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マルチモーダルなミスマッチ

私にとって、電車に乗っている時間が
一番自分のコンディションを認識できる時間だ。

電車に乗っていると
車体の揺れを感じる。
ガタンゴトンという音と、アナウンス。
流れ行く車窓からの景色。

本を読んだり、映画やアニメを見られるときはすごく元気。
想像力のフル回転に耐えうる体力と気力がある。
HPはだいたい70%はある。

音楽を聴ける時もしくは聴きたい時、
HPは50〜60%くらいである。
心を空にして聞いこうとしても、
音感ゆえに無意識で聴音してしまったり、
深く感動してしまったり、
まあそれはそれで心豊かな時間なのだが、その分エネルギーも消費する。

ほんとうに疲弊している時は、
「電車に乗っている」以上の情報を受け付けられなくなっている。
触覚と視覚と聴覚とを、全部一致させていないと耐えられない。

マルチモーダルな情報のミスマッチに耐えうるか。
これが私にとっての元気のパラメータである。

この疲弊の原因はもちろん心身ともに考え得るが
私の生きづらさの主な原因は「固茹ですぎる芯」だと思い当たる。

私は、茹で時間の足りなかったパスタのようだ。

初めての受験は高校入学の時で第一志望に入れたし、
大学受験も無理せず手堅く、でも第一志望に合格した。
就活は、かなり挫折経験ではあるけれど、でも納得のいく結果だった。

自分自身の人生と並行して、家庭はかなり色々あったけれども、人それぞれ大なり小なり家庭のゴタゴタはあると思う。

もうちょっと、いろいろ寄り道してもよかったのに。
人の良い面、悪い面、両方じっくりと観察すればよかったのに。
最短ルートで、効率よく、要領良く、性善説を固く信じて生きてきたのだと思う。

私が以前言及した「費やした時間」「非効率的な営み」が全体的に不足しているのかもしれない。

素直さゆえの真面目さ。
芯が強すぎて、柔軟性に欠ける。すぐ折れる。

誰かのために何かしたい。助けてあげたい。
でも、相手は私が苦しむポイントを最も簡単にすり抜けたりする。
そして凹む。自分はなんで貧弱なんだ、と思う。

多様性を大切にしたいけれど、理解して棲み分けることは本当に難しい。

染まってしまえば楽なのに、固茹ですぎて馴染めない。

だからと言って、芯をなくしたいとは思わない。
この頑固さが、私の強さであり、心身を蝕む諸悪の根源でもある。

どうしたらいいねん、と悩むけれど、結局変わらない。
今のところ、しばらくまだこのまま固めパスタのマインドで生きていくんだろうなあ。

電車に乗る時間で、ああ今は何も受け入れられないと気づきながら、考えたことでした。

だから、コペル君、繰りかえしていうけれど、君自身が心から感じたことや、しみじみと心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。それを忘れないようにして、その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』

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