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文章術、あるいはボードゲーム制作法

ほとんどの皆様、はじめまして。そうでない方はお世話になっております。符亀と申します。今回、Board Game Design Advent Calendar 2021の2日目を担当させていただきます。よろしくお願いいたします。

制作を始めて5年目、最新作「バックハンダー」を含め、既に9作品を頒布してまいりました。しかし、拙作も私自身もまだまだマイナーです。こんな状態で拙作のデザインについて語ろうとしても、それがどんなゲームなのかから説明が必要です。大多数の方は、その前提部分が終わるより前にお帰りになられるでしょう。

では、どうすべきでしょうか。ゲムマ前の忙しい時期から宣伝もそこそこに考えた結果、一つの妙案が浮かびました。

というわけで今回は、文章術の記事を書かせていただきます


すみません、言葉がたりませんでした。

今回は、私がボードゲームデザインについて重要だと考えている点を、まず文章術の観点から書かせていただきます。


なぜ「文章術の観点から」書くのか

なぜ、今回こんなテクニカルな構成をとったのか。上述の理由も大きいですが、より重要な理由がございます。それは私が、文章とは最も簡易に練習を重ねられる創作メディアだと思っているからです。

皆様忘れかけてきた頃かと思いますが、これはBoard Game Design Advent Calendar 2021の記事です。なので、ボードゲームを例に出してみましょう。ボードゲームを作る場合、まずモックと呼ばれる試作品を作り、それを1人または複数人で遊んでみるテストプレイによって改善し、イラストを描き、説明書も書き、(ほとんどの場合)印刷所さんに送るデータを整え、箱も作り、製品が来たら検品し、人によっては丁合というカードやコマを1セット分になるようにまとめる作業をし、ようやく頒布可能なものができあがります。私のPCで5行分の作業量です。やることも多いですし、そもそもアイデアをモックにするのが難しく、多くの方がスタートで脱落するでしょう。「『かぐや様は告らせたい』面白いなあ。これをシステムで再現したいなあ。よっしゃバッティングとデッキ構築を混ぜ合わせたろ。あとイラストもプロの人に頼も。できたわ。」とかできる変態は、実は多くないのです。

一方文章は、書くだけならスマホ出してなんか起動してポチポチするだけでできます。それこそ今これを読んでいる皆様の半分ぐらいは、毎日twitterに何か書いて投稿されているのではないでしょうか。確かにそこから推敲していいものにまとめるのは大変ですが、それもボードゲームと違い、いつでもどこでも1人で行えます。また、この1年間で絵も描かなかったし曲も書かなかったしボードゲームも作らなかった人は多いでしょうが、1年間1文字も(手だけでなくPCやスマホ込みで)書かなかった人は、少なくともこのnoteの読者にはほぼいないでしょう。

つまり、「なんか作るだけなら文を書くのが(多くの人にとって)一番楽だしそもそも日頃からやってる」わけです。ならばその「いつもの」文章で制作の練習ができれば、効率的に多くの経験値を得られるでしょう。これが、私が今回このような変則的な内容を扱った理由です。せっかくなら、この日頃から書かれている文章を制作の一部と考えていただきたい。そうして製作者の方々に、もっと文章を書いていただきたい。考えを文章という形で残してもらいたい。ていうかなんで検索性が悪い動画ばっか残すんだ。挙句の果てにClubhouseて。twitterスペースて。お前それアーカイブ残らへんやんけ。そこでしゃべって満足するなちゃんと後世に語り継げその知恵は消滅させていいものじゃないんだ誇りを持て書き残せ黒歴史になったら骨は拾ってやるからだまされたと思って書いてみろよしよしいい子だよくだまされてくれt

脱線しました。

ではここから、私流の「文章にもゲーム制作にも使えるであろうポイント」を、数点挙げさせてもらいます。基本的に文章術として書きますが、終盤にゲーム制作の観点からもまとめるつもりです。また文章術的要素が強すぎる内容(一文の長さはどれぐらいがいいのか、など)は今回書きませんが、最後に参考文献を挙げますので、興味のある方はそちらをご覧ください。さあここからが本題だぞがんばれ。


