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「完成品を素材に」〜符亀がボドゲの制作のために考えていること〜

はじめましての方ははじめまして。符亀と申します。

今回は、Board Game Design Advent Calendar 2023の1日目を担当させていただきます。#BGDAC には去年一昨年に続き3回目の参加ですが、ゲムマが12月になったせいか誰も10日より前を担当しようとしなかったのでついに初日の先鋒役を務めることとなりました。

初日担当ということで、漫画やら文章術やらの話をしていたこれまでとは異なり、ちゃんとボードゲームの話をしようと思います。具体的には、この春にSui Worksさんから出版いただいた「RATORO ラトーロ」の話、およびこの秋に頒布予定の新作「バーグリアン」の話をします。




「らしい」ゲームの発想法

ありがたいことに、私たちのゲームには「符亀らしさ」があるようです。例えば、新作の「バーグリアン」で3作目となる「ミニマリアン」シリーズは、シンプルなルールや短いプレイ時間にも関わらず濃密な思考が要求される点をマニアな方々に評価いただいています。また、「皇継の書状」や「RATORO ラトーロ」のような他の方と合作した作品では、(そのジャンルにしては) 短めのプレイ時間や、+αのルールの斬新さを評価いただいているように思えます。こういうの自分で書くのは恥でしかないのですが、みんな知ってるよねで押し通せるほど知名度がないので逆に書き出さなきゃならんのですな。

で、こういう「らしさ」というのは、今のボードゲーム制作、特に同人ボドゲ制作においては重要だと考えています。というのは、今の同人ボドゲ市場はかなり飽和状態であり、趣味で作っているはずの我々素人も、他のゲームとの差別化を考えるべき状態になっているからです。もちろん、好きなものを好きに作って何が悪いというご意見もごもっともですし、むしろ私なんかは、市場を考えずに好き勝手してたまたま生き残ってきた人間です。とはいえ、わざわざこんなnoteを見にくる方はこういう理論のお話がお好きかと思いますので、今回は「らしさ」はあるにこしたことはないものとして書いていきます。

この「らしさ」というのは、つまり「他の人には作れないものを作る」ことを指すでしょう。ですが、こんな大量の同業者がいる状態で素人が新しいアイデアを連発するのは、普通不可能です。それこそ、先人が思いついたけどあえてやらなかったことをやらかすのが関の山です。

では、我々は諦めるしかないのでしょうか。何か、凡人の頭でもそれっぽいことができるやり方がどっかに載っていないものでしょうか。


小林賢太郎がコントや演劇のために考えていること

ところで、皆さんは小林賢太郎さんをご存知でしょうか。

氏は、「ラーメンズ」という今も根強いファンのいるコンビで活動していた方で、現在は劇作家および演出家として活躍されています。そして、2014年にその考えをまとめた書籍「僕がコントや演劇のために考えていること」を出版しています。

本書は氏の「考えていること」99個を1ー2ページの解説と共にまとめたリストのような本で、その中に以下のような記述があります。

完成品を素材にする
消費者がお金を払って買うのは、自分で作れないものです。「これなら自分にもつくれそうだ」と思ったら、購買意欲は一気に薄れます。
(中略)
しかし、僕はあるやり方を見つけました。これを実践するようになってから「どうやったらこんなコントを思いつくんですか」とよく聞かれるようになりました。これは、観客にはつくれない領域に持ち込めたということです。
まず、自分ひとりの脳みそで考えてコントを1本完成させます。この段階で充分ライブで成立するクオリティまで持っていきます。でもこれは上演しません。
次に、そのコントのことを1回忘れます。まったく違うことに気持ちを向けたり、何日か放置したりします。
それからもういちどそのコントを取り出してきて「素材」としてあつかうのです。これは推敲とは違います。まったく別な物の一部にしてしまうのです。劇中劇としてあつかってしまったり、別の完成品とミックスしてしまったり。
(中略)
タネ明かしをすれば、そんなコントをいきなり思いついたわけではなく、何人ぶんもの自分の脳みそを掛け合わせてつくった作品、ということなのです。

僕がコントや演劇のために考えていること」P60–61

いいやつ、あんじゃん!!


