見出し画像

だから勝手に、私を「未婚・子なし」にカテゴライズしないで! 私は私なんだから。“はふぽのコラム”

こんにちは。ハフポスト日本版の榊原すずみです。
ハフポストで働くようになって、1年とちょっと、「多様性」という言葉を会社内でよく聞くようになりました。

なんとなく意味はわかるので「ふむふむ」と頷きながら話を聞いていたのですが、厳密にはどんな意味があるのだろう。
ということで辞書で調べてみることにしました。そうすると……
多様性:いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。
といった意味が出てきました。

そうなんです。人はそれぞれに多様性をもっているものなのです。
それなのに、男と女、未婚と既婚、子なしと子あり、同性愛者、異性愛者、数学が得意な人、苦手な人、英語が話せる人、話せない人……などなど、いろいろなカテゴライズをしようとします。

私を勝手にカテゴライズしないで!
そんな叫びが聞こえて聞こえてきそうなコラムを3本ご紹介します。

おすすめ①
「母ふたり子ども3人」の家族、15年め。 女性と恋に落ち、結婚式を挙げて、裁判の原告になった

子育てするLGBTとその周辺をつなげる団体「にじいろかぞく」代表を務める小野春さんは、パートナーの女性と3人の子どもで暮らして15年になります。

いまだに「家族」といえば、お父さんがいて、お母さんがいて、子どもが2人くらいいて……という形を思い浮かべる人がきっと多いでしょう。でも私は、それは無意識のカテゴライズなのではないかなと思うことがあります。

お父さんがいない家族はシングルマザー家庭と言われることが多いです。
小野春さんのご家庭にお父さんはいませんが、シングルマザー家庭ではありません。

ほらね?カテゴライズでしょう?

「企業がLGBTQ向けのキャンペーンをバーンと打っていくことも大事ですが、そういう意味では個人の体験を伝えていくことにも、それに負けないくらいの大きな力があると気づきました」と記事中で語る小野さん。
小野さんの語る個人のストーリーに耳を傾けてみてください。

おすすめ②
独身をこじらせた未婚・子なし42歳が、芥川賞作家の柴崎友香さんと話したら、「いろんな人、いろんな生き方があっていい」と悟れた

こんなnoteを書いている私ですが、「未婚・子なし」コンプレックスがあります。
これまで結婚している・していない、子どもがいる、いないについていろいろな人とお話をしてきたのですが、今回お相手をしてくださったのは、同じく未婚で、子どもがいない、芥川賞作家の柴崎友香さんです。

柴崎さんは最新作の中で
「(一人暮らしは)不安じゃないですか? 子供いないと将来さびしいっていうか厳しいじゃないですか」
「女に生まれてきたんやから、普通は子供ほしくないわけないと思うけど。春子さんて実はすごい冷たい人なんちゃう」

なんて周囲に言われながらも、

「これくらいの年になって一人でいることって、そんなにおかしいんですかね。厳しいけどなんとか働いて、ちゃんと生活してても、人格が欠けてるみたいに思われるのは、なんでなんでしょうね」

と思いながら暮らす主人公を登場させています。

結婚している人も、していない人も、子どもがいる人も、いない人も
「人は様々な出来事や経験があって、今この人生があるというだけ」
と語る柴崎さん。

だから「結婚している人、していない人」「子どもがいる人、いない人」というカテゴライズ自体が無意味なのかもしれません。

手前味噌で恐縮ですが、未婚とか独身とか関係なく、生きるってなんだろう?と深く考えさせられるインタビューになっているので、絶対に、絶対にですよ、読んでください。

おすすめ③
「外国人が描いたLGBT小説」とは一体何か。 作家・李琴峰が日本文学に思うこと

書店に行くと、「ミステリー」「エンタテインメイト」「詩・短歌・俳句」「文庫」などなど、売り場がカテゴリーごとに別れていますよね?

本を買う側としては探している本を見つけやすくて、とてもありがたいシステムです。
じゃあ、カテゴライズもいいじゃないか、と思いますよね。

たしかに、カテゴライズされることで利便性や効率があがることもあるでしょう。でも不必要なカテゴライズがあるのは、これまで書いてきたおすすめ①②を読んでいただければ、お分かりいただけるのではないでしょうか。

それに私は書店にはよく行く方の人間ですが「LGBT小説」というカテゴリーを見たことはありません。

台湾生まれ台湾育ち、23歳にして日本に移住し、中国語を母語としながら第二言語である日本語で小説を創作するバイリンガル作家・李琴峰(り・ことみ)さんは、自身の著作を「レズビアン小説」「外国人が書いたLGBT小説」とカテゴライズされることに違和感を覚えています。

きっとみなさんも、嫌だと思うんです。
自分の気持ちとはまったく違った形で、なんらかの「カテゴライズ」をされたとしたら。
だから、ちょっと想像してみて欲しいのです。
誰もが勝手にカテゴライズされることがない世の中を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?