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小1行き渋り-HSC気質の娘のこと①-

夏。
この時期になると、
娘が小学校1年になったばかりの
あのときのことを思い出す。


HSC気質の娘は、ちょうど小1の7月から
行き渋りがはじまった。
今思えば、もうこの時とっくに心は限界で。
すぐ学校を休ませて、なんにも考えず、
ゆっくり心と体を休める時間をとってあげるべきだった。

学校がいやな気持ちは自分も感じてきたから
よくわかる…

だけど、なぜ自分が親になると、
すぐ休ませてあげれなかったんだろう。

登校班には間に合わないようになり、
夫が車で門まで一緒に行くようになった。

ある日は「お腹気持ち悪い」と引き返し、
しばらく家でゆっくりして、

連絡帳に朝からの様子を書いて、
お昼ご飯が終わったら迎えに行くことを
娘と約束し、一緒に登校したりした。

この頃、急に「死」という言葉が
まだ小1の、ついこの間まで保育園に通っていた娘の口から出た……

もう無理させたらだめだ。

担任の先生にもすぐ娘の状況を話した。

そんな1週間を過ごした後に、
なんともタイミングよくコロナに罹患した。
学校はもう休ませた方がいい
そう思った矢先の出来事だった。


メンタルが落ちた状態でのコロナ罹患は
想像以上に過酷なものだった…
(この時のことはまた別で書きたい。)

だけど

「学校に行かなければならないのに
なぜか行けない、行きたくない」と思っていたであろう娘。


そんな中でのコロナによる出席停止は、
「コロナで休まなければならない」に
思考が置き換えられたので、それだけは
よかったのかな。

当時はまだまだ未知のウイルスだったコロナ禍真っ最中。
家族順番に罹患し、隔離期間も長かったので
そのまま夏休みに突入した。


娘の保育園時代を振り返る


この頃はまだHSCについて知らなかった。

私に似てるところがあるなーとは感じていた。

今思えば、保育園時代も、
パンツや靴下、服の濡れた感覚などの少しの違和感が気になっていやだーとなっていたり、

お友達の表情を読み取って、
「多分あの時、嫌な気持ちだったんじゃないかなあ」といろんなことを考えたり。

ストレスを感じて爪噛みをしたり、
チックが出たりすることもあって、
人一倍敏感な心で踏ん張っていたのかな…

小学生になってから
「保育園の時にさ、お腹痛い〜て言って休ませてくれて病院行ったことあったでしょ?あれね、なんかお母さんと一緒にいたくて、なんか行きたくなくて、うそついちゃってたかも。でも一緒にいれて嬉しかったなー。」

と教えてくれたことがあった。

あーあの年中さんの時かぁ…
お腹痛い、歩くと痛いーてなってて、
でも連日仕事休めないよな…と悩みながら

早朝から義理実家まで預けるために
車で連れて行ってる途中。

ふと娘の姿を見て、

「無理に連れていって、あとで早く病院行っとけばよかったって後悔だけは絶対嫌だ、この子は外では我慢しちゃうタイプだ、しんどい時は自分がみてあげないと…」と思い、

仕事を休んで、総合病院まで行って
いっぱい検査したことあったね。

熱が数日続いた後とかだったから、
ほんとにちょっとしんどかったんだとは思うけど、もうちょっと一緒にいたかったんだね。

「そうだったの。教えてくれてありがとう。」

あの時、無理に行かせなくてよかった、
休みにくい、行かなければ…と仕事に行こうとしてたけど…
小さな娘からのSOSをそのままにしないで、
娘のそばにいてよかった。

そう感じた瞬間だった。

そして、仕事を休ませてくれる職場の皆さんにはほんとにいつも感謝しかない。
「仕事の代わりはいるし、なんとかなるから。
だけどお母さんの代わりはいないからね!
まずは家庭優先!みんなお互い様!」
といつも言ってくれる。

そんなことがあったりした保育園時代だけど。

他の保育園よりもかなり小規模でアットホームな環境が娘にあっていたのかな?
1歳からずーっと一緒で、
家族より長い時間を共に過ごしてきたからか、
男女問わず仲良しで、お迎えに行くといつも
楽しそうに遊んでいた。


新学期やイベント前は体調崩したり、
玄関前や教室前でイヤイヤなったりする時は
あったけど、保育園は大好きだった娘。


保育園の仲良しメンバーの中で、
娘だけ学校が離れてしまって
大丈夫かなぁ…と心配していたけれど
「学校でお友達作るから大丈夫!」
と意気込んでいた。


この言葉の裏ではどんな気持ちだったんだろう?心配させないように、強気で言っていたのかな。大丈夫!と自分に言い聞かせていたのかな?


