命の価値とは。

どうも梟です。2021~夏~

今回はこちらの事案に関してお話ししたいと思います。

事情を詳しく知らない方、上の記事を読むのが怠いという方向けに下記詳細

・「生活保護者」「ホームレス」を生かすなら「猫」を生かしたい
・「生活保護者」「ホームレス」の命は彼にとって些末なことである
・「命は平等っていうけど優劣はある」

って感じですね。(※多少端折ってます。)

皆さんは、これを聞いてどう思ったでしょうか。

私は、『よく言った。』と思いました。

何を隠そう、ワタクシは
「自分に価値のない命はどうでもいい教」の教祖なのです。

『私が価値を見出せない命・他人』の生死はどうでもいい。
という感じなので、今回の彼とおおよそ意見は一緒ですね。

まぁ、多少違うとしたら
『生活保護だろうが、ホームレスだろうが価値を見出したら大事』
これが彼にあるかどうかですね。

「何が違うの?」と思われる方もいるかもしれないので解説しますと。
現状のD氏が”世間から決めつけられている”のは「優生思想」
これは「優れた存在(遺伝子)を残し劣っている存在(遺伝子)は排除」
という思想です。

対して私の思想は、
「その人が優れていようがいまいが、私が価値を見出したら必要」
というイメージです。
つまり私の場合は、例えバカでも、不良でも、はたまた世間的に犯罪者でも
私が価値を見出した場合は必要
総理大臣でも、人間国宝でも、有名人でも、社長でも、
私が価値を見出せなければ不要
と言った形になります。

そのため、今回のD氏が
「生活保護とかに金出すなら猫に使った方が”僕”は価値がある」というような表現をしていた時に「よく言った」と思ったわけです。

まぁ、下記の記事の通り、世間からの「見当違いな叱責」を受け、
自分の言ったことも否定して謝罪した時点でD氏も無価値になりました。


それはさておき。

最初の「差別発言」と言われる事案に対して、
一般的な民衆からは下記の様な言葉が散見されます。

・D氏は「優生思想だ」けしからん
・命の価値に違いなんてない平等だ
・弱者を切り捨てる考えは非道

私はこういう事を簡単に言ってのける連中を単純に『偽善者』と呼びます。
特に「命の価値は平等」とのたまう人間は綺麗事に酔ってる愚か者です。

今日は本件でいくつか言いたいことからこのフレーズに触れたいと思います。

①命の価値は平等ではない。

誰が言い始めたか「命の価値は平等」
恐らく初発信はフィクションの世界だとは思うのですが、
最近の日本人(もしくは人間)の多数は脳内お花畑なので、
簡単にこのような綺麗事を吐いてはそれに酔いしれています。

ただ、それは全く真理ではない。

説明しましょう。
命と言うのは生きとし生けるものに「必ずあり」
「命の所持」は生物として平等です。

しかし、生まれた時点、又は生きて行く上でその価値は変動します。
例えばニワトリを例にあげましょう。

A「野生で生まれる」
B「畜産で生まれる」
C「ペットで生まれる」

果たして、彼らの命の価値は「平等」と言えるでしょうか?

Aであれば、
生まれながらにして自由、生きるも死ぬも自分の行動次第
但し、人間から見た場合、基本的に価値はありません。

Bであれば、生まれながらにして一定期間は基本的に生命の危機に瀕することなく、飢える事もなく安穏と生活できます。
但し、一定期間後、人間市場で一羽おおよそ千円前後の価値になります。

Cであれば、
基本的にエサに困ることなく、一定の生活環境を得て
運が良ければ天寿を全うする事ができ、場合によっては子孫も残せます。
但し、その一生を人間の庇護下に置かれ、肉体的価値は未知数です。

この様に、ニワトリだとしてもそれぞれ「命の価値」は変わるのです。

ここでひねくれ者が「ニワトリの話じゃねぇ、人間の話だろ」
なんていうかもしれないので、人間で例えましょう。

なに、本質は一緒です。
人間になるとA、B、Cで区分したものが更に多岐に渡るだけに過ぎません。

一部を取り上げて、しかも極端な話をして分かりやすくしましょう。
(※注:以下の例は解りやすくする為、あえて「優生思想寄り」の考え方で表現しています)

Aさんは、「コロナ終息のカギを握る学者」
Bさんは、「その辺で寝っ転がってるホームレス」

はい、コレで皆さんは
「どちらかを助ける選択をしてください。助けなかった方は死にます。」
と投げかけられた場合、どちらを選びますか?

