捨てるための日記_02『ポアンカレ予想・100年の格闘』を観て
晴れ。散歩日和。
読み終えた本を図書館へ返却しにいった。
二日続けて日記を書こうとしているなんて常軌を逸している。正気の沙汰とは思えない。完全に週末のテンションってやつ。
■数学者はキノコ狩りの夢を見る
4月に録画していた放送をようやく見た。
数学にはまったく明るくないので、数学に関わる人たちの人生を見ていた。
ポアンカレ予想についてはWikipediaが詳しい。というか、この番組が出典になっている記述もある。
アンリ・ポワンカレが提出した問題。
番組での説明では、三次元の空間である宇宙にロープをめぐらせ、その輪が回収できれば、宇宙は丸いといえるはずだという予想。
最初に地球でロープの説明されるわけだが、そこでは球とドーナツ型の2種類の地球がでてくる。地球が球だと確信がもてなかった時代では、地球を1周する場合、球であるパターンとドーナツ型であるパターンが予想された。どちらも船を航海させて1周すると元の場所に戻ってこられる。
ちなみにドーナツ型で穴を通ればそりゃロープは引っかかって回収できないけれど、輪に沿っていたら回収できるのでは? という問いにも答えはNoだ。ロープはあくまで面に沿って回収しなくてはならない。ドーナツ型の輪ではロープは途中で宙に浮いてしまう。これは引っかかりと見なされる。
ポアンカレ予想を解く手がかりとして、当初はトポロジーが使われていた。
トポロジーは穴の数に注目することで、コーヒーカップとドーナツを同相とみる。
これをどう数学に落とし込んでいるのかさっぱりわからないけど、穴に注目することで宇宙がドーナツ型か球かを判断するっていうのは、確かに手がかりになりそうな気がする。
とはいえ、トポロジーのやり方ではロープに結び目ができてしまうようだ。
ポアンカレ予想は3次元宇宙に対する問いだが、この結び目ができることに対しては宇宙の次元を上げること(5次元と4次元)で解消できた。しかし肝心の3次元に対してのアプローチは成果を上げないままだった。
別のアプローチとしては、サーストンの幾何化予想が挙げられる。ロープの引っかかりのない宇宙の形と、引っかかりのある宇宙の形、それらがどのような形でいくつあるのか。サーストンはその幾何構造が8種類あることを突き止め、ロープが引っかからないのは球のみだとわかった。
それぞれの数学者が角度を変えながら難問に挑戦している。
ここまでで多くの数学者がポアンカレ予想に挑戦してはやぶれ、興味の方向を変えたりしてきている。
数学がさっぱりなので私にはわからないけれど、解けそうな手がかりがあってチャレンジしてみるも、後に残るのは仲間の死屍累々という魔窟のような問題だったんだな、ポアンカレ予想。
『数学者はキノコ狩りの夢を見る』は、ポアンカレ予想を解決したペレルマンがフィールズ賞を辞退するところから始まる。
過去の数学者たちのポアンカレ予想に対する奮闘を経て、ペレルマンはこの問題をトポロジーではなく微分幾何学を使って解いた。
そしてポアンカレ予想に着手してからは、以前とは人が変わったように人付き合いを避け、現在に至っている。
■視聴をおえて
天才たちのドラマが好きなので、数学がわからなくても見て面白かったし楽しめた。こういうドキュメンタリーは定期的に放送してほしいけど、次にこれがBSPか総合でやるとすれば、ミレニアム懸賞問題が解かれたときかペレルマンが亡くなるときのような気がする。
今回はabc問題の特集した流れで放送された。見られてよかった。
こういう人類の発見に想いを馳せるとき、私はケプラーを思い出す。コペルニクスの太陽中心説からケプラーの近代天文学が確立するには、ティコ・ブラーエの正確で膨大な観測資料があった。この実証データなくして惑星運動の三法則は生まれなかったであろう。
Wikipediaには、ハミルトンのリッチ・フロー発見に対する評価が十分でないことに対してペレルマンが不満をもっていることが書かれている。リッチ・フローは、ペレルマンがポアンカレ予想を解決する際にヒントになった理論だ。
数学者どうしは、同じ難問にチャレンジするライバルでもあり仲間でもある。ペレルマンの不満からは、数学界の不公平さに対する姿勢が感じられた。
いくつものアプローチの積み重ねが難問を解き明かすカギになる。アプローチの失敗ですらカギのひとつとなる。そうやってこの問題は解決に導かれてきたのだ。
研究の地道な積み重ね、誠実さ、信頼。どれも学問にあってほしいものである。
番組ではペレルマンが孤独を選ぶようになった理由を「ポアンカレ予想という難問が人を変えた」ように扱っていた。私はこの日記を書いているうちに「たったひとりだけの人間が、今まで難問を共有してきた多くの仲間の屍の上に立ち、貢献者のように振る舞うこと」に対してペレルマンが疑問を抱いているのではないかと感じた。勝手な想像に過ぎないけれど。
時が経ち、もしペレルマンが公の場に姿を現せるようになったときには、そのあたりのことを語ってほしいと思う。
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