最初に、「ストーリー」を「予想して」もらう

最初に、文の冒頭について述べさせていただきます。これは、私が冒頭こそ最も気合いを入れて書くべき部分だと思っているからです。書かれた文を読む人たち全員の目に触れるのは冒頭ですので、そこのクオリティが高ければ、読者全員に気持ちよくなっていただけます。逆にそこをおざなりにして終盤、曲でいえばサビのような部分に全力を注いだところで、そこまでに見切りをつけてお帰りになられてしまっては無意味です。まず冒頭で気持ちいいスタートを切っていただき、そのままゴールまで軽やかな足取りで進んでいただかなくては、本題までたどり着く人の数が減ってしまいます。

ではその冒頭部分で、何を書くべきか。皆様にも、文章に色々なものを詰め込もうとするあまり、まず何を書くべきかわからなくなってしまった経験があるのではないでしょうか。私的には、初めに書くべき内容はただ一つ、その文の「ストーリー」です。私は極力、この文がどこへ向かう文であり、どんな構成なのか、最初に提示してから書き始めています。

というわけで、一度この文の冒頭に戻ってください。そこまで行くのも帰ってくるのも面倒かと思いますので、下にスクリーンショットを再掲します。

この1画面分の文章は、「これはBoard Game Design Advent Calendar 2021の記事なのに文章術について書かれたnoteです」という、いわばこのnoteの要約に当たるものです。タイトルから1画面というスクロールも不要な短さで、オチにもできそうな強力なカードをいきなり切ってしまったわけです。

そして(再掲は面倒なのでしませんが)その直後、「ボードゲームデザインについて重要だと考えている点を、まず文章術の観点から書かせていただきます」と続けています。「最後にボードゲームについての話に帰ってくる」というのは今度こそオチにとっておけそうだったのに、「まず」の一言でネタバレしています。何なら次の章のラストでもう一回ネタバレしてますし、目次もネタバレですし、そもそもタイトルからネタバレしています。

こうもネタバレをしては、文を読む楽しさが失われてしまうのではと思われるかもしれません。本文でも、「Board Game Design Advent Calendar 2021の記事ではありますが、このnoteではなぜか文章術について書かせていただきます。頑張って読め。」と早々に本章の内容に入り、最後に「でもこれってボードゲームデザインにも通じますよね。」とサプライズを仕掛ける案もありました。この方が、文章術とゲームデザインの共通性に驚きが生まれ、「通じるところがあるからこそ、より簡易に練習を重ねられるメディアとして、もっと文章を書いてみませんか」という主張の面白さが強まるように思えるかもしれません。

ですが、この構成では読者は驚けません。なぜなら、驚きとは既にしていた予測と異なることが起きて初めて生じる感覚だからです。そもそも何の話をしているのかわからない、この文がどこに行くのかわからない状態では、ただただ不安で不快なだけです。

だからこそ、本章のタイトルのように「ストーリー」を「予想して」もらう必要があるのです。この文はあのゴールに向かってこっちに進むのだな。そんな地図を脳内に描いてもらい、それを片手に読んでもらいましょう。

このように最初に「ストーリー」をまとめる利点は、読者だけでなく筆者側にもございます。ここで端的に内容をまとめようとする過程で、自分の書きたいことが整理できるのです。こうして書き手自身が「ストーリー」を整理できれば、書きたい色々なものからどれを選ぶべきか、自ずと見えてくることでしょう。

最初に「ストーリー」をまとめるだけで、読み手も書き手も道に迷わなくなり、書きたいことをダイレクトに読める/書けるようになるのです。


序盤の「攻撃力」「防御力」を上げる

「ストーリー」という「何を書くか」の話はできましたので、次は「どう書くか」の話をしましょう。ここで、急ですが認知心理学のお話をいたします。

こんなことを言うのもアレですが、人間は馬鹿です。非常に多くの場面で、合理的でない、つまり正しくない判断を下してしまいます。例えば、世の中にはもっと優れた文章がいくらでもあるのに、皆様はこんな駄文を読んでくださっていまs

