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行き当たりばったり人生

アメリカの滞在が長くなり、さらに小さなベーキングビジネスを始めたなんて言うと、よく聞かれるのが、日本でもパティシエだったんですか?お店を出すことが小さい頃からの夢だったんですか?などなど。

実は恥ずかしい話、私はこれといって大きな夢を掲げたこともなければ、ものすごく何かに執着したこともなかった。今まで40年弱生きてきて、正直、流れに任せていたらここにたどり着いたと言うのが、正しい表現かと思う。。。人生の中で何か重大な決断をしなければいけない時があるとする。そういう時、私はいつも、サイコロを転がすように道が開いた方に進むようにしてきた。例えばビザが取れたらアメリカに残れということだ。取れなかったら、日本に帰れということだろうと。もちろんビザの手続きなど努力はする。でも後は運任せのようなところがあるのだ。その分、何かがうまくいかなかった時の切り替えはしやすい方だと思うが、もしかしたら、何がなんでも自分の決めた道を進むぞというような人よりも努力の仕方が足りないのかもしれないと思うこともある。。。

私は小さい頃から、特に何かに夢中になると言うことはなかったように思う。運動が苦手で、あまり社交的ではなく、家でじっとしているのが好きだった。だからと言って、本を読むのが好きだったわけでもなく、ゲームにハマったわけでもない。学校の成績も悪くなかったが、よくできるわけでもなかった。どこかでも書いたが、小さい頃にアメリカに住んでいたことがあったが、日本人学校に行っていたため、英語も喋れなかった。帰国後も帰国子女枠のある学校へ入ったが、英語が喋れない私は、帰国子女と言うことは特に公表せず、一般枠で受験をした。学校からのオーストラリアへの短期留学なんていうチャンスもあったが、臆病な私は、海外生活をしたことがある人はきっと申し込んでも受からないよと言い訳を作って避けていた。そんな私がなぜ10年以上もアメリカにいるのか。

私が大学生の頃に、再度父がアメリカに単身赴任となった。夏休みを利用して遊びに行ったのだが、空港についた瞬間に懐かしい匂いがして、いろんな当時の記憶が戻ってきたのだ。匂いの記憶というのは、面白いものである。おそらく気候などの違いに加え、清掃時に使う薬品などの匂いだと思うが、空気の匂いが日本とアメリカでは違うように思う。急に込み上げた懐かしさのおかげで空港内の移動中に泣きそうになったのを覚えている。その後、二週間ほど滞在したのだが、それまで全くアメリカへの執着がなかった私が、あらゆることに懐かしさを感じて胸が苦しくなった。しかし当時、私の英語力は散々でコーヒーを頼んだところコーラが出てくるという有様だった。そんな失敗からもどうにか、自分の力でアメリカに戻ってきたいなと思うようになり、母親にその思いを伝えたところ、話しながら涙が出てきたのを覚えている。その時なぜ泣けたのか、今でも不思議なのだが。大学を1年休学して留学などができればよかったのだが、たまたま管理栄養士課程が変更となる最後の年にいた私は、カリキュラムが変わってしまう、また国家試験の免除科目がなくなってしまうという理由から大学を卒業まで休むことができなかった。その後アメリカの大学院にでも栄養学で進めるかなと考えたこともあったが、まず英語がそこまで上達していなかったし、ぶっちゃけそこまで勉強が好きなわけでもなかった上、海外に出る資金もなかったという理由から、そのまま就職し、いつか何かの形で渡米しようと少しずつ英語の勉強を始めた。

そしてお金も溜まってきた25歳、このまま日本にいたら、ずるずると歳をとってしまう。会社を辞めてニューヨークの料理学校へ8ヶ月の留学を決めた。これもまた、私は別に都会が好きなわけでも、ニューヨークに憧れがあったわけでもなかった。ネットで調べていると2年などの長期間の料理学校が多いなか、短期でサーティフィケートがもらえる、また車を運転しなくてもいい、そして栄養学を絡めて、ビーガンベジタリアンの日本やフランスではあまりないであろうカリキュラムが学べるという理由で学校を選んだまでだ。結果、ブルックリンに滞在し、ニューヨークに惚れ込んでしまうのだが、それは結果そうなったというだけである。

渡米後もまた色々と流れに任せた人生が続くのであるが、続きはまたどこかで。。。



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