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あらゆる学びをデザインする。ラーニングデザインを家でも会社でもないサードプレイスで。

Impact HUB Tokyo(以下IHT)は起業家による起業家のためのコミュニティ。#IHTの中の人紹介 はIHTで働く人々にフォーカスを当て、人物像を深掘りするシリーズ連載です。

今回ラーニングデザインを担当しているNorikoさんにインタビューを行いました。ポートフォリオワーカーとして、大学でも、学生に向けてスタートアップのリアルを講義しながら自由な働き方をしているNorikoさん。

「私は、小さいころから知識とか情報に飢えを感じていたんですね。お腹減って飢えているっていう感覚を覚えたのが中学生のころで、とにかく学びたいとか、勉強したいというよりは、新しい情報とか知識とかを吸収して世界を広げたいという思いが強くありました。

「起業家教育って、はしごをかけた側にもものすごい責任があると私は考えていて、関わった以上、点で終わらせず線で関わりたいと思っています。どんな道があってもいいと思っているし、最後の出口まで自分たちが強制することもしたくなかったんですね。

こうした多様なゴールとか、それぞれの状態をぜんぶ認める、受け入れてくれるという、そういうことを許しているIHTっていうのは、自分ともとても親近感がわきました。」

今では自分のやりたかった’学び’という分野で自由に働いているNorikoさんですが、新卒で入った会社は男尊女卑が強く、戦うような働き方をしていたことも。

そんな過去から、ラーニングデザインにIHTで携わるまでどういうストーリーを歩んできたのでしょうか。今回のインタビューではNorikoさんのWhyに迫ります!

あらゆる学びをデザインするラーニングデザイン


——ラーニングデザインというお仕事はあまり聞き慣れないのですが、どのようなお仕事なのでしょうか。

まだあまり体系化されているものではないのですが、コミュニティの中と外をつなぐあらゆる学びをデザインしていて、学びの機会のお手伝いや、参加者の人たちの学びや気づきを増大させるポイント、コミュニティ・ビルダーが仕事を通して得る学びの増大の仕方などをアドバイスしています。

そのためのリサーチ、アウトプットなど、いろいろなデザイン業務をはじめ、起業家に対する学び、コミュニティ全体に対する学びを深めるため、コンセプトを一緒に壁打ちをしながらまとめていくという作業もサポートしています。


ポートフォリオワーカーという働き方


——Norikoさんは大学でも働いているとお伺いしたのですが、どんな働き方なのでしょうか。

最近の流行りのポートフォリオワーカーと自分をタグづけしています。40%ぐらいIHT、40%ぐらい大学、残りの20%はこどもがいるので、母兼自分の好きなことをひたすらやるという働き方ですね。

これだけ聞くととても楽しそうな働き方ですが、柔らかい雰囲気からは想像できないような、男性に負けずと戦う驚きの日々を過去にもつNorikoさん。まずは就職活動時代に遡ってみましょう。


飲みニケーションの世界で戦い続けた会社員時代 

大学で就職活動をするときに、世の中をよくしたいなあという漠然とした思いはあり、大元のインフラや生活水準を考えました。じゃあそこに使われる素材をよくすればいいと思って、そのときの私でも戦えるところってどこだろうと考えて、金属系の商社に絞って受けていたのです。

——すごい発想ですね笑 戦えるという言葉を使うのも珍しいと思います!

受けたところでも、おじさんたちに君、変だねーっていわれていました。財閥系のところもうけて「うちは男尊女卑なんだけど君にきて欲しい」と言われました。そのときはオープンで逆におもしろいと思ったのですが、最終的には女性でものし上がれると感じた非財閥系の会社への就職を決めました。その時点で私が’女性としてのし上がる’という、自分自身にタグづけ、ラベリングをしていたのですね。

まわりはみんな男性で、当然私も、早朝出勤とか残業当たり前、ぜんぶやってやる!と頑張っていたのですが、最終的にストレス障害になって、涙が勝手にでてきたり、味覚がなくなってきたりしたんですよね。

当然のように飲みニケーションの世界で、タクシー送りになることも多々ありました。何回か救急車で運ばれたこともあり、3回目ぐらいにお医者さんに、「もう来ないでください」といわれ、さすがにこのままじゃいけないなって思いました。

自分自身がどうして働くのかなって考えたときに、つまるところ家族を幸せにしたいんだなって気づいて、でもそんな私の働き方を見た家族は、すごく悲しんでいたんです。それを思うと、自分はなんのために働いているのかもはやわからないと。