脱線しました。

こうした正しくない判断のうち、多くの場面で見られるものは、「認知バイアス」としてまとめられています。その中の一つに、「確証バイアス」と呼ばれるものがあります。これは、一度判断を下したらそれに都合のいい証拠だけを集めてしまう、というものです。例えば、この文が面白いと信じ込ませれば、以降どんなにスベろうと大丈b

脱線しました。

いえ、脱線などではなく、これがこの章で言いたいことです。序盤で一度面白い/面白くないの判断をされたら、それは容易にはひっくり返らないのです。逆に、最初で面白いと思ってもらえて、かつ最後まで読みきってもらえるのなら、随所で「面白い」の再確認が繰り返されて「超面白い」文が生まれるのです。

ここで、以下の2つの単語を定義させてください。

  • 文章の攻撃力:最後まで読みたいと思う程度には面白いと感じさせる力

  • 文章の防御力:読むのを止めようとする程度に面白くないとは感じさせない力

「超面白い」を生むための要素は、この2つにまとめられるでしょう。しかしこの2つ、特に攻撃力を鍛えるのは容易ではありません。だって「面白い文を書きたいから面白い文を書きます」ができる人ばかりなら、こんなnoteいらないですし。

ですが、その攻撃力の使いどころを見極めるのは簡単です。そう、面白いところを序盤に持ってくればいいのです。

具体例を出しましょう。この文章のサビ、それは「ボードゲームのデザイン術と文章術は似ており、いい文を書こうとすればゲームデザインも練習できる」という主張です。では、これをどこで書けばいいか?そう、序盤です。

ただし、こうした主張は新規性のある内容、つまり当たり前でないことのはずなので、本当に最初に持ってくると大抵意味がわからなくなります。言い換えれば、防御力が下がります。そこで、まず防御力を高めてストレスなく読み進めてもらったうえで、ここぞというところで攻撃力を発揮しなくてはなりません。

ここで、もう一度この文の冒頭を見返してください。

1段落目は、まず挨拶と名乗りから始まっています。また、2段落目にはボードゲームについてここまであんまり書いていないくせに私の制作歴が書かれています。これらは、筆者が最低限の常識と礼節実績を持った、一応信頼してやってもいい人間であることを伝えている、つまり防御力を高めるための部分なわけです。また、トップ画像も防御力を高める重要な役割を果たしてくれています。こうした「やる気があるならやるはず」のことをちゃんとやっているのは、筆者への信頼感につながります。でもだからって「執筆する聖ヒエロニムス」の画像持ってくる必要ある?

これらで身の守りを固めたからこそ、読者の期待を裏切って「文章術の記事を書かせていただきます。」と書いても、皆様はtwitterへと帰らずにここまで読んでくださっているわけです。次の章も、冒頭でいきなり「文章とは最も簡易に練習を重ねられる創作メディアだ」と述べ、攻撃力100%でぶん殴っています。ここまでで防御力は十分と判断し、「面白い」判断をしてもらえるように一気に攻勢に出ているわけですね。

このように序盤に攻撃力の発揮ポイントを偏らせるのは、「ストーリー」の提示にも役立ちます。いきなりゴールが出てくるので、どこに進むつもりなのかがわかります。ここで「攻撃力」を発揮すれば、先が気になるので読み進めてくれます。さらに道がわかっている安心感は、「防御力」をも高めてくれます。これら「ストーリー」「攻撃力」「防御力」は、密接に絡み合いながら、読者をその文のサビまで連れてきてくれるのです。


「伏線」を使う

と言うわけで、本noteのサビです。テーマは伏線についてです。

ふく‐せん【伏線】 の解説
1 小説や戯曲などで、のちの展開に備えてそれに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと。また、その事柄。「主人公の行動に―を敷く」
2 あとのことがうまくゆくように、前もってそれとなく用意しておくこと。また、そのもの。「断られたときのために―を張る」

goo 辞書 (デジタル大辞泉より)

