淋しさや自分には分からないものとの隙間を埋めるもの。それが“はふぽのコラム”なのかもしれない

こんにちは。ハフポスト日本版の榊原すずみです。

毎週毎週コツコツとかいているこのnote。
改めて数えてみたら、今週で37本目になることがわかりました。
37本のはふぽのコラムを書いてきたのは、もちろん「ハフポスト日本版にはニュースだけではなくて、いろんなコラムもあるんですよ」とみなさんに知ってもらいたいというのが、一番大きな理由ですし、書きはじめたきっかけでした。
でもだんだんと回を重ねるごとに、今週はみなさんに「どんな思いをどとけようかな」と考えるようになっている自分に気付きました。

そこで、私は、このはふぽのコラムを通じてみなさんに一体何を届けたいのか、考えてみたんです。
その結果、日常の中で感じるちょっとした淋しさとか、自分には理解し得ない、体験し得ないものと、みなさんの間にある隙間みたいなものが近づいて、埋まって、新しい何かが見つかったらいいな。

思いはたくさんあるのだけれど、それも一つの「私の思い」であるんじゃないか、そんな答えにたどり着きました。

今週ご紹介するのは、まさにそんな3本です。

おすすめ①
まんきつさんに聞く、寂しさからお酒に手が伸びそうになった時の抜け道のつくり方

アルコール、薬物などいろいろな依存症がこの世には存在しますが、あくまでこれは私の想像ですが、心の隙間に何か誘惑みたいなものが入り込んでしまうことがきっかけで、陥ってしまうケースもあるのではないでしょうか?

漫画家のまんきつさんは当初「面白い漫画を書くためには、おもしろい自分でいなくては」というプレッシャーから、お酒の量が増えていき、アルコール依存症に…。お酒を断つ必要に迫られます。

アルコール依存症は、人に迷惑をかけるような飲み方をしてしまうのが特徴の一つだと聞いたことがあります。人が離れていってしまう淋しさもあったのでしょうか、1人でアルコール依存症に立ち向かう孤独感があったのかもしれません。
まんきつさんは、淋しさから逃れるためにお酒を飲んでしまいそうになることがあったと言います。

淋しさは、人を何か暗い穴に陥れる大きな大きなきっかけになる、と私は思っています。私自身、アルコール依存症ではないけれど、夜、1人部屋で「寂しいなー」という大きな感情に心が支配されて、お酒を飲んでしまうこと、ありますもん。

でも、わたしは今回のこの記事を読んで、淋しくて、お酒を飲みたくなってしまうのは私だけじゃないんだ、とちょっと心の隙間が小さくなりました。
また淋しさに襲われた時、きっとこの記事を読んで、「淋しい」と向き合うことでしょう。

自分だけじゃない、そんな風に思えることはとても大きな力になる。

おすすめ②
暴力を振るっていた父にフェミニストになってもらいたい。10年ぶりの再会で、フェミニズム映画を一緒に観に行ったら…

これまで度々、自身の壮絶な体験をハフポストに寄稿してくださっている、小林エリコさん。
幼い頃、家で暴君のように君臨し、家族に暴力をふるい続けた父親とは、10年以上会っておらず、「きっともう一生会うことがないと思います」と、以前語っていました。

ところが、人生何があるかわかりません。
インターネットで、小林さんが文章を書き、本を出版しているのを知った小林さんのお父さんは、出版社を通じて、小林さんに連絡。
10年ぶりの再会が実現したというから、驚きです。

家族に暴力を振るっていた父親。
再会したいと言われても、私だったら躊躇い、結果、断ったと思います。
でも小林さんは違いました。きっとお父さんは理解し得ない「フェミニズム」を理解してもらい、フェミニストに変わってもらおうと、2人でフェミニズム映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を一緒に観に行くという、私にとっては信じられない行動を起こすのです。

家で暴君として君臨する父親像とフェミニスト。
かけ離れすぎにもほどがあるほど、かけ離れています。
それでも小林さんは「父は有害な男らしさの犠牲者だったのかもしれない」と、フェミニズムを知れば、自分との距離が縮まるかも知れないと期待します。

果たして、どういう結末を迎えるのか、それは記事で確かめていただくとして、私は小林さんがコラムで書かれている最後の一文が、ずしりと胸に響きました。

今の父親には分からないとしても、それでもいつか理解できるかもしれない。
それは小林さんのお父さんだけではなく、私たち全員に言えることではないでしょうか。
今、理解できない、分からないことがあっても、それに触れる機会、きっかけがあれば分かるかもしれない。
視野が広がるかもしれない。

そんな風に思わせてくれる、壮絶ながらも光が見えるコラムです。

おすすめ③
共通言語が手話のカフェ「サイニングストア」で働く女性と話して、ぼくのなかの“障害者への偏見”に気づいた。

みなさんは、「サイニングストア」というお店があるのをご存知でしょうか?
私はこの記事を読むまで知りませんでした。
それこそ、おすすめ②の続きではないけれど、今まで知らなかったものの存在をこの記事で知り、私の視野や知識が少し広がりました。

耳の聴こえないご両親に育てられた、ライターの五十嵐大さんが、「共通言語が手話」のスターバックスのサイニングストアを取材。
そして店員として働く聴覚障害スタッフにインタビューをしています。

手話ができない人は行っても注文するのが大変そう、そう思うかもしれません。でもまったく、そんな心配はなし。
耳が聴こえる人も、手話ができない人も、耳が聴こえず手話を使ってコミュニケーションをとっている人も、みんなが利用できるサイニングストア。
耳が聴こえるから、聴こえない人のことがわからない。耳が聴こえないから、きっとあの人はわかってくれない......。
そんな「わからない」思いを飛び越えて、みんなが一緒に集える場所。私はコラムを読んで、行ってみたくなりました。

さて、37本目のはふぽのコラムも終わりに近づいてきました。
この3本のコラムを読んでくださって、淋しさや自分には理解できない、経験できない世界との隙間が少し埋まったと感じていただけたら、こんなに幸せなことはありません。

はふぽのコラムではこれからも、たくさんの「隙間」を埋めるコラムをご紹介し続けていきたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?