『☆』;読み始めの印象を忘れたくない

■深夜に鳴ったTwitterの通知

「……さんにフォローされました」
深夜にぽこんと鳴ったTwitterの通知。ただの日常垂れ流しアカウントがフォローされることは滅多にない。bioに特徴的なことが書かれているわけでもないし、固定ツイートが本を読む人間であることをかろうじて表しているだけだ。
通知欄によって共通のフォロワーが2人いることがわかり、そこで私は少し納得する。読書アカウントから辿られていることが予想できたからだ。
こちらがフォロバしなかったらいつの間にかフォローは外れるだろう。とはいえどんなアカウントなのか確認するくせはついていた。
そして私はその小説に出会ったのだ。

■Twitterの人間は驚くほどリンクを踏まない

私もそのうちの1人である。Twitterのリンクを踏むことは基本的にない。知り合いだけは別。でも興味のある記事には目を通すし、ニュースだってたまに読む。会員登録しないと続きが読めないニュース記事があって、そういうのはすぐに閉じる。タダに慣れすぎてしまって、新聞というのはもともと公共性云々より読者受けのする記事を売ることが発祥なのを忘れてしまいがちだ。
そんなわけで私が、確認のために飛んだアカウントのタイムラインで、推されている小説のリンクを踏む気になったのは、深夜のテンションだったかもしれないし、今なら無料で全て読めるという文言に貧乏人根性が刺激されたせいなのかもしれない。
目をとおしてみて趣味に合わなければ閉じればいいだけだ。そんな軽い気持ちで読み始めた。

■それなのに

1話から5話まで読んで完全に脳みそが持って行かれてしまった。みっちり詰まった文章。なのにすらすら読めてリズムもいい。目は文章を上滑りしているかのようなのに情景だけはすんなり頭に入ってくる。
なんだこれ
気持ちよすぎるでしょ
普段海外ドラマも映画もほとんど見ないのに、なけなしの記憶から私の脳はウォルマートのレジを引っ張り出してきた。そこでは明らかに、不愛想な店員がレジを打っていたし、客は文句を言っていたし、まっすぐ並んでもいなかった。
そして私は気が付いた。
難しい単語が使われているわけでもない、全く知らない固有名詞があるわけでもない、比喩は凝っているというより洒落ていて、けれども突飛というわけではない。情景の描写が丁寧だ。そしてびっくりするほど過不足がない。そのありのままの描写が、私に書き手を信用させている。
目が文章を上滑りしているんじゃなかった。登場人物が動く書き手の速度に比べて、読み手の映像化が圧倒的に早いのだ。そしてそれは書き手の力量なしではあり得ない。
導入からこんなに入り込める小説を読むのは久しぶりで、その没入感は小説を読んでいるというよりは完全に映像を見ているのに近かった。

■そして今
7話まで読み終えたわけなんだが、猛烈にこの情動を残しておきたい、忘れたくないと思ってこのnoteを書いている。伝えたい、ではない。感動、というのでもない。ただこの感覚は読み始めたときにしか湧き起らなくて、読了したときには、この新鮮な気持ちとは全く違う気持ちに支配されてしまう予感があった。いまこのときに覚えている、感じている。そんなときにしか書けない文章、出てこない言葉というものがある。
しかも、先を読み進めたい気持ちと1話から読み直してこの文章にいつまでも浸っていたい気持ちが同時に襲ってくる。まだ7話までしか読んでいないにもかかわらず! アホか。先を読め! ただでさえ読書スピードが遅いのに、何を言っているんだ、こいつは。しかもまだ7話だぞ。先は長いぞ。

■最後に

”作品に接してなんらかのアクションをおこしたくなったとき、それはよい作品に出会えたということだ”
最近Twitterで流れてきたtweetにこんなことが書いてあった。
ブルースリーを観たあと、手のひらを上にして指を曲げる動作を真似したくなるように。マトリックスを観たあと、身を仰け反らせたくなるように。今の私の文章は、どう見たって普段の私の文章ではなくて『☆』の文体に影響されてしまっている。そういう興奮状態で書いている。今は読了したあとのことは考えない。ただ読み進めるだけだ。

宣伝というわけではないけれど、リンクは貼っておかなくちゃね。タイトルにしか小説の名前を出してないことに今気づいたよ。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,902件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?