伏線、かっこよくて使いたいですよね。でも難しいですよね。見え見えの伏線は読んでいて冷めますし、かといって回収する時に忘れられていては何のことかわからない。「ほのめかし」「それとなく」の程度がなんとも難しい。でも使えるとかっこいい。どうにかして使いたい。

などと書き手側の目線から論じてみましたが、読者目線からも考えてみましょう。Googleで検索すると、「伏線 漫画」やら「伏線 アニメ」などがサジェストされます。それをクリックすると、「伏線がすごい漫画ランキング」のような記事が何件もヒットします。つまり、読者も伏線を求めているわけです。では、読者は伏線の何を求めているのでしょうか。言い換えれば、伏線は何が面白いのでしょうか

なお、筆者は年間200冊ほど漫画を買っているくせに「ワンピース」の単行本を所持していません

ここでまたもや急ですが、「ヒトはなぜ笑うのか ユーモアが存在する理由」(勁草書房)という本のお話をさせてください。この本では、「ユーモアとはなんなのか」という問いの答えを探すべく、過去の仮説や心理学、進化学など様々な観点からユーモアを分析しています。この本自体も面白いのですが、内容について書くと脱線して帰ってこれなくなりますので、ここでは「ユーモアがいつ起こるか」の部分のみ引用します。

もっと単純に言うとこうなる:ユーモアが起こるのは、ある仮定 、、がメンタルスペース内で認識的にコミット 、、、、、、、、されていて、そのあと、実はまちがい 、、、、だったと判明したときだ。

「ヒトはなぜ笑うのか ユーモアが存在する理由」P206

さらに専門用語を取り払って単純に言いますと、「勝手に思い込んでいたことが実は違ったと判明したとき、人は面白さを感じる」となるでしょうか。ここまでくると雑すぎて反例も簡単に出せる(そのとき「騙された!」のような不快感があるようではユーモアでない、と本書同ページ内ですら注釈がつけられている)のですが、大まかには的を射た説明だと思います。なんせこの定義が出てくるまでに206ページかかってますからねこの本。もっと序盤に持ってきて「攻撃力」を上げてくれ。

そしてこの説明を踏まえると、伏線の面白さとは、こう表せるのではないでしょうか。
既に出てきて『ああ、そういう役割ね』と思っていた事柄が、その後異なる文脈で登場し違う役割を与えられることで、それまでの認識が勝手な思い込みであったと再認識される瞬間に面白さが生じる。これが伏線の面白さである。」

この仮説に基づけば、我々はもう「伏線」を使いこなせます。「一度ある役割を担わせた事柄に、しばらく後に別の役割を与え、意味の再認識をさせる」だけでいいのです。この方法を、辞書的な伏線と区別するため以後カッコ付きで「伏線」と呼びます。

「だけ」と言われてもと思われるかもしれませんので、実例を挙げましょう。このnoteで実例を挙げる際に使われる文章といえば、こいつですね。

この冒頭は、まず「冒頭」としての役割を果たしました。皆様は、挨拶やら自己紹介やらは流し読み的に読まれたかと思います。そしていきなり「文章術の記事を書かせていただきます」と言われ、眉をひそめつつも次の段落へ急がれたのではないでしょうか。この瞬間、この冒頭部分の役割は終わりました。終わるはずでした。

しかし、「ストーリー」の章で再掲されたせいで、この冒頭部分は「できるだけ早くストーリーを提示するためもの」という新たな役割を持たせられました。とはいえ皆様がそこで見返されたのは「1ページ以内にラストの文を持ってきたかったんだな」のところだけで、他の部分はスルーされたのではないでしょうか。少なくとも、私はわざと触れませんでした。