符亀がボドゲの制作のために考えたこと in RATORO ラトーロ

RATORO ラトーロ」は、ボツにした2作品のアイデアを掛け合わせて制作されました。

ここらで一発画像を貼るわよ。

1つ目は、「皇継の書状」の年、つまり活動5周年記念のゲームマーケットで頒布予定だった、ワーカープレイスメントです。陰陽師をテーマとしており、ワーカーである式神に妖狐コマを乗せることで憑依させ、そのワーカーのアクションを奪うギミックが目玉でした。バランス調整段階まで進んでいたのですが、乗っかられたワーカーが機能しなくなり一手分損するのが妨害として強力すぎて、窮屈なプレイ感でした。その後たまたまPolygonotesさんに久々にお会いし、記念作なのでまた共作してくれませんかという依頼を快く引き受けてくださったので、こっちをボツにして「皇継の書状」が生まれました。危なかったぜ。

2つ目は、4年前ぐらいに某サークルと合作する案が出たときに企画した、デッキ構築です。買ったカードをデッキではなく自分の場に置いて、そのカードについたタグを集めていくゲームでした。カードを買えば買うほど「自分の場の◯タグの数までカードを引く」カードが強くなったり、タグが複数あるカードとタグは無いが効果が強力なカードとどちらを買うか悩む、そんな展開をイメージしていました。企画書を渡した時点であちらがあまり乗り気でなく、その後あちらが忙しくなったのを見てこちらが遠慮し、自然消滅した企画です。

で、時は経って去年12月。Sui Worksさんとの合作が決まり、初回の打ち合わせで2案を投げ、どっちをベースで進めようか (または完全新規でいくか) をうかがいました。で、帰ってきた回答がこちらです。

遅くなりました!
カード100枚前後+コマという仕様でいきたいんですが、いかがでしょうか?

2022年12月11日当時のDiscord 原文ママ

待て、質問に答えろ。

詳細不足していてすいません!
いったん、保留にしていた2つの案のあいのこ的なことができないか?と考えています。(後略)

2022年12月11日当時のDiscord 原文ママ

マジかお前。(なるほど、面白いですね。(当時の返信原文ママ))

いや、実際、この提案は面白いと思いました。ボツ案をそのまま再利用するのではその程度のものしかできませんし、合作なので私一人では出せなかったアイデアを出したいですし、そしてこの時点で「僕がコントや演劇のために考えていること」は読んでいましたし。

というわけで、2案を合体させるために頭をひねりました。元々1案目のワーカープレイスメントでワーカーを乗せるアクションスペースはカードだったので、それを集めていくギミックを作ると、上手く合体できそうです。じゃあ資源を集めて、それを使ってカードを買うのはどうでしょうか。そうするとアクションスペースが消えるので、どんどん新しいカードを、それも前より強力なものを出してインフレさせればテンポも増すでしょう。一方、ワーカーの上に乗っかるアイデアはいいとして、その結果アクションができなくなるのはボツ案の二の舞なので、別の効果にすべきです。とはいえワーカーが乗っかるギミックは残すつもりなので、ワーカープレイスメント自体が複雑になりそうですから、集めるカードの得点化方法は単純な方がいい。つまりタグが良さそうです。タグなら「◯タグの数だけ資源を得る」系のアクションが作れ、成長も感じてもらいやすいかな。うん、いけそう。

そんな感じで16日に企画書を送り、「RATORO ラトーロ」の原型が出来ました。ここからいろいろと迷走したりSui Worksさんに叩き直してもらったりシステムを増やしたり減らしたりパラメーターをコネコネしたりしたわけですが、今回そちらは触れません。


