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見えない世界に色をつける

再び、展覧会に寄せて。
数年ぶり二回目の個展です。制作間に合うかな、とドキドキしながらも一旦文章にするのは大事。だいぶ昔の話から、私が何をしようとしていたのか振り返ってみる。

制作技法やモチーフなど、それなりにバラバラとしているわたしの作品群だけど、「自画像の方法」と言う言葉がそれらを一貫していると思う。
モチーフはこだわりを持って選定しているけれど、作品のみではそれらに至る経緯が読み取りづらいだろうなと感じる。力不足をひしひしと。

最初に納得のいったモチーフは、椿屋四重奏の「陽炎」の歌詞だった。学部二回生の夏のこと。中学生の時に知ったこの曲が、中田裕二を知るきっかけとなり、未だにわたしの価値観に多大な影響を及ぼしている。
その時は「歌詞を触る」ということを試みていた。文字通り、ひらがなに直した歌詞の輪郭を物理的に撫ぜることをしていた。文字の線を境界線として扱って、その中を塗りつぶしていく。文字という「線」には、質量がないということを知った。線とは、境界線とは何かを考え始めるきっかけとなる。完成してから、これは完全に作品として閉じることができた、そう思った。そして、このモチーフはわたしにとって唯一無二のもので、同じことを他の文字ではできないことだと、ある意味代替の効かないわたし自身を描いているのと変わらないことだと感じた。

こうしてわたしが制作の上で死にそうに悩むことになるモチーフ選びにまつわる地獄がスタートする。楽しい地獄。

その後、なにをしたらいいのかわからないままに般若心経を一心に写経したり、誰にも話せない思い出の写真を塗りつぶしながら単純化して昇華を試みたり、自撮りをGoogle画像検索にかけて出てきたわたし以外の羅列を描いたり、友人たちから「私に合うだろう」と選んでもらったプレゼントを描いたり、Twitterに吐いた私の言葉をトレースして、私のものとして再取得することを試みたり。
あちこちを転々としながら、「私を描く」という、私が作る上で一番納得のいく動機のために、モチーフと、それにあった制作技法を探していた。

つまり、画面上でめちゃくちゃに個人的な話をしているということになる。そしてそれは、めちゃくちゃに個人的な話をし続けて突き詰めて行けば、きっとこの世の普遍のどこかに接続するだろうという期待を込めたものだったし、私自身の形を知り、留めるための方法だった。今でもそう思っている。

むかしの恋人と別れた次の日。なんとなしに「ルージュの伝言」を聞いていたら、バスルームにルージュの伝言、という歌詞にハッとした。そのまま口紅を持ってお風呂場に向かって、鏡に直接線を描いてみた。いつのまにか、映った私自身の輪郭線をなぞっていて、丁寧に誠実にトレースしようとしているのにどんどん歪んだ画面ができた。その時の私の、真理を見つけた!みたいな高揚感は半端じゃなかった。モチーフと描く主体が溶け合ったのを感じた。完全に作品と作者の関係が閉じている状態。これが気持ち良くて作ってるんだよなあ。

そしていつからか、線自体が鏡になったらいいのにと考えるようになった。私を描けば描くほど、鏡は機能を失っていく。それが少し悲しかった。描けば描くほど、世界を映すようになればいいのに。鏡になりたかった。

今更ながら、この度の新型コロナ騒ぎ、まだまだ収束はしていないけれど、少し振り返ってみる。
飲食業の私も例に漏れず一月の休業となり、家に籠る日々が続いた。制作する気にもなれずそれなりに絶望していて、日々少し気合を入れてご飯を作るぐらいしかできなかった。
Zoom飲みなんてのが流行って、何度かしてみた時に、高校時代の友達から「作品を見せてほしい」と言われて、以前作った鏡面を用いた作品を画面に映した時。iPadのインカメと作品が合わせ鏡になっていた。鏡に映った画面上の友人と、線の隙間から漏れ見える私と。ああ、こうやって私はモチーフを見つけてきたんだなと思い出した。

展覧会のお知らせをします。

吾郷佳奈個展 「エンドレス」
とき
2020/6/30(火)~7/5(日)
12:00-19:00(最終日は17:00迄)
ところ
同時代ギャラリー コラージュプリュス
〒604-8082
京都府京都市中京区三条通御幸町東入弁慶石町56 1928ビル2F

久しぶりに鏡を描画材として用いた作品群を展示します。是非作品の前に立って欲しいです。

※新型コロナウイルス感染防止のため、開催日程などに変更が生じる場合がございます。ギャラリーウェブサイト(https://www.dohjidai.com/gallery/)をご確認の上ご来廊くださいますよう、お願い申し上げます。

※ギャラリーの規定により、花のプレゼントはご遠慮ください。


Photo by 渡邊瞳

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