このスルーされた部分は、次の「防御力」の部分で意味付けされます。また既に再定義されたはずの「文章術の〜」も、「攻撃力」という新たな文脈によって再々定義されます。こうした何重もの再定義が本noteで提唱した「伏線」であり、この文が面白いと感じていただけるのでしたらその理由です。あと私が今頭を抱えながらキーボードを叩いては消して書き直している理由です。構成が難しいにもほどがある。

なお蛇足かもしれませんが、厳密なことを言うと、上の例では2つの異なるテクニックが使われています。「文章術の〜」は、「興味を惹くフック→『ストーリー』の標識→攻撃力を上げるためのキーワード」と何度も注目させながら読者の脳内における意味を変化させました。一方自己紹介などそれ以外の部分は、まず「『ストーリー』の標識の一部」として雑に「文章術の〜」とまとめていただき、一度「わかった気」になってもらいました。その後「防御力を上げるためのもの」として再登場させ、実はその部分をちゃんと認識できていなかったという事実に直面してもらいました。そもそもこの文章で冒頭部分のみを再掲し続けているのも、面倒だからでもあるけどもではなく、そこにのみ注目していただき他の部分への認識をおろそかにするためでもあるわけです。なので、読み終わった際にはぜひ他の部分の役割も考察してみてください。全部説明されるよりも、自分で気づいた方が面白いですからね。このnoteの隅から隅まで張り巡らされた仕掛けを、ぜひ解き明かしてください!いや筆者の人そこまで考えてないと思いますけど。


ボードゲーム的には① 「ストーリー」の「予想」

さて7400字書いたところで、そろそろボードゲームの話をしましょう。なお、ここでは「ボードゲームの説明書において」の話はしません。そもそも説明書と楽しませるための文章とでは意識すべき点が違いますし、ここまで文章の話したのにまた文章の話しても面白くないですからね。

ではまず、「ストーリー」について。そのボードゲームの特徴となるシステムは、できるだけ早く体験してもらった方がいいでしょう。重ゲー(プレイ時間が長く、考えることも多いゲーム)なんかですとジャンル毎に雛形のようなものがあり、序盤の動きは「よくあるアレ」でいいかと思われるかもしれませんが、私はそう思いません。「よくあるアレ」で感じる「ストーリー」はそのジャンルに汎用的な「ストーリー」であり、そのゲームの「ストーリー」ではないからです。最悪の場合、「このゲームは『よくあるやつ』なのね。ただガワを変えただけなのね」という悲しい「ストーリー」を作られるかもしれません。

と言いつつもやらかしかけた経験があるので、反面教師にしていただくために1つ書きます。「『かぐや様』をシステムで再現したらバッティング×デッキ構築になったわ」の例で挙げた、拙作「ツミカブリ」についてです。このゲームは、「まず場にカードが並ぶ」「手札からカードを1枚手元に伏せる」「場に並んだカードから欲しいものを一斉に指差す」「指差したカードが被らなければもらえる、被ったら伏せていたカードの数字が大きい方の人だけもらえる」「もらったカードはデッキに入るため、デッキが強くなる」という流れを繰り返して進みます。文だけではルールがわかりにくいですか?ですよね?だから自作のデザインについて書きたくなかったんですよ。

このゲームのポイントは、「一部のカードにのみ効果がある」「その効果は、それを伏せていてかつ指差したカードが被った時にのみ発動する」という点です。カードを取るだけなら被らない方が得なのも合わせ、効果狙いかカード狙いかによって被りたい人と被りたくない人が入り乱れます。ですので、効果のあるカードがデッキに入ってからがこのゲームの真骨頂です。

ですがプロトタイプでは、ゲーム開始時に配るカード群、いわゆる初期デッキに、効果のあるカードが入っていませんでした。最初から効果のことまで考えるのは、複雑すぎると思っていたためです。しかし、結果このゲームの真価が発揮できるタイミングが遅れ、というか効果カードが出てくるタイミングによっては本当に終盤までそれが起こらず、非常に立ち上がりの遅いゲームになっていました。テストプレイ時、ある人に「いや顔色うかがいはゲームの面白さじゃないんすよwww」と言われたのは今でも根に持っています夜道気をつけろよなまさにその通りだと思います。

