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合自然的林業のすゝめ(1)広葉樹二次林の小面積皆伐天然更新施業

森林、それは自然の一部である。人間社会、それも自然の一部に過ぎないと捉えると、森林と人間社会を繋ぐものの一つが林業とすれば、自然に適合した「合自然的林業」でなければならないと思う。(私は京都大学4年生の時、赤井龍男先生の林木生理学の講義でこの言葉を聞き、強い感銘を受けた。その時以来今日まで、さらに今後も、私の森林や樹木と向き合う基本思想となっている)

森林の利用は、古代より延々と繰り返され、その技術は脈々と受け継がれてきた。環境の保全は極めて重要な今日的課題であるが、人間社会は、森林の利用を放棄するわけにはいかないであろう。

森林の利用の主なものに、樹木を伐採して、主には幹を玉伐りし、用材やパルプ材、燃料(薪炭)材として使うことがある。確かに大面積の皆伐は、森林の消失リスクが高く、スギやユーカリなどの一斉造林が国内外で行われているし、今後も繰り返されるであろう。しかしながら、これは、人間社会の暮らしの維持と発展にとって必要不可欠な営みである。(それ故、私は育苗や植林をライフワークとしてきている)

一方で、持続的な森林の利用を達成する営みとして、「法生林」施業という概念がある。類義語に、森林生態系を全く変化させない「恒続林」という概念があるが、「合自然的林業のすゝめ」を述べる本稿では、人間の営みが付加され、森林の形が遷移するため、より人間社会に近い「法生林」という言葉に立ち還ることにしたい。19世紀に欧州で提唱された林業の理論体系であり、毎年の成長量に見合う分の立木を伐採、再植林することで、持続的な森林経営を実現させる。(私は吉野林業の梅谷林業を訪問した時、先代の梅谷家の玄関を入った正面に、墨字でこの文字が書かれているのを目の当たりにして、とても梅谷さんの山作りが腑に落ちたのを記憶している)

さて、本稿の執筆を動機付けているものに、2020年10月高山市奥飛騨の荘川町尾上郷で実際に見た広葉樹二次林の小面積皆伐天然更新施業(写真1)がある。これは奥飛騨開発(株)が実際に行っているもので、数百ヘクタールの民有林の地上利用権を長期(例えば60年など)契約して、毎年数ヘクタールづつ皆伐し、架線集材で山土場に集め、多様な樹種・径級の広葉樹を仕訳して(写真2)、用材、薪炭材、菌床材(おが粉)、パルプ材などとして総合利用している。現代的「区画輪伐法」(経済的な伐採量で面積を決めるのではなく、森が再生するまでに要する期間を考慮して、対象となる森林面積から、毎年の伐採面積を厳しく制限して決めている)と言える。

写真1 広葉樹二次林の小面積皆伐天然更新施業
(写真左側は当該年度の伐採地数ha、右側は前年度の伐採地、天然更新している様子が判る)
写真2 多様な樹種・径級の広葉樹の山土場での架線集材と仕訳

驚いたのは、1)50年前に皆伐したところが、萌芽更新や周囲の広葉樹林からの種子の伝播によって、天然更新し、外観上は周囲の二次林と同様の林相を呈していた。2)針葉樹人工林施業に行われているような補助金が一切無くとも、経営が黒字である。ことであった。我が国の林業の常識を覆す見事な合自然的林業であった。

折しも、私が飛騨高山に移住して5年半が過ぎ、中山間地域には森林産業が断片的に失われ、戦後拡大一斉造林した針葉樹人工林の森林経営が困難に向かっていく様子を見聞きする機会が増えた。我が国の産業構造が歪んで、地方の過疎化に歯止めをかける有効な森林政策が見当たらず、迷走しているように思える。針葉樹人工林を針広混交林にどのような道筋で復元していくのか?日本の森林産業を立て直し、湾岸部の石油化学コンビナートに依存した経済構造を中山間地域の森林化学コンビナートに分配できるのか?など、今世紀には大きな課題が横たわる。

いや待てよ。中山間地域には、飛騨高山に限らず、所謂「里山」のようなかつての薪炭利用林が、広葉樹二次林として存在する面積が一定規模存在するように思える。これらの森林を地方自治体が公共的に集約し直し、奥飛騨で見たような広葉樹二次林の小面積皆伐天然更新施業によって、持続的な森林の利用を広めれば、我が国固有の伝統的な森林(広葉樹)利用文化(地域の特産品つくりなど)の保全・継承や、新たな広葉樹需要(飛騨産業の国産広葉樹の家具つくりなど)利用への供給の創出ともつながり、地方で失われた森林産業のサプライチェーンが多少なりとも復活して、雇用機会が生まれるのではなかろうか?

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