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旅人と教室と蛇と

ゼロ年代の、とある住宅街の、とある公立校にいた頃の記憶。




中学生の頃、『キノの旅』というライトノベルを読んでいた。主人公の10代半ばの少女・キノ、相棒の喋る二輪車・エルメスのコンビが、様々な国を旅してまわる物語だ。キノたちが訪れる「国」は、それぞれが異なる制度や価値観で動いている。文明レベル、倫理観、なにもかもが「国」ごとに変わる。国際的に統制をとるような大きな組織はこの世界には(おそらく)存在しない。旅の目的は明確に描かれていない。キノは「国」ごとでの最大滞在期間を原則3日と決めており、たとえ厚遇されようとも、強制されようとも、キノは3日のうちにはその「国」に別れを告げようとする。言うなれば、キノは「旅人」でありたいのであり、「国民」になろうとしているわけではなさそうだ。

『キノの旅』に登場する「国」は、だいたいイカレている。殺人が容認されていたり、国民全員がテレパスになっていたり。それぞれの「国」がなにかしらの寓話・風刺のように描かれている。ちなみに「国」の外は無法地帯であり、そこでのトラブルもエピソードとして登場する。キノたちの旅は、常に危険に満ち溢れている。

普通なら、10代半ばの少女がそんな危険な旅を続けられるわけがない。だがそこはさすが物語だ。キノは多くの戦闘術やサバイバル術を会得している。身体能力も高い。約束を守る義理堅さもありながら、合理的に冷徹な判断を下すこともできる。生きるためには手段を選ばない。もちろん、人を殺すことにためらいもない。キノは旅を続けられるだけの力を持っている。

そんなキノの力の最たるものが、銃だ。10代半ばの彼女のモーニングルーティンには、射撃動作の確認が欠かせない。複数本所有している銃はそれぞれ型が異なり、それらを丁寧にメンテナンスする描写が何度も登場する。銃にはそれぞれ特徴があり、得手不得手がある。それらを常に最善の状態に保ち、常に最善の方法で、常に最善の状況で使用する。キノの銃の腕前というのは、単に命中精度が高いという話で済むものではない。銃のことを深く理解し、働きかけ、名前をつけて、共に生きている。キノにとって銃は最高の武器であり、相棒でもある。

『キノの旅』のビジュアルイメージには、頻繁に銃が登場する。キノ自身が中性的ながらもあくまで10代半ばのイメージで描かれているぶん、無骨な鉄の塊である銃の存在感は印象的に映った。少なくとも、中学生の僕の目には、それがとてもカッコよく見えていた。しばらくして、キノの銃を再現したキーホルダーがグッズとして販売されることになった。僕は迷わずおこづかいをはたいて、それを注文した。届いてみれば、ビジュアルに描かれていたとおりの無骨なシルエット、金属的な質感、程よい重み、思い返してみれば、「モノ」としてよくできた、存在感のあるグッズだった。筆箱につけたそれを見るたび、僕は見惚れていた。



ある日の英語の授業。ALTの先生が参加している日だった。与えられていた課題は簡単な英作文だった。「アメリカに行ったらやってみたいこと」を作文してみようという、おそらくは『want』の使い方みたいな回だったのだと思う。長々と書く必要もない、主語・動詞・目的語の最小構成で充分なものだった。いまになって思えば、アメリカを例にして海外の文化に興味をもとう、的な裏テーマがあったのかもしれない。当時の僕は、地元の公立校に通う素朴でドメスティックな「日本人」だった。ふと、筆箱についている銃のキーホルダーが目に入った。本物の銃は、やはり重たいのだろうか。どのような構造になっているのだろうか。興味があった。とりあえず、「銃をもってみたい」という短文を書いてみた。所詮は中学生の英作文なので、英文としてはもっと直接的な表現になっていたのだろうと思う。

そばを通りかかったALTの先生が、僕のプリントをつかみとった。大きな声で、英語を発していた。意味はわからなかったが、鬼気迫るものを感じたことは覚えている。僕の「銃をもってみたい」という意図の英作文が書かれたプリントを掲げながら、まるで演説会のように、教室全体に向けてスピーチしていた。僕はALTの先生を見上げていた。彼は僕を見なかった。英語教師が日本語で説明するに、「銃は危険なものだ。銃を持つというのはとても難しいことだ。それがわからないうちに『銃をもってみたい』なんて言ってはいけない」というようなニュアンスだった、らしい。ひと段落するとALTの先生は僕にプリントを返し、他のことを書きなさい、みたいなことを言って去っていった。その後どんな英作文を書いたかは覚えていない。いまになって、近くの友達から「怒られてやんのwww」みたいなイジリを受けたようなことを思い出したが、心底どうでもいい。もっと思い出すべきディティールは他にあるだろう。



7月。なんの前触れもなく、無数の銃撃映像が日本国内に拡散された。暗澹たる気持ちになった。こういう映像を流すときは事前に警告が入るようにしてくれ。あなたの精神にストレスを与える可能性があります。承諾ボタンを押させてくれ。優しい世界を。カウンセリング窓口の情報を。誰も傷つけない表現を。誰も傷つかない世界を。そんなどこかの優しい世界の風景がちらついて、また暗澹たる気持ちになる。色々なウィンドウを閉じて、ふと思い出したのが、前述した古臭い平成の英語教育の一幕だった。

