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目の前のそのひとは、誰かにとって大切な誰か……かもしれない

いつも通院している病院で、ショッキングなシーンを目撃した。
総合病院の中央検査室受付でのこと。

ご年配の女性が、受付の事務員に何かを尋ねていたが、耳が遠いらしく、会話が少し困難なようだった。

事務員さんは、大きめの、厳しく激しい口調で、その女性に伝わるまで何度か同じセリフを繰り返した。

その厳しい口調に、次に応対してもらうのは自分だが、相対するのが怖くなってしまった……と同時に、心にぽっかり、隙間が空いたような、寂しい気持ちになった。

数十年後、自分も歳をとったら、身体は不自由になって、耳も少し遠くなっていたら、
あんな応対をされるのかもしれない、
という、何とも侘しい感情が頭をもたげた。

そうして、あの先程の年配女性は、私たちにとっては見知らぬ他人でも、
『誰か』の大切な親だったり、『誰か』の大切な娘であったかもだし、『誰か』の大切な妻であるかもしれないと気づいたのだ───。

その『誰か』は、あの女性が冷たい仕打ちを受けたと知ったら、ひどく悲しむだろう。
自分が同じ仕打ちを受けた時よりも、遥かに強く、心が揺さぶられるに違いない。

どこかしら不調で、通った病院で、そのようなことがあったら。
あくまでも想像だが。

私もこれから、見知らぬ他人と相対することがあったら、
『この人は『誰かにとって大切な誰か』なのかもしれない』
と思って接しようと思う。








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