「生きていたい」母の誕生日、自分も母になりおもうこと。
先日、母の誕生日があった。
母の誕生日は父母の結婚記念日でもあって。
昔も今も、家族で集まって一緒にご飯を食べるのが恒例だ。
そして、父は「お母さん大好きだったチョコいっぱい買ってきた!」と、写真の前にプレゼントする。
たまに母と同年代くらいの女性を見ると、
あー、母もこんな感じかな?って考えたりする。
いつからかな?
「私も同じような病気になって早く死んじゃうかもしれない」
そんなことを頭の片隅で考えてた。
専門学生の時、入院や手術をしたことがあって、
その頃にはもう思っていたかもしれない。
そんなジゲンバクダンみたいなものが、
頭にずーっとある。
それが1番怖く感じるようになったのは
やっぱり家族を持ってからかな。
子ども達を産むたびに、
「この子たちの将来、中学生、高校生、専門や大学、大人…そんな時まで絶対絶対生きていたい。生きていれるかな?」
そんな不安が私の頭にふと浮かんでくる。
自分が母のなくなった年齢に近づいてきて、
余計に怖さもある。
だけど私には今、不登校の子ども達とまだまだ小さなイヤイヤ期真っ最中の末っ子がいる。
だから
なんとしても絶対元気に長生きするんだ!!!
元気でいなきゃ、どーすんだよ!!
やりたいこと、やらなきゃいけないこと
いっぱいなんだよ!
そう強く思って、定期的に検診を受けるようにしている。
母は、、、
どんなことを考えながら、辛い治療を頑張っていたのかな。
どんなことを考えながら、毎日を過ごしていたのかな。
母がいなくなってしばらく経ってから、
「母から私達に何かメッセージが残っているかもしれない!」
そう思って、妹達と必死に家中を探したことがあった。
治る!治る!治る!治る!治る!
と何回も何回も書いてあるノートを見つけた。
病は気から。
きっと「絶対治るんだ!絶対治すぞ!治したい!治ってお願い。」いろんな気持ちを込めて、書いていたんだろうな…
大きくなってから父に母のことを色々聞いた。
母には余命については伝えなかったらしい。
まだまだまだまだ、絶対生きる!
そう思っていたから、メッセージは残っていなかったのかな?
そして私は、幼い頃からの夢だった看護の専門学校に入った。実習でたくさんの患者さんに出会ったり、勉強していく中で、
もしかしたら看護カルテに母の話していた言葉が残っているかもしれない。
母がどんな治療をどんな風に頑張ってきたのか知りたい。
そんな想いだったと思う。
妹達と一緒に母が入院していた病院にカルテを見せて欲しいと訪れた記憶がある。
実際には5年が過ぎていた為、見せてもらうことはできなかった。
メッセージや記録など、文字として
母の想いはわからなかったけれど、
自分が母になった今
きっとこんな気持ちだったのかな?
と、なんとなくわかる気がしている。
そしてずっと近くで家族を見守ってくれて
いる感覚がある。
母の病は乳がんだった。
早期発見が本当に大切だ。
だけど当時は若い人も検診に行く
っていう風潮がまだまだなかったと思う。
あとは子育て真っ最中だったから、
忙しすぎて気になることがあっても
病院にはすぐ行けなかったんだと思う。
時代が今ならば、
母がいた時に、私がもう看護の道に進んでいたならば、
「気になったらすぐ病院いこ!」
「検診一緒に受けよー!」
そう言えて、今、そばで生きていてくれるかもしれない。
そう思うこともあった。
だから。
子ども達にも、それは伝えていきたいし、
周りのみんなに伝えていきたい。
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