符亀の「喰べたもの」 20210718~20210724

今週インプットしたものをまとめるnote、第四十四回です。

各書影は、「版元ドットコム」様より引用しております。


漫画

日本短編漫画傑作集」(2、3) いしかわじゅん(監修)、江口寿史(監修)、呉智英(監修)、中野晴行(監修)、村上知彦(監修)、山上たつひこ(監修)

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日本の漫画を俯瞰するために編まれた本邦初の傑作短編アンソロジー。(帯文より)2巻は1968年から1970年、3巻は1971年から1974年頃の作品が収録されています。

これや日曜日に観た映画数本のおかげで、「クライマックス感」の作り方に対する仮説が立てられました。それについては後述します。


上京生活録イチジョウ」(1巻) 福本伸行(協力)、萩原天晴(原作)、三好智樹、瀬戸義明(漫画)

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「沼」編(原作「カイジ」第2部に相当)のラスボスである一条聖也の上京直後時代を描いた、「カイジ」スピンオフの3本目です。

緊張感あふれる福本節と中間管理職における気苦労の親和性を活かした1本目の「トネガワ」。そのカウンターとして逆に馬鹿馬鹿しい日常を大真面目にカイジ風に語った2本目の「ハンチョウ」。これらに続く3本目として、「正論や理想をカイジ調で語りつつも堕落した現実に飲まれていく若者」という題材を選んだのが本当に上手いと思います。うまく両方の間を突きながら、カイジスピンオフの強みを殺さずに別の味に仕立てている。見事です。


ルックバック」 藤本タツキ

(注:この漫画についてはネタバレになるレビューを行います。未読の方は、先にリンク先よりお読みください。ただし、某事件を連想させうる表現が含まれておりますので、その点ご注意ください。)

学級新聞で4コマを連載していた小学4年生の藤野は、不登校の同級生である京本が描いた4コマの絵の上手さに衝撃を受ける。卒業証書を渡しに家に行ったのをきっかけに、2人の運命が動き始める。

京アニの事件から2年経った翌日0時に公開された読み切りであり、おそらくそういう文脈でとらえるべき作品なのでしょう。ですが、「作品から何かを受け取る」ことが主題であろう作品において、明言されていないのにそうだとするのも「受け取っている」ことであるため、その観点からの言及はしません。同事件には未だトラウマのある人もいるためそれに関連する描写があることを明示すべきという意見もtwitter上で見られ、一理あるとは思うのですが、「明言していない」のがこの作品においては重要だと思います。なので、冒頭の文もぼかした書き方にさせていただきました。

その上でインプットしたところですが、そこを明言していないが故に、中盤まで読者は「こういう話」だと思わずに読んでいるはずなんですよね。つまり、一番大事なテーマの提示部分で「思ってたんと違う」と冷められる可能性が高い訳です。ですがネットの感想を見る限り、上記の理由で明言すべきというのはあっても拍子抜けして刺さらなかったというのは無さそう(少なくともはるかに少ない)ようでした。

この理由として、1つはテーマの提示が三幕構成(映画の有名な構成)でよくある形、つまりミッドポイント(尺的にちょうど半分)で主人公がどん底に落ちるという形で行われているのが大きいと思います。フォーマットは違えど、王道の構成なので受け入れやすいということです。

そしてもう1つの大きな要因が、そこまで読者が想定していた「こういう話」自体が壊されたわけではないということです。つまり、テーマの提示後も「2人の運命が漫画を通じて交わった話」ではあり続けているということです。これは当然のように見えるかもしれませんが、中盤の「転」でこれまでの話を断ち切ってしまう物語は多く、どんでん返しをしようとして前半を切った結果スベったなという作品は案外あるものです。というか私も新作でやりかけました。

1作品の中で2ラインを走らせるのは、それこそ映画のサブプロット(ヒーローものにおける恋愛要素など)としてよく見られます。1本目は序盤から見せるものの、中盤や終盤に2本目を出して真の姿を現すような形式もいくつか見られます。そんな中で、いかに強烈な「真の姿」であろうと、最初から走っている1ライン目から外れてしまっては観客にそっぽを向かれてしまう。この落とし穴を再認識し、ちゃんと言語化できたのは、新作の製作において助けになってくれると思います。