そこで、初期デッキに1枚だけ、効果のあるカードを加えました。これにより、初期デッキが1周するまでに効果のチュートリアルもできるようになり、何が面白いゲームなのかが素早く伝わるようになりました。

確かに、序盤から考えることが多すぎるのは問題かもしれません。しかし、そもそも何をするゲームなのかが分からなければ、考えることすらできません。初期デッキ系のゲームでは気を使っているところなので、機会がございましたらぜひ拙作を遊んで、初期デッキの各カードの意味を考察してみてください。

また、最初に「予想して」もらう「ストーリー」が正しい必要はありません。「伏線」の際にも触れたように、不快感さえなければ、思い込みが誤りと気づくのは面白いものなのです。嘘をついて騙すのは不快感に直結するのでよくないですが、裏道や裏ボス的追加ゴールにまで最初に触れる必要はないでしょう。むしろ、その深みに気づいてもらうためまず初手で迷子にならないような方向性を示すことこそ、「ストーリー」の役割なのです。たぶん。


ボードゲーム的には② 「防御力」

次に、「攻撃力」と「防御力」についてです。と言っても「攻撃力」は上記の内容と被りますので、ここでは「防御力」について簡単に触れます。「簡単に」なのは、過去のBoard Game Design Advent Calendarやその他の記事に「遊びやすくする」系のものはいくらでもあるからです。

ここでは、「防御力」的観点からはあまり語られてこなかったと感じる要素一点について触れます。それは、ゲームの見た目です。

近年、同人ゲームのビジュアル面でのクオリティが非常に上がっているのがよく話題になります。これはデザイン面(UI的な遊びやすさ)という意味よりも、画集的にゲームを買いたくなるような美しさかっこよさかわいさ的な意味です。基本的には肯定的に見られていると思いますが、他方で「売るためにビジュアルばっか力入れてやがるこざかしいやつ」「外面だけで中身はカス」という意見もございます。正直私も以前は、イラストに使うお金と労力があるならその分ルールデベロップに回したら?と思っていた時期もありました。

ですが、ある時ふと気づきました。これはイラスト的にいいゲームの方が面白く感じるし、それはつまり面白いのだと。

ボードゲームの見た目は、それを遊ぼうとするほとんどの人が一番最初に知覚する要素です。つまり、そこがよければ「攻撃力」が高く、悪ければ「防御力」が低いと感じてしまうのです。たとえルール面がどれだけ面白くても、「下がった印象を上げる」よりも「上がったまま上げ続ける」方が楽ですし、体験的にも良くなります。「舐めてたやつが意外とやる」的な面白さもありますが、それを達成するのはなかなか難しいと思いますし、わざとそうするのも「こざかしい」にあたる気がします。というか自分の作った愛するゲームを一旦舐めさせるってどうなん。

なので苦手ではありますが、近年はそういう要素にも挑戦しています。最新作「バックハンダー」では、調子に乗ってボードゲームの意匠をまとめた本「ELEMENT 01」に寄稿までしました。余談ですが、最近某所で「最近チャラチャラしてるやつ増えましたよね!あのボードゲームのデザインまとめた本に載せてる奴とか!!」と言われ、「あっ、ぼくそれ載せてもらいました。」「・・・」「・・・」みたいな会話をやって一瞬時が止まりました。反省しています。

あとまあ、ぶっちゃけそこにも力入れるのしんどいなと思いましたので、次回作で急にクソみたいなビジュアルになったらごめんなさい。その時はこの記事も書き換えておきます。


ボードゲーム的には③ 「伏線」

さて最後に「伏線」が残りましたが、これはまだ自作に反映できていません。この考えに至ったのが、最新作の入稿前後ぐらいだったためです。なのでここに書く内容もございません。すみません。

と言いつつ、今練っている新作ではこの要素を入れる予定です。なので、それが世に出た際(次回作とは言っていない)には、そこも楽しんでいただけると幸いです。あ、最後でまたネタバレしちゃったよ。