よっぽど思考の壊れた方か、偽善者以外、「本心はAさん」だと思います。

何故かって、単純にAさんの方が価値があるからです。
Aさんは「生産性」という面のみならず、現在の難局である「コロナ」を打開する能力、知識、技術などを備えています。

かたやBさんはホームレスであり、特筆する事はありません。
「どちらかを助ける」という場面でAさんを選ぶことは至極真っ当な事なのです。

まだ「私は心からBさんを助けたい」と言える方は
是非私にその理由を教えていただきたい。
「なんとなく」とかその程度の理由ではなく、私が一理でも納得を得られる答えがあるなら是非ご教授願いたいものです。

まぁ、あるはずないですが。

さて、ここまで話した上で
まだ、自分に関係のないホームレスや生活保護者は「価値がある」と
明確な、具体的な理由付きで胸を張って言える方はいますか?
いたとしたら貴方は、おかしな宗教の教祖か、思考が壊れてらっしゃる。
病院に行くことをお勧めいたします。

②D氏の考え方は「優生思想」ではない。

人間と言うのは、人間に対して様々なバックボーンを考慮したり、
「可愛い」「カッコいい」「声が良い」「接しやすい」
「ダサい」「カッコ悪い」「ウザい」など瞬間的な印象で決めたりと、
要はその人の情報をくみ取ってその人の「価値」を決めます。

これ実は、僕が最初に言った
「自分に価値のない命はどうでもいい教」の考え方なんです。

そう、つまり
「普通の人間であれば『自分に価値のない命はどうでもいい教』で当然」
という事になります。

だからこそ、最初にD氏が言ったような「猫の方が大事」なんて
D氏の中で猫の方が価値が高いんだから至極当然の事なんですよね。

上でも少し触れましたが、そもそも「優生思想」とは

『身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。』

つまり、
「人間(遺伝子)として優れているものを残し、劣っているものを排除する」
作物の選別的なもんの事をいう訳ですね。

世のD氏批判をしている愚者の方々はここをはき違えている
「生活保護者に金出すなら猫に出したい」なんて考えは至極真っ当
優生思想とは意味が違うのです。
次のまとめでもう少し解説します。

③まとめ 「命の価値は人が決める」

上で書きましたが、

「その人が優れていようがいまいが、私が価値を見出したら必要」
というイメージです。
つまり私の場合は、例えバカでも、不良でも、はたまた世間的に犯罪者でも
私が価値を見出した場合は必要
総理大臣でも、人間国宝でも、有名人でも、社長でも、
私が価値を見出せなければ不要
と言った形になります。

これが真理なんです。
これを否定、自分は違うといえる方はいらっしゃいますか?
例えば、バカで不良で犯罪に手を出した子供がいる親が、
その子供を「無価値」とするでしょうか?
おそらく「する方」もいて「しない方」もいます。
ではその親の中で「無価値としない」を選んだ方
その方が他人に「家族」を殺されて、
それでも「犯人は無価値じゃない、命は平等」と言えるでしょうか
ここまで説明すれば、流石に皆さん解ってくるのではないかと思います。

そう、「命の価値は全く平等ではない」のです。

ここまで読んでもまだ「命の価値は平等だ」と言える方は
犯人の衝動的殺人で家族を殺された遺族の前で
「犯人の命の価値も平等だから、死刑は良くない」
とか言ってきてください。
是非、貴方の自己中心的で薄っぺらくて的外れなその正義を
どうか遺族の方に教えてあげてください。

私なら、自分が遺族の立場になったと仮定し、
「極刑も視野に入れ、然るべき罰を」と言うでしょう。

この世の真理は
人それぞれに「命の価値」を判断する権利があり、
誰の命を尊重するか、誰を死を希望するのか、
それぞれを評価するのは「個人の自由」なのです。

まぁ、個々人がそれを望んだとて思い通りになるとは限らないですしね。

今回の件ではD氏が最初に発した言葉は共感できましたが、
その発した言葉を覆し、世論にひれ伏した彼は、
私からして愚者になり下がった、と言っても過言ではなく
正直見損ないました。

私がここで発信してもたかが知れているでしょうが
見てくれている皆さんに真理をお届けして、
今回を締めさせていただきたいと思います。

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