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【短編小説】運命を売るセールスマン

そのセールスマンは、ノックとともにやってくる。


N氏は仕事が遅かった。ミスも多く、頻繁に上司に怒鳴られていた。そのため昇給もほとんどなかった。

ある休日のことだ。
N氏の家のドアをノックする者がいた。N氏が出ると、セールスマンだった。

「私はきっとあなたのお役に立てると思うんです。何かお困りごとはありませんか?」

唐突な質問に面食らったが、N氏はありのままに答えた。

「はあ...、仕事がうまくいってなくてストレスが多いですね。給料も少ないし」

「それはよかった」

セールスマンはにっこり笑う。
人の悩みに「よかった」とはなんだ。N氏はムッとしたが、文句を言う間もなくセールスマンは商品を鞄から出した。

商品は、ストレス発電機というヘルメットのような機械だった。

「その名のとおり、ストレスで発電する機械です。最新研究に基づく試作品ですが、特別にご提供します。生活の足しになるかもしれませんよ」

胡散臭い。だが、面白そうだ。
N氏は冒険のつもりで買うこととした。

使い方はシンプルで、頭に被り、機械にケーブルを繋ぐだけだった。

発電量のメーターを見ると、かなり多いようだ。セールスマンは、発電量はストレスの多さに比例すると言っていた。それだけ自分がストレスを抱えているのかと思うと、憂鬱な気分になり溜息が漏れる。
さらにメーターが少し上昇したのが見えた。



発電量は予想よりも多かった。なんとN氏の家で使用する電力を全て賄い、余剰が出るほどの量だ。電気代がゼロになり、さらに電力会社への売電収入も得られた。生活の足しどころか、それをはるかに上回る効果だった。

一方で、N氏の仕事は相変わらずうまくいかなかった。上司に責められた日は特に発電量が増える。

仕事が停滞すればするほど発電量は増加の一途をたどる。やがて仕事の収入より、売電収入が多くなるようになった。

「すごい額だ...。いや、そもそも仕事の給料が安すぎるのか。成績も悪いしな...。15年も頑張り続けてきたけど、結局私には向いてないのかもしれないな」

深いため息が漏れる。
持ち前のネガティブ思考は、ますます発電量を増やしていった。

N氏はついに仕事を辞めることにした。
毎朝スーツに袖を通すときに上司の顔が頭に浮かんで気が滅入ったし、発電機を被っている方が結果的に収入も多くなる。もはや、仕事を続ける意味を見出せなくなっていた。

開放感でストレスが減ると発電量は急減した。しかし、それにN氏がうろたえ悲観的になると、発電量は回復した。極度の心配症のN氏とストレス発電機は、相性が抜群だった。



N氏の収入は売電のみとなった。今のところ生活できる分には稼いでいる。しかし、何かの事情で稼げなくなったら私はどうなってしまうのだろう。
そんな恐怖が脳裏にこびりつき不安になる。ストレスは減るどころか膨らんでいき、発電量も右肩上がりに増えていった。それは街全体の電気使用量を賄うほどになっていた。


やがて、潤沢な電力により街には新たな病院やデパート、カジノが次々にオープンした。N氏は街の人々から賞賛された。
市長からは「街のためにこれからもよろしくお願いします」との手紙が届き、市庁舎には肖像画まで飾られた。

そしてN氏のもとには、一生かかっても使いきれないような売電収入が毎月のように入ってくるようになった。
しかし、N氏はそれに喜びを感じなくなっていた。

「一生かかっても使いきれないなら、これ以上稼いでも意味がないじゃないか!
...もうくたびれた。誰も知らない土地に引っ越して、ストレスなくのんびりした生活をしたい」

N氏がそう漏らすと、それが翌朝の新聞のトップニュースとなった。
街の人々は、手のひらを返したようにN氏をバッシングした。N氏の家の前にはデモ隊が押し寄せた。嫌がらせの電話もずっと鳴り止まない。

「私がどうしようと、私の自由じゃないか!」

N氏は自分を守るため、"発電をしない自由"があることを確認する訴えを裁判所に起こした。
裁判は街中の耳目を集めた。そして、裁判長は判決を下した。

「憲法十三条では、あなたの生命、自由及び幸福追求に対する権利は認められています」

N氏は胸を撫で下ろした。
裁判長は「ただし」と続ける。

「条文には"公共の福祉に反しない限り"、とも書いてある。あなたが発電しないと、街の住民には大きな支障が出てしまい、公共の福祉に反することとなる。
よって、あなたに発電しない自由は認められない」

N氏は絶望した。その絶望によるストレスは未だかつてない発電量を記録した。
しかし、N氏は発電機械を頭から外してしまった。そして、発電機を自ら被ることはもうなかった。



N氏はついに逮捕、収監された。裁判所の決定に従わなかったからだ。

独房では手足を拘束された。頭には発電機械を頭に被せられ、拷問された。そのストレスによる発電で、街の人々の生活は保たれた。

街の人々は潤沢な電力に支えられた生活に慣れ、やがてN氏の存在すら忘れていった。市庁舎のN氏の肖像画も、ひっそりと撤去された。

長い拘束生活が続き、N氏は絶望することにも疲れ切っていた。

ある夜、N氏の独房のドアをノックする者がいた。

「...誰だ」

N氏がそう言うと、ドアの向こうから声がした。

「私はきっとあなたのお役に立てると思うんです。何かお困りごとはありませんか?」

あのセールスマンの声だ。
一体どうやってここへ来た?
そんな疑問が浮かんだが、そんなことはどうでもよかった。

「困っている!助けてくれ!」

N氏がそう言うと、ドアの向こうから

「それはよかった」

と声がした。そして、鍵のかかっているはずのドアを易々と開けて入ってきた。

「ご無沙汰しております。私、あなたのお役に立てるものを売っているんです」

そう言ってセールスマンはにっこり笑った。あのときと同じ笑顔だ。

「それは"自由"。いかがでしょう?」

「ああ、自由。何よりもそれが欲しい!」

N氏は歓喜した。

「それはよかった」

セールスマンはそう言うと、鞄から鍵の束を取り出した。このそしてN氏を拘束具から解放した。

独房を出て、二人は通路を足早に歩く。
先を歩くセールスマンにN氏は

「このまま逃してくれるのか?」

と尋ねた。

「あなたは脱獄したところで、またすぐに捕まってしまうでしょう。あなたが唯一自ん由を手にすることができる方法は、この鍵を使うことです」

そう言って、セールスマンは鍵の束の中の一本の鍵を示した。古ぼけた鍵だ。

それは、この収容所の地下のドアの鍵だった。セールスマンはその錆びたドアを開け、N氏を招き入れた。

その部屋の中央には、電気椅子があった。

「これが、私が自由になる方法か...。散々電力を生んできた私が、最後は電気で死ぬのか。しかも、発電してきた何億分の一程度の電力で」

唇の端がわずかに引きつる。N氏には、もはや自嘲するほどの力もなかった。

そしてN氏はよろよろと電気椅子に座った。セールスマンが電極を頭に被せる。

「準備はよろしいでしょうか」

「ああ...」

N氏はどんな表情だったろう。それは誰にも分からない。

セールスマンはスイッチを押す。

「お買い上げありがとうございました」


終わり

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