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動画データの海をすすむ潜水艦

前回(→コチラ)は、カメラ撮影がアナログからデジタルへ変遷した過渡期について書き留めたのだが、動画の撮影と共有(配信)についても少しだけ追記しておきたい。少しと言いつつ、どうせ脱線しながら長くなってしまうことを先に謝っておきたい。謝るそぶりを見せながら、じつは結果的に3000文字くらいに落ち着くことを願ったりしている横着者である。

記録する方式がアナログからデジタルになっても、丸いボタンを押して撮影することに大きな変化はないので戸惑いは少なかった(前回に述べたISO感度を自在に設定できるので、設定の要素は3極に増えているが)。記録の媒体は決定的な違いだが、もうひとつ忘れてならないのは「1台の装置で静止画も動画も同一のメディアに記録できる」ということだろう。
それは、デジタル一眼でもミラーレスでもコンデジでもスマホでも同様だが、手軽かつパンフォーカスなスマホと動画撮影の相性は良さそうである。えっ?動画で撮ってたの!?という会話も珍しくないほど身近になった。

運動会を撮るなどの目的でビデオカメラ(ムービー専用機)の需要は残っているだろうが、このジャンルはGoProなどのアクションカムが主役であり、用途を特化したものが生き残っている様相である。そして運動会には縁が無かったこともあり、経験の少ない私は動画撮影を苦手としている。
静止画は切り取る作業だが、動画は被写体を連続的に追い続けるので、まったく異なるセンスとスキルが必要であり、それらが自分には圧倒的に足りていないのだ。

しかし、事態は良からぬ方向へと転がってゆく。動画であり尚かつ3次元という深淵を覗いてしまったのである。
最初は小ささと手軽さに感動して手にしてみたカードサイズの超小型ドローンがあまりに呆気なく昇天したので、自律的に姿勢制御するドローンが欲しくなってしまうのは自然なことだった。パイロットにでもなりたかったの?と誰かに聴かれても、単純に上から景色を見てみたいという好奇心だけであり、会話が膨らまないことは今でも心苦しく思っている。
姿勢制御なのに2度ほど墜落させて2年間で3機目となるが、そこに執着があるとすれば、あまりにも操縦と撮影が難しいので、なんとか御したいという悔しさが原動力なのだと自己分析している。

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ここで唐突に、30年ちかい昔に描かれた漫画を挿話したい。
かわぐちかいじ先生の「沈黙の艦隊」という漫画(アニメ化されているのでHuluなどで観たひともいると思う)なのだが、それは、極秘裏に建造された一艦の原子力潜水艦で海上自衛隊員が独立国家を宣言し、その独立を実現するために世界の海で死闘を繰り広げるという壮大な物語である。

浅い深度で海水面に姿を見せている原子力潜水艦と洋上のミサイル巡洋艦が対戦するシーンを思い出している。
米国の巡洋艦の艦長は(解説ぎみに)「潜水艦は姿を見せたときが負けなのだ!」と、セオリーからするとド正論のセリフを叫ぶのだが、主役は潜水艦なので死亡フラグが立ってしまう。潜水艦の艦長(海江田四郎海将補)は「どんな洋上艦だろうが、下につかれたら3次元航行可能な潜水艦には勝てぬ」と、前部タンクをブローすることで艦を水中で起立させ、真下から巡洋艦に魚雷を打ち込んで自滅させるのであった。
余談ついでに、もし好きな原子力潜水艦を聴かれたら米国のシーウルフ級と答えるだろう。ロシアのアルファ級に速度では及ばないが、圧倒的な攻撃力と静粛性であり、サイドソナーの突起部分も萌えポイントである。

海面上を移動する洋上艦は、水平面を主体にして構図を決める通常のカメラ撮影を想起するが(強引すぎ?)、ドローンは潜水艦のように3次元的な動作をするので、想定される構図は無限に広がる。洋上艦と潜水艦では見えている世界が違うように、風景ひとつ撮影するにも通常の撮影で積んだ経験値はドローンでの撮影に殆ど応用できないのである。少なくとも、どちらも未熟な自分にとっては。
あらかじめ「上空からはこんな感じに見えるだろうな」と予想して飛ばしても、当然、想像とは違う景色が広がるので慌ててカメラをピッチ(上下角)方向に動かしてしまい、動揺して操作はバラバラになり、どんな景色も見るに堪えない動画に仕上がってしまうのだ。

