仮面を脱いで生きる
うまく生きるなら仮面が必要だと思っていた
素顔をかくして仮面で飾った自分でいるのは疲れるとわかっていても必要性を感じていたからやめられなかった
今になっておもう
仮面をつけた状態で
自分を愛してくれる人なんて
本当に自分を愛してると言えるだろうか?
同時に
仮面をつけた状態の自分を愛してくれた人を
自分が心から愛せたことがあったか?
仮面とはそもそも
見せたくない部分があったり
人前で出せない本音ををかくすためのもの
つまり
本当の姿を愛されていることにならないし
本音を出せない相手に対し緊張して心から愛せてない
じゃあいつでもどこでも本音出すべきなのか
仮面脱げなんてそんなこと言われたって
仕事で本音なんて言ってたらクビになるんだが
仮面かぶってないと組織や学校になじめないじゃん
過去の自分はそう思っていた
他人軸の人生だったと今はおもう
あなたが本音で生きてクビになるなら
そういう自分を必要としない場所を
自分で選んでるからだろ
本音で生きられない環境を
みずから選んでいるじゃないか
変化を起こすのが怖いからめんどいから
動かないで済むように言い訳にしてないか
目的を達成するための忍耐とか組織のルールが
平和につながると本音で納得しているなら
自分に素直になってやればいい
違和感があって本音で納得できないなら
納得できる場所、生きる道を模索すればいいだけのこと
個人の本音は着眼点が鋭ければ
正論だったりすることもある
組織改革の筆頭になることだってある
その一声をあげるのがめんどくせーから
他勢に埋もれて他人や環境が悪いと
声も張らずにで影でブツブツ文句言ってるんだ
自分を偽っていい子ぶって
それで幸せなら一生やってろ
そんなくだらねーこと
続くもんなら続けてみろと
自分で自分を責めた
毎日 悩んで悩みまくった
当時の自分は
【本音で生きるということ】を
【他人に迷惑をかけること】とリンクしてしまっていたんだ
会社のルールに不満や理不尽さを感じてるのに
従順なツラして順応してる自分をよそおった
これなら誰にも迷惑かけないと思っていた
でも結局その偽りの自分に疲れて
パフォーマンスは最低限に止まり
笑顔の裏に怒りをたたえて
結局まわりの人に気を使わせて迷惑かけていた
本音で生きられる場所
を探す努力をほうり投げて
自分らしい生き方なんかよりも目先の収入に飛びつき
不満をこぼしながら環境の悪口を言う日々
職場にかぎらず
家族関係でも友人関係でも
仮面を被るのはもう疲れた
周りを変えようなんておこがましかった
自分が本音を大切にすることを
それが回り回って人を幸せにもできることを
知ってから環境や人間関係を呪うことはピタッとなくなった
仮面が必要だったんだよね
でももう脱いでいいんだよ 大丈夫だよ
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