符亀がボドゲの制作のために考えたこと in バーグリアン

「RATORO ラトーロ」は合作相手の無茶振り的な要請により「完成品を素材に」することになりました。一方、「バーグリアン」の方は完全個人制作なので、一人で勝手に素材にしました。味をしめるな。

また雑に画像を入れるわよ。

「バーグリアン」の素材は、バッティングゲームです。1から6の数字の書かれたカードを各プレイヤーが持っていて、1枚を全員が同時に出す。出したカードが他の人と同じなら無効とし、被っていない (バッティングしていない) カードの中で一番大きい数字を出した人が1点をもらえる。ただし、被った人はその被った相手に自分のカードを渡し、さらにその人が次に出すカードを選べる。これを繰り返して、一番合計得点が高かった人と、その人に一番自分のカードを送れていた人たちが勝ち。そんなゲームでした。ちなみに制作のきっかけは、久々に「ツミカブリ」をやったら自作なのに面白くて、またバッティングゲームを作りたくなったからだったりします。

で、まあ一応面白みはあったのですが、「全ラウンドで被った結果、最初以外自分の意志でカードを出せなかった」人が登場してボツになりました。冷静に考えたらそりゃそうっすよね。

というわけで、しばらく放置してから、素材にするためもう一回こいつに向き合いました。本作で作りたかった体験としては、出したカードによって勝ち馬に乗れるかもしれないとワンチャンを狙う期待と、他のプレイヤーをコントロールする快感です。上のボツ案ではこの両方を数字に担わせていましたが、前者の便乗狙いは色 (マーク) に、後者のコントロールは数字に担わせて見通しをよくしました。そして勝ち馬っぽさを分かりやすくするようなメカニクスとして、あとどれぐらいで勝てそうかが手札枚数で見え基本一人勝ちになる、ゴーアウト (手札を出し切るゲーム) を選びました。カードを出せる条件を複雑にすると自分のカードに対し相手がどれをさせるのかがパッと見でわからずコントロールする爽快さが失われるので、単純な「色が同じか数字が大きければ出せる」を採用しました。しかし、それだけだと1枚ずつしか出せないため手番順が遅いとあがれないので、2枚同時出しのルールも作りました。そうしているうちに得点だけでなく出せるカードを決める要素にも色が入ってきてしまったので、逆に数字にも得点に絡む要素を持たせました。あら不思議、これで「バーグリアン」のルールの完成です。

いや、正確にはここまでが「シリアリアン」の頒布前にできていたルールで、その後「シリアリアン」が予想外にヒットしたためにハードルが上がってもうちょっと調整する羽目になった (例えば手札調整のフェイズを加えた) のですが、そちらも今回触れません。


「らしさ」と「完成品を素材に」の意義

このように、一回作ったゲームを素材にすれば、素材よりいいゲームができます。
単なる「2つのアイデアを掛け合わせる」のとは違い、一度可能な限りアイデアを詰めたからこそ、そのアイデアの弱点を何で補えばいいか、パーツにまで分解するなら何を残せばいいかが分かりやすくなります。もしまだゲーム制作歴が短い人がこれを読んでくださっているのなら、ボツが出ることを恐れずに、アイデア出しを続けてほしいと思います。制作歴が長い人は今まで通りボツに苦しんでください。

ただ、この方法では実質的に複数作品分のギミックが1つのゲームに詰め込まれるため、ワンアイデアで作ったものと比べ複雑なルールになりがちです。はたして、販売戦略としての「らしさ」のために、プレイヤーを複雑なルールに付き合わせていいものなのでしょうか。

私は、ダメだと思います。


もう一度言います。

私は、販売戦略のためにプレイヤーに負担を押し付けるのはダメだと思います。


いや、お前4000文字前に書いたこと忘れたのかよと思われるかもしれませんが、よく見てください。

で、こういう「らしさ」というのは、今のボードゲーム制作、特に同人ボドゲ制作においては重要だと考えています。というのは、今の同人ボドゲ市場はかなり飽和状態であり、趣味で作っているはずの我々素人も、他のゲームとの差別化を考えるべき状態になっているからです。

4273–4399字前の記述

そう、私は一言も「らしさ」を飽和した市場で「自作ボードゲームを売るため」のものとは書いていないのです!ズルじゃん!!!

