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花火、あるいは火の技巧

猛暑の中、DANROの連載5回目が公開された。

読んだ方から、よくネタが尽きませんね、と声をかけられたが、酒を飲むたびにそのまま書いているのだから、さほど苦労はない。

これがまさしく、はあちゅうが言うところの『「自分」を仕事にする生き方』(幻冬舎)というやつである(違)

言い逃れようのない、文字通りの駄文である。ただ、Yahoo!に配信された記事についたコメントのトップは、

結構好き

というもので(そう思う15)、本当にありがたい読者がいるものである。そう思わない2の方も含めて、心からお詫びとお礼を言いたい。

交わらない孤の世界。公園の魅力。

こちらのコメントは、そう思う6、そう思わない0。そういうイマジネーション豊かな読み方をしていただくと、書き手は大変救われます。その一方で、こんなお叱りもあった。

くさやとドビュッシーの関連性がいまいち。ドビュッシーといえば、やっぱり「アラベスク」だね。

そう思う9、そう思わない3。この「そう思う」は、「アラベスク」に対するものではないだろう。ドビュッシーを、26歳の若書きの作品で代表させるのは、表現者に対する侮辱というものだ。

関連性についても、アラベスクはバッハからインスピレーションを得て音階を多用した美しい曲であり、「レントより遅く」よりも、更にくさやから離れているのではないか。これではツッコミとして物足りない。

例えば、ドビュッシーが51歳で書いた前奏曲集の第2巻の最終曲である「花火」をフランソワの演奏で聴いてみてはどうだろうか。まさに火にかけられたくさやが、煙を吐いてあたりに匂いを漂わせている様子が目に浮かんで来ないだろうか。

したがって朱を入れるとすれば、次のようになる。

くさやとドビュッシーの関連性がいまいち。ドビュッシーといえば、やっぱり「Feux d'artifice」だね。花火、あるいは(くさやを焼くコンロの)火の技巧。

なお、本文で触れた「レントより遅く」と「乳房の勾配」については、こちらのエントリーで解説しています。


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