九五二年、周囲の皆に惜しまれつつ、般涅槃をし、この世を去った。

スンルン式瞑想の特徴
 

 スンルン・サヤドーは多くの優秀な弟子たちを育てたため、スンルン式の瞑想をおこなう僧院とその分院はミャンマー中に多く存在している。その中でも代表的なものは、旧首都であるヤンゴンにある、スンルン・ヴィパッサナー瞑想センターであろう。現在の僧院長は、ウ・ワラ・サヤドーが務めている。
 
 スンルン式の瞑想にはいくつかの特徴がある。その第一のものとして、アーナパーナ・サティをおこなうとき、非常に強く入息・出息をおこなうというものがある。テーラワーダ仏教の伝統的な修行法では、呼吸は自然のままに任せるのが普通なので、これはかなりユニークな指導方法であるといえる。また、そのためにスンルン式のアーナパーナ・サティは伝統的な行法に基づいていないと批判をする一部の長老たちも存在する。
 
 スンルン式の瞑想の第二の特徴は、座る瞑想を長時間行うことである。一回の座る瞑想の長さは2時間から、3時間に及ぶこともある。そのうち、最初の四十五分間はアーナパーナ・サティを実践し、残りの時間は身体の感覚を観察するというのがスンルン式瞑想の特徴だ。
 
 この2時間から3時間の座り瞑想というのは、他の流派と比べても極めて長いものである。日本の曹洞宗の坐禅では、一炷(一回の坐禅)四〇分というのが通常である。その後、経行を数十分程度行い、足の筋肉のほぐし、血行の改善をおこなってから、再び坐禅に戻る。また、ミャンマーの瞑想法でも、この連載の第一回に登場したマハーシ式の瞑想では、座っておこなう瞑想を一時間、歩く瞑想を一時間と、交互におこなう。連載第三回に登場したパオ・サヤドーは座る瞑想は約九〇分。歩く瞑想は任意でといった風に、流派によってかなりの開きがある。ただし、このスンルン式の2~3時間というのは、中でもとりわけ長いと言えるであろう。

なぜ瞑想法がユニークなのか


 第一のアーナパーナ・サティを実践する際に、強く息をすることへのスンルン式瞑想の指導者の反論はこうである。強い呼吸に集中することによって、修行者は眠気に打ち勝つことができる。また、心が散乱することも防ぐことができる。これら二つは瞑想の二大障害であって、これを防ぐことのできるメリットは大きい。また、2~3時間にも及ぶ座った姿勢での瞑想は足に大変な苦痛をもたらすが、強い呼吸に集中することによって、その苦痛を忘れることができるという。
 
 また、第二の2~3時間に及ぶ座る瞑想も、足の痛みに直面するため、意図的に行っているものだという。足の強烈な痛みに直面した修行者は、その激痛を忘れるため、必死に強い息のアーナパーナ・サティに集中する。その行為に集中することによって、思考を止め、禅定(サマーディ)に入れるというわけである。
 
 そのようにして養われた強大な禅定力によって、速やかに解脱へと導かれる。これが、スンルン式瞑想の指導者たちの主張であるが、果たしてこの修行法は妥当なものであろうか。
 自分に合った瞑想法を見つけることが重要なことだか、長時間座る瞑想についてアチャン・チャーはこのようなコメントを寄せている。

――非常に長い時間、座る瞑想をおこなう必要があるのでしょうか?
 
チャー いいや、ぶっ続けで何時間も座る瞑想をする必要はない。世の中には、より長く座る瞑想ができるほど、賢い人間なのだと思っている人々もいる。じゃが、わしは鶏たちが自分の巣に何日間もずっと座り続けているのを見たことがある。智慧とは、あらゆる体勢のときであっても気づきを保つことから生まれるものじゃ。おまえさんの修行は、朝起きると同時に始まり、眠りにつくその瞬間まで続くべきものじゃ。どれくらい長く座れるかなどということは、気にせんでいい。大切なのは、歩いているときであろうと、座っているときであろうと、便所へ行くときであろうと、気づきを保つことだけなんじゃ。

『手放す生き方』

  また、昭和の日本の曹洞宗において高名な坐禅指導者であった井上義衍老師は、坐禅の姿勢についてこうコメントしている。

 なかには、姿勢が悪いと坐禅にはならない、という人もある。そのようであったら、柱を真っ直ぐに造って、それにくくりつけておけばいい。そうしとけば、いつでも真っ直ぐになるわけです。それなら本当の悟りができるかというと、そのようなことはない。バカの骨頂ですね。姿勢がいいということは、それは立派なことだからいいですわね。それを非難するんじゃないです。そのように形を求めるところに、誤りがあるということです。

『井上義衍の無門関 上』

 このように長時間坐禅ができることと、その人物の悟境の深浅には何ら関係はないとする意見もある。いずれにせよ、瞑想修行に熱心に取り組んで、膝などを痛めてしまうなど自分の身体を壊してしまっては本末転倒である。無論、長年ヨガなどの修行を積んでおり、結跏趺坐を何時間でも組んでいられるような人は、長時間の座る瞑想に取り組んでも問題はないだろう。現在、スンルン式の瞑想を指導する瞑想指導者は日本にはいないようだが、読者諸賢がミャンマーのスンルン瞑想センターで修業をする際には、ぜひとも身体の無理のないように注意してほしいものである。

参考文献

西澤卓美『仏教先進国 ミャンマーのマインドフルネス』(サンガ、二〇一四年)
Kornfield, Jack, Living Dharma: Teachings and Meditation Instructions from Twelve Theravada Masters , Shambhala, 2010
 
Sun Lun Vipassana Meditation
http://www.sunlun-meditation.net/
 
 
初出:『宗教問題 10』

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