地元の公立校に通う素朴でドメスティックな「日本人」だった僕は、アメリカの歴史もまともに理解していなかった。日本の歴史もまともに理解していなかった。他県のことも理解していなかった。電車が通っていない隣町のことも理解していなかった。僕の想像力は、生まれ育ったこの住宅街からはじまるしかなかった。そのくせ、この住宅街がどのようにして造られていったかなど理解していなかったし、親がこの街にやってきたとき何を考えていたかなど、想像しようともしなかった。

あのALTの先生が言っていたことを正確に思い出すことはできない。そもそも聞き取れてもいない。なんとなくの雰囲気だけが残っている。過剰な盛り上がりもなければ、深刻な危機もない、ひたすらほどほどが繰り返される教室に生じた、あの雰囲気。いま改めて名前をつけるなら、「真剣さ」とでもいえるだろうか。平成のある日に生まれた「真剣さ」が、令和を生きる僕の中に再浮上してきた。僕はあの教室で、とても大事なことを教えてもらっていたのかもしれない。



現在、僕はアメリカに行ったことがない。銃をもったこともない。英語もまともに喋れない。『キノの旅』も途中から読んでいない。サバゲーもやったことがない。TPS・FPSも熱心に遊んだことはない。最近ぼんやりとインターネットを眺めていると、銃の腕前に長けた人がたくさんいると思う。僕は『Splatoon』を嗜んでいた程度だが、その技術の凄まじさや、その鍛錬の過程を想像すると、純粋に凄いなと思う。ただそうした映像を見るほどに、いつかの僕が反応していたような、無骨な鉄の質感みたいなものは、だいぶ時代遅れなものになったのかもしれないな、とも思う。

もうひとつ、銃について印象に残っていることがある。2004年に発売されたゲーム・『METAL GEAR SOLID 3 -SNAKE EATER-』(以下、『MGS3』)のクライマックスシーンだ。主人公・スネークは、かつての師であるザ・ボスと最後の戦いに臨む。僕はスネークを操作し、銃・手榴弾・ナイフ、さらには格闘術まで、あらゆるスキルを活かし、ザ・ボスに勝利する。戦闘後はムービーパートに移行し、倒れ込むザ・ボスと、傍らに佇むスネークとの最後の対話がはじまる。そして対話が終わると、ザ・ボスは自らの銃をスネークに渡し、スネークはその銃口をザ・ボスに向ける。そこで突如、ムービーパートを意味する画面上下の黒帯がフェードアウトする。それは、体力ゲージもなにも表示されていないこの瞬間が、操作パートであるということをプレイヤーに突き付けていた。ムービーの鑑賞者だった僕は、唐突にプレイヤーとしてゲームに再召喚され、PlayStation2のコントローラーを介して、その手にザ・ボスの銃を握っていた。プラスチックのボタンを押すことは、無骨な鉄の引き金をひくことと同義だと、直感的に理解させられてしまった。このときの感覚は、未だに強く脳裏に焼き付いている。

『MGS3』は1964年の旧ソ連領を舞台にしたフィクションである。そこには史実を参考にしたモノやコトがいくつも登場する。とりわけ銃についての描写にはこだわりが見える。単独で危険地帯に潜入し、武器も食料も現地調達するスネークの作戦行動は、まさしくサバイバルである。その危険な旅路の心強い相棒のひとつが、多種多様な銃たちだ。実在のモデルを参考にした銃たちは、それぞれが作り込まれた固有のグラフィックをもち、異なる特性をもつ。スネークとして作戦を完遂するために、プレイヤーは銃たちの個性を把握し、最善の方法で、最善の状況で、銃を使用することになる。もちろん単独での作戦行動であるため、大勢を相手取るような状況は避けなくてはならない。死角に潜み、監視を搔い潜り、痕跡を残さず進むのが、このゲームの基本だ。それでもやむを得ない場合には、人を殺さなければならない。殺して、痕跡を消し、丁寧に消失させなければならない。そうしたプレイヤーとスネークの旅路の果てには、たったひとつの操作が待ち受けている。



鉄の質感。舞う土埃。無骨な機械。むき出しの自然。思い返してみればゼロ年代の僕は、キノとスネークというキャラクターを通じて、銃とともに生き抜く過酷な旅路を疑似体験していた。ふたりの使命は異なるが、使命を果たすために生き残らなければならない。そのための武器が、銃だった。

いま僕は、はじめてこのふたりのキャラクターを結び付けている。その架け橋となったのは、あのALTの先生だ。彼があの教室にいてくれなかったとしたら、僕があのクライマックスで感じた引き金の重みは、変わっていたかもしれない。そもそも僕の読解力が高ければ、『キノの旅』というライトノベルを読んだだけで、充分にその重みを感じ取れたかもしれない。もしも僕の感受性が低ければ、『MGS3』というゲームの仕組みをもってしても、その重みなど感じ取れなかったかもしれない。

幸いにも、あの日の教室に生まれた「真剣さ」は、僕の中に残っていた。こんなときに再浮上させてほしくなんてなかったかもしれないし、僕もこんなときに再浮上させる申し訳なさを感じている。いまとなってはもはや、教室ではプリントの代わりにタブレットを使ってもよいし、戦場で引き金をひく代わりにボタンを押すだけでも済む時代だ。ゆとりある教室で体験した「真剣さ」の記憶は、現在においては大した値はつかないだろう。でもそれは、消失させてよい理由にはならないはずだ。




僕はゼロ年代を好きになりきれない。そのくせ、あの住宅街の風景が変わっていくことは寂しい。あの公立校が無くなってしまう日のことなんて想像したくない。せいぜい数十年の個人史でこれなのだから、歴史を好きになれる自信がない。それでも、いつか僕が否応なく歴史になり、歴史を語るとして、そのとき僕はどこまで真剣になれるだろう。