参考文献

宣言通り、本noteの元になった参考文献を挙げます。ちなみにアフィリエイトリンクではないです。(Amazonに飛ばない分ワンクリックで買えないのはごめんなさい)

  • 取材・執筆・推敲 書く人の教科書」 ダイヤモンド社
    文章術の教科書として、私が知る限り最高の一冊です。帯にデカデカと「この一冊だけでいい」と書かれていますが、筆者さんがそれを意識して書かれた本であり、実際一冊だけ買うならこれかと思います。
    ただし本当に文章についてのみなライター向けの本ですので、ボードゲームデザインに活かす目的だけで読んでどうなのかは知りません。

  • ヒトはなぜ笑うのか ユーモアが存在する理由」 勁草書房
    「伏線」の部分で引用した本です。四六判500ページかつ訳書で専門用語も多いというヘビーな一冊ですが、間違いなく読む価値はあると思います。と言いつつ私は240ページ強しか読めていないので後半クソだったらごめんなさい。文章術について書くなら早めの方がええやろと軽率に2日担当になったのが悪い。かといって25日までになら読み終えられたとも思えない。

  • ジャンプの漫画学校講義録⑥ 作家編 松井優征先生『防御力をつければ勝率も上がる』」
    集英社の漫画家を対象とした創作講座である「ジャンプの漫画学校」において、「ネウロ」「暗殺教室」「逃げ若」などの作者である松井優征氏が行った講義のネット公開版です。
    本noteで使用したのとは別の意味ですが、「防御力」という単語が出てきます。おそらく、このnote内での「攻撃力」「防御力」という単語選びはこの記事の影響でしょう。また、この記事内にでてくる「兼ねる」という技法(複数の要素を同時に展開して内容を濃くする技)は、「伏線」(1つのものに後追いで要素を足して内容を濃くする技)と類似性があるかもしれません。じゃあ最初からこれ読んでもらえばよかったのでは?

また直接の影響はないですが、今年のアドベントカレンダーで1日目を担当された方の記事も読ませていただきました。あれで上がったハードルを下げ直しておきましたので、次の方頑張ってください。

まとめ

このnoteでは、まず「文章とは最も簡易に練習を重ねられる創作メディアだ」という持論を述べました。文章は作るのにかかる時間が短く、かつ日頃から皆様が作っているメディアなのが、その理由です。なので文章の執筆とボードゲームの制作で共通して使えるテクニックがあるのならば、その練習の場として文章が使えるだろうと述べました。

その共通するテクニックとして、「ストーリー」「攻撃力/防御力」「伏線」の3要素を挙げました。これらはまず文章術として説明され、その後ボードゲーム制作ではどのような意味になるのかが述べられました。

本noteをお読みになられた中から一人でも多くの方に、文章を書いてみたい、文章を書くときに活かしたいと思っていただけたなら幸いです。このように「ちゃんと」書こうとしなくても、まずは簡単なものから始めていただければと。そう例えば、このnoteを感想と一緒にSNSでシェアするとかですね!

またここまでの内容に反するようですが、どうしても書けないという方はご連絡ください。私が代わりに書きます。もう同人ボードゲーム業界も歴史が長く、そろそろちゃんとした記録を残さないといけない段階だと思っています。そのためには、誰が書くかといった手段を選んでいる場合ではないとも考えています。なので、どうしても書けない方はご連絡ください。取材し、推敲し、ちゃんとした記録を残せるよう努力します。そのためのポートフォリオは、このnoteでどうでしょうか。

というわけで、最後までお読みいただきありがとうございました。明日は、反社会人サークルさんが「メカニクスとフレーバーのよくある話」について書かれる予定とのことです。楽しみですね。



あ、最後にもう1つ。
「途中で止めようと思われない」点において最強の「防御力」は短いことなので、プレイ時間も文章も短い方がいいと思いますよ。
(↑までで12000文字)


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