そのことがあって、周りの男性たちの言うことには従わず、私は私のやり方を貫くことにしました。そうすると会社のパフォーマンスも伸びたし、社内の活動も伸びるというプロセスに入って、認めてくれる人と、そうじゃない人たちが分かれてきたりしてきて、自分のやりたいことで、自分の意思で仕事しようと思いました。

自分が何がしたいか答えられなかったNYでのできごと。

頭を少し冷やそうと、有給を使ってニューヨークにパッと行ったのです。そこで現地で新しく知り合った人たちと一緒に、自分たちの未来やキャリアについて語る機会がありました。

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ニューヨークにわざわざ来る人って、非常に意志が強い人たちも多いので、お金をためて、もう1回ロースクールに入りたい!私は俳優になりたい、だから今はこういうことをしている!などと語っている中、「Norikoどうしたいの?」って言われて、なにも言えなかったんですね。そのことが結構ショッキングで、悔しくて。

家でも会社でもない、サードプレイスの存在の大きさ


日本に帰って改めて自分に起きたことを整理していたときに、社会人になったときに、家と会社の往復だけになっている人ってすごい多いなと思って。自分自身を、どうありたいかを実現する場所が会社以外になくなってしまう。その環境に合わなかったときに、責める方向がすべて自分になってしまうんです。

家でもない会社でもない、そういう存在、サードプレイスを今は必要としているんだなっていうことに気づきました。帰国後からはライフワークとして自分がいいなと思ったサードプレイスで、企画運営をはじました。

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ライフワークを本業にしたいという思いから、結局商社は送り出してもらう形で退職し、スタートアップの会社に転職しました。

学生の選択肢に、輪郭をもたせたいという想い

——自らの経験から、サードプレイスの存在の大きさに気づいたのですね。大学で働きはじめたのは何がきっかけだったのでしょうか。

スタートアップの会社で働きはじめて2年くらいして、大学の教授から、スタートアップでのリアルを大学生に伝えてくれないかという相談を受けました。自分自身やりたいと思ったこともあり、会社に伝えたところ認めてもらえたので、1年ぐらいは大学で講義をしながら会社の仕事もやっていました。その後スタートアップの会社も退職し、大学の仕事は今も続けています。


——大学生は、スタートアップのこととか、働き方のこととか、知っている中でしか選択できないから、Norikoさんが大学生にとってロールモデルになりそうですよね。知らないから選べないし選択肢にも入ってこないと思うんです。

私の教えている大学の人たちはスタートアップとかベンチャーに就職する人が全然いない、かつ起業に関する情報というものがほとんど更新をされていない大学なんです。OB・OGも誰も辿れていないし、そういった進路をとる卒業生がそもそも少ないからロールモデルも少なくて、自分自身のキャリアとベンチャーとかスタートアップというものが結びついていない学生が多いんですね。いわゆる起業家の自叙伝だったり、資金調達をしたとかそういう情報しか降りてこないんです。

今の学生さんたちは、私と同じようにポートフォリオワーカーになる人もいると思うし、メインの仕事じゃないとしても、副業で起業をしたりとか、ずっと起業家として歩むわけじゃないけれども、一時的にやってみて、途中でポジティブな理由で廃業して会社員に戻るとか。色々なキャリアがあって然るべきだと思うんですね。

でもそのときに、わからない、怖いからその選択肢を諦めるというのは機会損失だと思っていて、そんな彼らにさらに輪郭を持たせたいと思っています。そのために、自分自身が経験したことも踏まえ、大学外の起業家、起業家を支える人たち、起業家に投資をする人たちとなどと連携をして、プロジェクト型の講義を提供しています。

点じゃなくて線で関わる起業家教育


——IHTにはどういったご縁で参画することになったのでしょうか。
スタートアップの会社で働いている中、原体験を与えるという中高生向けの起業家プログラムに携わっていることがあって、自分自身のありたいことをベースに、どう生きるか、どう働くか、どう学ぶか、判断軸を作るきっかけをデザインするラーニングデザイナーという職種をずっとしていました。

短期間で濃密な時間を、親でも教師でもない異質な大人な人たちが関わってくれたときの学生の変化の幅ってすごいわけです。でもみんなが同じ期間とかプロセスを経れば、いい結果を必ずしも全員が得られるとは限らない。プログラムが終わって帰ってきたら急にはしごを外されてやる気を失っちゃった子とかも見たんですね。