娘は私に似ているけれど、
私とは正反対の陽気でマイペースな夫の遺伝子も入っているから、足して2で割ったくらいで
ちょうどよく、元気に過ごしてくれたらなぁ…と思ったりしながら、小学校入学を迎えた。


4月娘の些細な変化

当時は末っ子を産んで間もない頃。

そして入院中から赤ちゃんの体調で気になる事もあり、退院しても受診に行かなければならない状態で、自分自身のメンタルも不安定だった。

入学してから少したった頃。
まだ4月の半ばだったかな。

娘の些細な変化に気づきながらも、
普段ならすぐ調べて対応したりしていた
心配症の私が、この時は

「あれ?最近どうしたかなー?風邪引いたのかなー?一時的なものかな?」
と考えながら様子を見ていた。


きっと連日の寝不足と赤ちゃんの体調の不安とで気持ちに余裕がなかったのだと思う。

その些細な変化とは、
唾を溜めて飲み込めずに洗面台で出す
ということだった。


扁桃腺もよく腫れるタイプだったので、
喉が痛くて唾飲み込むのが辛いのかと思い
「どうしたのー?喉痛い?」と尋ねると、

娘は「うん、ちょっと痛いかもー?」
と言っていた。

熱もなく、元気ではあったので
普通に学校にも登校班で行っていた。


ちょうど夫も育児休業を少し取得していたから
朝は登校班の集合場所まで見送り、
帰りもしばらくは門まで迎えに行くのが日課
だった。


帰宅してからは、赤ちゃんにミルクをあげたり、一緒にお昼寝したり、学校の話をしてくれたり、
同じクラスのお友達と約束してきたーと言って、夫と一緒に公園に向かい、遊ぶこともあった。

唾を吐き出す仕草は続いていたので
気になっていたけれど、

学校の前日には
「明日は何着て行こうかなー」
と、楽しそうに服や靴下を選んでいたり。

「もうお友達いっぱいできたー」
と、お友達と早速お手紙交換をしたり、
放課後に遊ぶこともあったので、

あーよかったなあ…
と少しほっとしていたのを覚えている。


そして些細な変化はもうひとつあった。

それは、口調が急にちくちくしてきたこと
手が当たっただけでも暴言、気に入らないことがあっても暴言。

保育園ではそんな言葉遣いなんてしていなかったし、何がどうした?!状態。
あまりの変わりように、いろいろなことを
考えまくる私。

ちくちく言葉に関しては、他の同級生ママの間でも「うちも急に口が悪くなって悩んでた」と
同じようにみんな夫婦で悩んでいた。


ネットで調べてみると、
中間反抗期という表現があり、みんな同じなんだなあ…と思っていた。



「おまえ、あーきもちわるー、うるさいなー!」など、
思い出すのも辛いくらいの言葉を
私や夫、そして弟にも言いまくり。

それに対して夫が思いっきり叱る…

怒って育てられてきた家庭だったという夫。

叱られた記憶はあるが、のんびりした家庭だった私。

ここでもう夫婦の意見がぶつかる…


人一倍敏感な娘。
学校という慣れない場所で、当時はコロナ禍だったのでマスクで苦しい中、一生懸命踏ん張ってきて…

家に帰ってその溜まりに溜まったストレスが


◯唾を飲み込めずに吐き出すこと
◯暴言


となって現れていたんだと思う。

夫婦でそれが理解できていたら…
その暴言が出ているのはなぜか?
荒れているのはなぜか?

子どもに今現れている結果に対して
ただただ叱るのではなく、
それは何が原因なのか?その意味は?

を考えてあげれていたら。

家に帰って荒れている娘に
「どうしたの?」とハグしてあげていたら。

家を安心できる居心地のいい場所に
できていたら。

いろんな〇〇していたら…
が込み上げてくる。

あの時、娘は外でもストレスフルで頑張って、
帰ってから発散すると、その暴言で叱られて、

心が休まる時がなかったのではと思うと
胸が締め付けられる。

ここからどんどん娘に変化が現れていく。

そんな1年生のはじまりだった。

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