私の入門機にはカメラを水平に保つ3軸ジンバルが搭載されているが、アナログな動きが可愛いジンバルに救われても、思い通りには撮れないところが面白くもあり悔しくもある。面白がっているうちは優秀なサブマリナーにはなれないのだろうが、ドローンについては機会があればnoteに少し詳しく記録してみたい。

受動的に撮られる(撮られている)機会というのも日増しに増加しており、撮られていることを意識させずに監視カメラは黙々と録画を続けている。その存在は犯罪の抑止になっているし、防犯目的以外でデータが使用されることはない前提なので、肖像権を云々する市民は皆無だ。商店街や個人宅の防犯カメラ映像をコマ送りして、街中を暴走するクルマの速度を分析したりもされている。
ドライブレコーダーも意識させずに記録を続けている。前車に貼ってある「録画中」のステッカーを目にしながら運転するのは愉快ではないが、事故が起きたときに係争で揉めるケースが激減するので、普及は歓迎しなくてはならない。
これらはバックグラウンドで一定期間の記録をしているが、(通常は)鑑賞の用途とはしておらず、やがて古いものから上書きされてゆく。

他方で、観る用途にしているのがライブカメラであるが、これは基本的には特定の人物の役に立つことを目的にしていない。すでに廃線になった小さな駅舎を見下ろすだけのライブ映像を十数人が観ているので、それぞれが役割を見いだしているかも知れないが、そんな感じで受け手に委ねられる。
さすがに廃駅の動画は永久アーカイブされていないだろうが、デジタルであることを良いことにライブ配信し放題の世のなかが到来した。いや、それは新しい伝達の手段として双方に都合がよく、必然的な帰結と言えるだろう。
YouTubeで配信されているスペースXの(民間初の)有人宇宙船「クルードラゴン」は、本日未明の打ち上げの前後で(私が確認した時点では)52万人が同時視聴していた。このような中継しっ放しはネットでのライブ配信の醍醐味と言える。(タッチパネル式だし、宇宙船もモダンになったなぁ)

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2025年には生成されるデータの30%がリアルタイムデータになるという予測もある。現在、44ZB(1ZB=1兆GB)である生成データは、同年には170ZBにまで膨らむと言われるが、アナログ感覚が抜けていないのでデータ量が指数関数的に増大することを恐怖に感じるのは私だけだろうか?

個人で保有するデータでも、過去の撮影データを引き継ぐiPhoneを機種変更する時には容量を1ランク増やしてやらないと、新しい機種が腹パンの状態での始動になってしまう。後からストレージを増やせないiPhoneは、悔しいかな大容量の機種で莫大な利益を稼いでいるとも聴く。
過去の撮影データすべてが必要とは思えないが、のちに消去しにくいと解っているとデータ量が大きい動画の撮影には、つい躊躇してしまうのだ。

ときに、ライフログのように動画を撮影している(ちょっとオタク気質な)独身の知人がいる。ひとりドライブするとき、趣味の釣りを楽しんでいるとき、山登りをしているとき、保有している3台のGoProでバッテリーを交換しながら延々と記録し続けている。
それら撮影データはすべて4TB+4TBのサーバーにミラーリング(自動バックアップ)させながら保管していると聴いたが、その8TBにも限界が来たので2機目を買ったと自慢するでもなく言っていた。
どうやら彼はSNSや配信には嫌悪感を持っている様子で、SNSのコミュニティーだったりYouTubeで不特定多数に編集した動画を共有することは毛頭考えていない(facebookどころかLINEアカウントすら頑なに開設を拒み、いまでも連絡手段はメールという不便さなのである)。
高価な赤道儀で撮影する彼の天体写真も見事だし、動画編集は仕事にするほど得意としているのだが、それら生成物は多くの目に触れるでもなく、ただ蓄積されてゆくだけなのだ。

自分は(頻度は少ないが)共有することで、「撮影する=データを蓄積する」という行為に意味づけが為されると感じているので、誰にも観られることのない死蔵データが増え続けるのはホラー映画よりも身近な恐怖だ。
かく言う自分も、死後にネット上に全データが存在し続けるのは怖いので、クラウドでバックアップを取ることだけは避けている。終活としてデジタルデータの適切な処分や選別(もし有用なデータならアーカイブ化)が不可避の時代が目前に迫っているだろう。
溺死だけは御免なので、そんなサービスが間にあって欲しい。

※ 1年半前に撮影した動画を埋葬しておきます


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