この経験から起業家教育は、はしごをかけた側にも、ものすごい責任があると私は考えていて、はしごをかけたんだったら、子供であっても学生であっても起業家なので、彼らに接した以上、関わった責任をしっかりとまっとうしたい、点で終わらせないで線で関わりたいと思っています。

多様なゴールとか、それぞれの状態をぜんぶ認める、受け入れてくれるという、そういうことを許しているIHTっていうのは、自分ともすごく親近感がわきました。長期的な視点で関われる起業家のコミュニティをあらためて探したときに、フィーリングとか、自分の言語化していたものとばっちり合ったので、ストレートにオファーしたのです。

経営者の人たちって、まったく違う事業をやっていたとしても、似たような失敗をするんですね。例えば黒字倒産はある程度のチェックポイントがあったりするように、事業は違えど、失敗するって、ある程度の勘所みたいな、失敗しやすいポイントっていうのがあります。

そのデジャヴというものが、客観的に見える、ということは、問題解決できることだと思ったんですね。自分のやりたいことや、求める起業家への伴走の仕方とか、すべてが腹落ちしてきて、ここで働きたいなと思って受けました。

——ƒFチームに入っておもしろいなと思うことはありますか?
発散的な思考プロセスを楽しめることですね、今まで自分の携わってきた企業だと、ゴールを1回決めたらそれにつながるように、ビジネスとか、日々の動きかたとか、人々の行動がデザインされていくんですけど、IHTはあくまでも今やっていることは変わり得るものだという前提で企画をすることを許してくれる。自分たちが今作っていること、やっていることを躊躇なく壊すことができる。壊すことにためらいがないというのはおもしろいなと思っています。

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学びというところで例をあげると、過去の学びはこうだった、今の学びはこうだ、だからこうするべきだ、というのは普通の企画の立て方だと思うんですけど、IHTの場合だと、そもそも学びってなんだっけ?という、もっと上流にさかのぼって考えることを許してくれるんですね。

今まで自分がスタートアップで、短い期間の中で、プログラムをどんどん書いていすごく忙しかったときと比較すると、なにかひとつのプログラムやイベントをやるにあたっても、きちんと思考する期間があるというのが、非常に自分はおもしろいなという風に感じています。


広がり続ける学びへの欲


——働いてみて変わったなと思うことはありますか。

今までの仕事で、起業家のプログラムをみすぎてしまったというのもあってIHTの企画を無難な方向に導いてしまいそうになったことがありました。

Unlearn(学んだことを一旦リセットする)を自分はできたと思っていたけど、思い違いで猛省したことがありました。より自分たちがワクワクするとか、知的好奇心が爆発するような内容で書くことを、自分の中でどこかセーブしていたところがあったんですね。なのでそれをもう解禁して、カチってアンロックして、想像力をたぎらせて企画を書く、プログラムを考えることをさせてもらえているのはありがたいなあって思います!

けどそれには相応のインプットがないといけなくて、変わったなというポイントでいうと、もともと知識とか情報に対して飢えを感じると言っていたこの感覚が、以前にも増して強くなったのではないかと思います!


——これからやってみたいなと思うことはありますか?

事業を起こす、本業を立てるというひとだけでなくて自分自身がこうありたいというのを実現していくことが、アントレプレナーシップだと思っていて、そのために問いを立てて行動していくために、対話やコラボレーションの機会の創出などに携わっていきたいなと思っています。死ぬまで起業家教育に携わるだろうと思うし、そういう部分でもしかしたらその先が起業家というひとがアーティスト、フリーランサー、会社員だってあると思うし、日本の起業家の定義自体が綺麗に破壊されていくのをみたいなとも思っています。
あといつかは、みんなの自由な学びが開かれるような学校を作りたいですね!

幼い頃から、学ぶことに対して貪欲だったNorikoさん、一度は商社に勤めるものの結局回り回って原点の学びに戻ったような印象です。自ら、大企業やサードプレイス、大学も働いて、感じた経験を生かし、さまざまな角度から起業家やチームに伴走し、学びをデザインしていく姿がとても印象的でした!

今回も個性あふれるHUB メンバーのストーリーが聞くことができました!
次回はどんなストーリーに触れられるのでしょうか。
乞うご期待です!

今までのチームメンバーの記事は#IHT中の人 の紹介でも
お読みいただけます。


ぜひご一読ください。

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