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3月11日に想う

11年前の3月11日も金曜日だった。

娘たちを習い事に送る途中の車のラジオで震災を知った。
習い事に送り届けた後、近くの家電量販店のテレビで津波の映像を見て、呆然としたのを覚えている。

当時、福岡で自衛官として勤務していた[とっくん]は、直ぐに災害派遣への準備に携わり、翌々日には陸路で被災地へ向けて出発した。
それまでも、仕事に出る時、「もうニ度と会えないかもしれない」と見送ることは度々あったけれど、福島の第一原発事故もあり、気が気ではなかった。


震災があったということも大きいが、事あるごとに思うのは、
『いつ、どんな最期を迎えても、その最期の瞬間まで、
満足する幸せな人生を過ごした!ということを大事にしたい』
ということ。

別れた寂しさも、悔いが残ることも、きっとあるだろう。
でも、それと同等の、或いは、それ以上の
「幸せな人生が在った」と、自分に誇れる人生にする。

「最期まで、最善を尽くして生きた」と、自分を信頼できる自分でありたい。

そのために、[とっくん]には、私が『毎日いかに幸せであるか!』を、伝えるようにしている。

朝起きて「おはよう」と言えること、
一緒に散歩したり美味しい物を食べたりして、感じたことを共有できること、
夜寝る時に「おやすみ」と言えること、
ただ隣に居ること、、、

日々、当たり前のように感じる暮らしの中のひとつひとつが、在り難く、かけがえのないことであると意識して、自分に言い聞かせる意味でも。

そうは言っても、忘れたり、見失ったりもする。
そんな時は、思い出して、また意識して、を繰り返す。

何度も、何度でも。

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