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【DAY 11】一番好きじゃないジャンルの好きな映画 「リトル・ミス・サンシャイン」

DAY 11
a film you like from your least favourite genre.
一番好きじゃないジャンルの好きな映画

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「リトル・ミス・サンシャイン」(2006)
グレッグ・キニア、トニ・コレット、スティーヴ・カレル、ポール・ダノ、アビゲイル・ブレスリン、アラン・アーキン

アルバカーキに住む家族。父親は、何の実績もないのに自己啓発本を作ろうとするリチャード(グレッグ・キニア)。15歳の長男は、ニーチェにかぶれ、一言もしゃべらない誓いを立てているドウェーン(ポール・ダノ)。おじいちゃん(アラン・アーキン)は、色情狂でトイレでこっそりヘロインを吸う。まだまともな母親のシェリル(トニ・コレット)がきりもりするが、家計が心配だ。そこに、自殺未遂を起こした文学研究者でシェリルの兄・フランク(スティーヴ・カレル)も同居することになった。

そんなとき、娘のオリーヴ(アビゲイル・ブレスリン)が、子供版ミスコンの決勝大会に出られることになって大喜び。しかし、今の状態のフランク叔父さんを一人で家に置いておく訳にもいかず、家族全員でコンテスト会場まで行くことにする。しかし航空券を買うお金の余裕はないため、古いマイクロバスを運転することに。アルバカーキからカリフォルニアまでの、片道1,300kmの道程を走る旅が始まった。

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苦手なジャンルは、ロードムービー。

もともと、旅行嫌い、ではある。そもそも食に興味がない。観光名所は映像で見れればよろしい。だから、移動する経費や労力を考えると、デメリットの方が勝つ。そもそもそんなことしなくても、家の周りをうろうろするだけで、いろんな発見があって十分に楽しいじゃないか。そんな偏屈な理由をつけてぜんぜん旅行に出ず、奥さんを悲しませている。

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まず、一口に「ロードムービー」と言っても、何を差すのかはむずかしい。「場所を移動する物語」ということなら、「SAW ソウ」(2004)みたいなのじゃない限り、全てロードムービーになってしまう。また、電車や飛行機、果ては宇宙船なんかで移動をする場合も、ロードムービーと呼んでしまっていいのかな、という問題もある。

そこで、極端に狭義にしてしまうが、僕としては、このように定義したい。
ロードムービーとは、「『アメリカのフリーウェイ』を、全編を通して『車』を使って移動し、その過程で登場人物が『変化する』」映画。

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そして、勝手に定義しておいてマッチポンプだけれど、やっぱりロードムービーが苦手だ。
例えばデニス・ホッパーの「イージー・ライダー」(1969)、ヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」(1984)、リドリー・スコットの「テルマ&ルイーズ」(1991)、これらのいずれも、じっと観ていられないのだ。
なんだろう、ロケによる偶発性を使って、感情を描写したりストーリーを進めていったりされると、その未完成さが、どうしても気になるのである。だからドキュメンタリーも苦手なんだよな。それよりも、ひたすらに作り込む、スピルバーグとかフィンチャーとかノーランみたいな映像職人の方が好みだ。

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だけど、「リトル・ミス・サンシャイン」は好きなのである。家族それぞれの問題が絡まってラストへとぐいぐい推進していく構造のこのプロット、けっこう技巧的なことをしている。けれど、ダメ家族たちのしょうもない小ネタの応酬により、その巧みさを微塵も感じさせないようにしている。しかも、これらの「小ネタ」は、突発的なギャグじゃなくて、ラストの大団円のための、全てが必要十分な「伏線」だったのだ。

ここからはネタバレする必要があり、観ていない人は注意です。

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リチャードは、成功者になるための「9段階プログラム」を編み出した、と言う。「だからお前は6段階までしかいけないんだよ」みたいなことを言い始める。これ面白いんだよな。「ごっつええ感じ」の不条理なコント、「世界一位の男」を思い出させる。

マルセル・プルーストの研究者であるフランクは、同性の恋人にふられて自殺未遂をしたが、旅の途中にその元恋人とガスステーションで出会ってしまう。おじいちゃんに頼まれたノーマルなエロ雑誌を買うところを見られてしまった。

そんな、元気だったおじいちゃんも、泊まったモーテルで昏睡状態に。病院に運ぶけれど亡くなってしまう。
そして、死亡届はその州で出さなければいけない。でも、手続きをしているとその日のオリーヴのコンテストには間に合わない。
リチャードは言う。「諦めてたまるか!病院から死体を運び出すんだ!」そしたらシェリルが言うのだ。「よし、運びましょう」。ママもおかしいことが判明。この2人、前夜にはリチャードの仕事のことで大喧嘩してたり、決して仲はよくないんだけど、変なところで一致団結したな。

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そして、15時の受付に間に合わせるために、いろんなものを突き破って車を走らせるリチャード。シーツに包んだおじいちゃんの死体はトランクに積んだまま。なんとか駐車場に到着すると今度は全速力で会場に向かって走り出すのはフランク。このへんから、ずっとバカバカしくて笑えるのに、その一方でずっと目には涙が溜まってしまうという、おかしな感情に苛まれる。

そして最高のラスト。
特技披露のコーナーに登場したオリーヴは、「だいすきなおじいちゃんにささげます」と言う。司会者から、「おじい様は今はどちらにいるんですか?」と聞かれて、「くるまのトランクのなかです」と言うオリーヴ。
たびたび、おじいちゃんがオリーヴにダンスの振りをつけている、ということは、映画の中で語られてきた。常にヘッドホンをつけてイメージトレーニングをしている。それは、いったい何の曲で、どんなダンスだったのか。
まんをじして流れ始めたのは、全くの場違いなリック・ジェームズの「スーパーフリーク」だった。そして、ストリッパーのごとく破廉恥なダンスが始める・・。

主催者のおばちゃんが、「あの小娘の踊りをすぐにやめさせなさい!」と怒鳴る中、オリーヴを助けたい一心で、他の家族たちも次々にステージへ登ってしまい、一緒に踊り狂う。むちゃくちゃに踊っているうちに、「いろんなことがあるけれど、いまはどうでもいいや」という気分になってくる。初めて全員が笑い合う。

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おじいちゃんが死ぬ前日に、「負け犬は、負けるのが嫌で挑戦しない奴のことだ!」とオリーヴを励ますので、この映画に「負けたっていいじゃないか、一歩踏み出そう」という教訓を見出す人も多い。でも、それだと、リチャードの「9段階プログラム」と一緒で、モチベーションの理由づけをしているだけじゃないかな。

この旅で、彼らの問題は何も解決しなかった。むしろ状況は悪化したかもしれない。そこには教訓も提言もなにもない。でも、あるとすれば、ほんの少しの「浄化」。それに僕らは涙を流すことになる。物語の効用は、そういうことなんだと思う。

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