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ちょっとだけ丁寧に暮らす。おぼろ豆腐メンタルの癒し方#1

自分のご機嫌は自分で取れる大人になりたいなあと思う。

病的なまでに、"自分にとっての幸せとは"について日々考えている私が最近思ったのは、やはり幸せは毎日感じられるに越したことはないということ。
幸せの総量は、多い方がきっといい。「明日楽しみだなあ」と思えることが、ひとつでもある方がいい。そうやって眠れる夜が、一日でも多い方がいい。

これは理想論で、私はまだ、こんな風に思って眠れる日はほぼないのだけれど。
でも、どうせそのうち死ぬわけで、後世に名を残したいという願望は私にはないので、それなら日々が楽しい方がいい。


私はメンタルが弱い。豆腐。豆腐は豆腐でも絹ごし豆腐、いやおぼろ豆腐くらいかもしれない。

これまでは落ち込むと(それも大体が夜で)、1人の部屋で悶々と考え続けたり、たまらなくなって泣いたり、すべてを壊したくなったり、いてもたってもいられない日は外をふらふら歩いてさらに考え続けたりしていた。

でも、これらはすごくしんどい。目が腫れるまで泣いて眠った翌日の朝は、ものすごく頭が重くて気持ちも沈んだまま。

日々の癒し方を探してみる

このままではさすがに鬱になってしまいそうだなと思ったのと、日々のなかに幸せを見出したいと思ったのとで、おぼろ豆腐メンタルを癒す方法を探してみた。

食べ物に気を使ってみたり、台所をいつも綺麗にしてみたり、バナナパウンドケーキを焼いてみたり……

丁寧な暮らしをしてみれば少しは、なんでもない毎日も愛せるかなと思ったのだ。とりあえず、思いついたものを真似してみたが、なんだかしっくりこなかった。

そして最近たどり着いた癒し方が、頑張らなくても頭の緊張が溶けて、ふっと心が軽くなる場所を見つけるというもの。

私の場合は、家の中なら一輪の花、おいしいカフェラテ、夜の間接照明とアンビエントミュージック。
外なら、夜の清潔で落ち着けるカフェ。

これらは、どれも能動的な行動を取らなくて済むものだ。メンタルがダメな時は受動的なことしかできない場合が多いけど、これらの環境に身を置き時間の流れに身を任せることで、心が落ち着いてくる。もやもや巡り続ける思考を、頑張らずに止めることができるようにもなってきた。

前提条件として

上記に挙げた、家のなかで心を安らげるための前提条件として、片付いた部屋であることが必須だ。片付いた部屋は、すべての精神衛生のベースになる気がする。

私は部屋を片付けられない人間で、散らかっていても暮らせればいいやと思うタイプだが、メンタルがダメなときは部屋が散らかっているとじわじわダメージになる。

現状散らかっていれば、ふんっと一度踏ん張って片付けないといけないが、精神衛生がだいぶ変わるので汚部屋にお住まいの方には試していただきたい。

また、片付いた部屋でないと、花も間接照明も似合わない。片付いた部屋に存在するからこそ、これらはふっと、心と頭の緊張を解いてくれる。

ちょっとだけ、丁寧な暮らし

私は本当に大雑把でズボラなので、俗に言う丁寧な暮らしは体現できない。模倣しようとして何度も虚無になった。

結局"丁寧な暮らし"って、"丁寧な暮らし"というファッションなのだろう。全員が全員そうじゃないとしても、一括でくくられた"丁寧な暮らし"という概念は、そういう側面がある気がする。

そのため、それを模倣していると、自分が誰でどこにいるのか、分からなくなるのだ。『みんながしてるからじゃあ私も。』そんな感覚。自分の意思がないような気がして、虚無になるのだ。

だから雑な私は雑なりに、自分の心のために、がんばりすぎない"ちょっと丁寧な暮らし"をしてみようと思う。少し、朝起きるのが楽しみになれる、エッセンス。無理しないで生活に取り入れられるもの。

自分を大切にする、自分を好きになるというのは難しいけど、ちょっと丁寧な暮らしをすることで、自分を大切にしている感覚を得られるのを感じている。私はまだ大丈夫だと思える。少しだけ、自分のことを好きになれる。

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