サウナしか俺を救わん」 電気街

上京して最高の大学生活を送るはずが、サークルに入りそびれて逃避としての勉強しかやることがなくなった主人公。彼が唯一話す機会のある女性、講義のアシスタントをしている大学院生、密かに思いを寄せている彼女から誘われたのは、サウナサークルであった。

中盤からのぶっ飛びっぷりがヤバい読み切りです。そういう意味で上のスベる作品の例に近いのですが、オチで「こういう話」とのすり合わせを行っており、結局何の話だったのこれと思いにくくしているのが上手いです。


さて正直「ルックバック」の後で疲れてきているのですが、「クライマックス感」について。先に結論を言うと、「話の流れにおいて『点』である場面にクライマックス感を覚える」のだと思っています。クライマックスのことを「山場」といいますが、まさに山の頂点のように1点にこれまでの流れが集約される感覚が、「クライマックス感」のキーになるのだと思います。

そういう意味で、話の流れというのは線のようなものであり、いかにこれを「点」にするかがポイントになると思います。1つの答えとして終着「点」にしてしまうというのはありますが、これは作中1回しか使えませんし、逆にラストで盛り上がらずだらっと終わる作品も多いことから十分な解答ではないと思われます。

そこで今考えているのが、2つ以上の流れの交「点」をつくることです。もっと言うと、あるシーンで今までの全てがそこに集約しているように感じる程、そこが山場だと思って興奮しやすくなる。逆に盛り上げようとしている場面で「ところであれどこいったん?」となるモノがあると、「クライマックス感」が薄れてしまう。というか製作時は、むしろこの「どこいったん」がないかに気をつけるべきだと思います。

ただこれボードゲームにおいては難点がありまして、上手くそれまでの動きを1点に集約してもらえるかはプレーヤー次第なところがあるんですよね。よくある「〇種類の資源を集めながら点数に変えて、最終的に×点を目指してね」系のゲームで、点数に変えていくタイミングはそのプレイヤーのスタイルと腕次第です。というかそこがプレーヤーによらず一定なら、誰がやっても同じ結果になるわけでゲームとして面白くないでしょう。

一応そこを調整できるように新作はデベロップしていますが、一体どうなることやら。



一般書籍

連休に1ページも読まなかったので今週はお休みです。平日は中盤まで読み進めたというのに。



Web記事

『意思疎通できない殺人鬼』はどこにいるのか?

『鬼滅の刃』の謎 あるいは超越論的炭治郎」と同じ方が、「ルックバック」における通り魔の描写について書かれたnoteです。

これを端的に要約し評論するべきではないと思いますので、ここには私がこれを読んで思考をした、ということのみを書いておきます。


とある大学でゲームデザインについての講義をしました

「『たのしい』とは自分の思い通りになること」、「『おもしろい』とは、『たのしくない』ものを『たのしく』すること」と定義し、それに基づいてゲームデザインを語った講義をまとめたnoteです。

本文中で挙げたたのしくないことの例に「それがたのしいという人もいると思いますが」とも書かれているように、これらは完全な定義ではないと思いますが、それでも面白い観点のnoteだったと思います。


オインクゲームズのコンポーネントデザイン

オインクゲームズさんが、過去のゲームのコンポーネントにおけるUI面での工夫について説明されたnoteです。

気づいていたことから知識としてすら知らなかったことまで、内容が豊富で読み応えのあるnoteです。個人的には、コンポーネントの大きさの基準が、言われてみればそうなのですが言われるまで気づかなかったぐらいの工夫で勉強になりました。


オープンでフラットな組織が突然『閉鎖的』と言われるとき
『しがらみ』はいらないけど『つながり』は欲しい。どうするか。

面白法人カヤックの執行役員管理本部長の方が書かれたnoteから2本です。

この「考えたきっかけ」を一番最初に、それも見出し機能を使って箇条書き的に書いてしまう方法が、その記事の文脈がわかりやすくて真似したいと思いました。少しずれますが、最近noteの見出し機能は本などの他のプラットフォームに比べ読み飛ばしにくいなと思っており、それを活かしもっと重要な情報を載せるのに使ってもいいのではないかと思っていました。その活用例として非常にいいものを見せてもらいましたので、この連載以外に何か書く際はパクらせていただこうと思います。


連休を製作作業とテストプレイにあてたため、インプットと広報が死んでいました。今回の文章も、いつも以上にまとまりがなく読みにくかったらすみません。その分いいものが出来てきているので、公開をお待ちいただけますと幸いです。

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