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オッペンハイマー感想と個人的核感覚

 オッペンハイマーを見てきた。ノーラン監督らしい情報の暴力な映画だった。そしてやはり核を扱っているからか日本でも大きな話題と議論を呼んでいる。その中でどうしても私の意見を言いたくて仕方なくなったので書く。

 そもそも私は核に対して「日本人だから」と言って何か核に対して特別視する感覚を持ち合わせていない。僕は戦争を経験していなければ広島、長崎出身でもない。被曝経験者の話を聞いたことがあるわけでもないので、特別視する文脈が自分の中に流れていないと感じる。
 日本人なんだから流れているだろ。という人は私と根本的に感覚が違っている可能性があるのでおそらく議論は成立しない。
 そもそも核の恐怖は日本特有のものではない。むしろ現代日本は戦争から離れていて感じていないほうだ。冷戦時代のヨーロッパ諸国の方が現代日本よりも生々しい恐怖をかんじていたことだろう。その恐怖は福島原発によって呼び起こされたということもあるが。

 ただバーベンハイマーなどを見るに世界中で核の恐怖というものは薄れている。そこでこの「オッペンハイマー」はその恐怖の再確認に大きく貢献した。と言いたいところだったが、正直核の恐怖はそこまで描かれていなかった。
 私も原爆の被害については広島旅行の際に広島平和記念資料館を見た程度の知識だが、実際の日本の写真などが一切登場しないのには疑問を持った。まだオッペンハイマー自身が日本を気にも留めていない人物なのだとしたら映画の蛇足になるので描かれていなくても疑問には思わなかった。だが実際、オッペンハイマーは日本の状況を見て、後悔しているシーンがあった。ここで実際の核被害の写真を挿入するべきだったと思う。

 ここまで「核」に主題を置いて感想を書いてきたが、この映画を見ているときは正直核に意識がいかなかった。それよりも人間ドラマが完成されていて見ごたえがあった。

 この映画は観客がオッペンハイマーになることでかなり味がでると思う。だからこそ一回日本人として、というフィルターを外して、新しいことに挑戦する人間として見てほしい。そうするとより核の怖さも際立つと思う。

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