とはいえ、「完成品を素材に」すること自体がダメとは言いません。だって、そう言っちゃったら全部書き直しになっちゃいますからね。「完成品を素材に」とは、ゲームを売るために使うものではなく、ゲームを買ってくださる方やそれを遊んでくださる方のために使うべきものなのです。


ここで、「完成品を素材に」したゲームに何が起こるかを見てみましょう。まず、その手法の目的が達成されているなら、そのゲームは斬新なものになっているはずです。わざわざ古典の名作ではなく同人のよくわからないゲームを買って遊ぶ奇特な方々にとって、斬新さは好意的な評価点であり、あるとうれしい要素でしょう。しかし、ボードゲームとはプレイヤーが説明書を頼りにゲームの進行まで行う必要のあるメディアであり、本当に全てが新しい未知のゲームは、どうしたらいいのかわからずにまともに遊べません。つまり、一部はわかるけど一部は新しい、そんな絶妙なやつが必要なのです。

その点において、「完成品を素材に」したゲームでは、「素材」という既知の部分をとっかかりにできます。斬新さという魅力を、素材のわかりやすさのおかげで、簡単に味わうことができるのです。

つまり、「完成品を素材に」は、販売促進のためならゲームを複雑にしプレイヤーを苦しめていいと考えるカス制作者のためのものではなく、むしろ斬新なゲームをなんとか分かりやすい形でプレイヤーの皆様に届けられないかと頭を悩ます、慈愛に満ちたゲーム制作者のためのものなのです。

つまり、そんな手法を広めんとする私は、もはや愛の神と呼べるほどに慈愛に満ちあふれた光の制作者、愛の制作者とも言えるのではないでしょうか。

いや人を苦しめて喜ぶカス制作者じゃねえか!!!!!!!!


まとめ

「完成品を素材に」、つまり一度なんらかの制作物を作ってからそれを元ネタに別の作品を作り直すことで、普通には思いつかないような斬新な作品が出来うる。

「完成品を素材に」すると、面白さとわかりやすさを両立した作品を作りやすい。

ゲーム制作は、それを遊んでくれる人のことを思って取り組むべきである。

符亀はカスである。


参考文献

僕がコントや演劇のために考えていること」 小林賢太郎
直接の元ネタ。
技術自体よりも精神的な話が多く、最初に読んだ時はあまり刺さらなかったっぽいですが、今読むと面白くて当時の見識の狭さが恥ずかしいですね。というか、当時「ちょっと高いです」とか言ってるのが不遜すぎる何様だよ。

ラベルにダメな理由を書いて。
マリオの25周年を受けて行われた糸井重里さんと宮本茂さんとの対談で、今回取り上げたのとは別の形でダメだったアイデアを再活用する方法が述べられています。実は最初はこっちのネタで書くつもりだったんですよね。エッ、これも「完成品を素材に」した…ってコト!?(完成品どころか一文字も書いてもないので違う)

RATORO ラトーロ
バーグリアン
今回ネタにしたゲームたち。
「バーグリアン」の方は、なんと今回のゲームマーケット2023秋の新作なので10日後には購入可能です!しかも今なら予約も受付中!!やったね!!!
あ、「RATORO ラトーロ」の方は完売したのでもう手に入りません。


最後までお読みいただきありがとうございました。明日以降も、豪華執筆陣による面白そうな記事が目白押しです。楽しみですね!

では、10日後のゲムマで配る予定のゲームの説明書を書きに戻ります。

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