喧嘩をしない夫婦の諍い
帰宅する時の心が、月を隠す雲のようにどんより暗い。
妻と子育てに対する意見の対立があった。
彼女の意見によると、僕は子供たちを叱るときに、言い分を聞かなさすぎるというのだ。
一方的に正論を放ち、言い逃れできないようにして雷を落とす。
そういう叱り方を僕がしているといいう。
確かに、そういうところがあるかも知れない。
しかし、僕にも叱り方のポリシーがある。命の危険があるようなことや、他人の権利を侵害するような行為の時は、ピリッと言わないと伝わらない。
親が怒る時にはそれなりの理由があるということを知ってほしいのだ。
僕の「叱り方」は僕が祖父に叱られた時の経験がモデルになっている。
祖父は戦争経験者で、かなり厳めしい大正生まれの頑固爺だった。
僕は初孫だったので溺愛されて育ったが、小学生時代にはよく叱られて雷を落とされた。漢字が覚えられないと言うと椅子に座らせられ、目の前に新聞を広げられて「この新聞の字が見えなくなるまで書け」と筆を渡されたこともある。
今だったら完全に虐待だと言われるようなこともあったが、子供心に爺ちゃんの愛情は感じていたし、大人になって感謝したこともある。
しかし、妻は「正義の反対は『悪』ではないよ」と言った。
悪いことをした子供は「ただの悪い子」ではない。そこに至ってしまった経緯があると。子供たちは自分の心を客観視できていないし、語彙も少ないからほとんど形になっていないけど、叱られるようなことをしてしまったいきさつを、親は聞いてあげるべきだし、それを一緒に探してあげるべきだと。
正論を突き付けて大声で叱りつけるやり方と、それに戸惑いながら従う子供たちを見ているのがつらいと言われた。
僕は、自分の考えが100%合っているとは思わないが、100%間違っているとも思わない。でも子供たちの戸惑いはある程度感じていたし、思春期に差し掛かった息子1が、僕の機嫌を損ねないような言動を常にとり、まるでご機嫌伺いをしているようにみえることに、違和感と戸惑いもあった。
なにより、妻に「つらい」と言われたのがショックだった。
他人同士が夫婦として一緒に暮らす意味は、お互いの価値観をミックスさせて新しい社会を作ることにあると思う。
「自分の考えは間違っていない」で譲らないのなら、他人と家族になることはできない。僕が結婚したのは家族を作るためだ。
なので、今回は考えを改め、妻の主張を聞き、子供の叱り方を変えることにした。
家に帰ったら、まず子供たちに一言謝ろうと決めていた。
「パパは今まで君たちを叱るときに、言い分を聞かなさすぎたかもしれない、ごめんな。」と二人の前で素直に謝り始めると、ゲームに熱中していた息子1がこちらに顔を向けてくれた。
今後は、怒る時になるべく理由を聞くように努力するし、パパが怒っていても自分たちに言い分がある時は黙っていなくてもいい。理由を主張した上で、話をしたい。と伝えることができた。
そして、妻にもちゃんと謝った。
妻からは「だいぶすっきりした」と言ってもらえた。
ウチの夫婦はケンカをほぼしないので、お互いの意見が心の内に溜まりやすい。
「その場で言葉にできないから今まで黙っていた」とも言われたので、そこで僕を諦めずに後でメールでもいいから伝えてほしい。と言った。
寝る前に歯を磨いていたら、息子1が「パパ、月がすっごいきれいだよ」と僕を外に連れ出した。玄関に出て、二人で見上げた月は、さっきよりずいぶん輝いているように思えた。
まあ、今後どうなるかはまだわからないけど、とりあえず忘備録代わりに。
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