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"アイドル夢眠ねむ"が居なくなる日

2019年1月7日、でんぱ組.incとしての夢眠ねむは、そのアイドル活動に幕を下ろした。そして、今日3月31日に、芸能界も引退し、"アイドル夢眠ねむ"が居なくなる。


自分は大学生の頃から彼女が好きで、憧れていて、その発言一つ一つに影響を受けた人だった。なので、卒業公演が終わってからは、
「夢眠ねむさんと僕の間で起こった現象、感情を整理しないと、僕は自分の人生と和解できない・・・」という謎の焦燥感にかられて文章にしようとPCに向き合うが、言語化できず。ウニャウニャとする日々が続いていた。


けれど、夢眠ねむさんが新しい人生のスタートを決意したこのタイミングで、たまたま僕自身も新しいスタートを切ることが決まっていたので(この事はまた別のnoteに書きたい)、
自分自身の人生を振り返る意味合いも込めて、ねむさんと出会ったことで獲得したことを書いていこうと思う。
※長いし、個人的な話だし、まぁまぁキモいのでご容赦くださいw


でんぱ組との出会い

出会ったのは、2012年ごろだった気がする。
TwitterのRTで回ってきた、最上もがちゃんのツイートがきっかけでした。

「こんなCD聴いてます。」という内容の、画像つきツイートで、
そこには、Meshuggah,SLAYER,Misery SignalsなどのヘヴィメタルやハードコアのCDが…。ぼくは元々メタルが好きなんで、

「えっ、MeshuggahとかMiseryまで聴くのこの子wそこ通ってるのはマジに好きな人だろ、なんだこのアイドルw」

ということでもがちゃんを知って、でんぱちゃんを知りました。

でもそこで激ハマりするわけでもなく、もがちゃん可愛いなーとかそんな程度で。
少し後にWWDがリリースされた時もPVを数回観て、「可愛い~」という感じで、ねむさんのこともまだそんな深入りはしていないって感じだった。それが大学3年の秋頃。そこから1回目の就活が始まります。(結局単位が足りず留年をするという…)


肥大化した自意識と戦った大学4年時

就活と言っても、しょうもない事にもやもやして全然行動に移さず数社しか受けなかった。
それまで将来どうしたいとか考えた事なくて、ずっとバンドやって酒飲んでを繰り返していて。バンドやってた理由も楽しいからだけで、将来の仕事にはしようとはしていなかった。
凄く中途半端な事をやっていたし、迷惑をかけてしまった人たちもたくさんいた。
何もかもわかんないよ!!という感じで過ごしている内に、気付いたら、もう夏。周囲は就活を終えて、最後の学生生活を送っていた。一人だけ取り残された気分だった。

それまでの人生について。幼稚園~中学までと、皆のリーダー的な存在で、学校中に友達もいたくらい、リア充だった。陽キャだった気がする。

高校受験も、大学受験もなんとかうまく行って自分好みの大学に行く事にもなり、そこまで大きな挫折もなく、ある程度いろんなことをうまくこなせていた気になってた。

そんな自分にとっての、「自分って何をして生きたいんだろう」という問いは人生を悩ませたし、今まで何のアクションも起こしていなかった自分自身への嫌悪感で一杯になってしまった。


初の挫折は相当堪えた。
約半年、家に引き籠ってアニメを見て、夜中に家を出て飲みに行ってを繰り返していた。

そんな時にリリースされたのが、『W.W.D Ⅱ』だった。

PVを初めてみた時の事を今でも覚えてる。
そんなに知ってるわけではないアーティストの曲なのに、なぜかめちゃくちゃ泣きそうになった。

一応WWD、でんでんぱっしょんのCDは買っていたけど、
それまでのでんぱちゃん達の物語を僕はたいして知らなかったし、一人ひとりに感情移入したわけではなかったんだけど、

僕はマイナスからスタートしたでんぱ組と、その時の自分を重ねていたんだろうなと思う。

そこから猛烈にでんぱ組.incに興味が増し、気がついたら一人の女性を目で追っていた。

それがねむさんだった。

ねむさんからもらったもの

ねむさんを好きになってから、色んなインタビューや映像などをかじりつくように見てきた。その中で、今の自分の価値観に大きく影響を与えたのが下記の3点だった。
※一言一句同じではなく、少し美化した内容になってるかも

<1>
・アイドルはいつか、いなくなる。永遠には存在しない。いまあなたが推しているアイドルちゃんも、いつかは卒業して、あなたの前からいなくなるし、あなたもその子のことを忘れてしまう日が来るかもしれない。
 でも、あなたが推しているあの子と一緒に過ごした時間や体験が存在していたという事実や、その事実からあなたが受けた影響は永遠になくならず、あなたの中に残り続ける。

この言葉は本当に自分に影響を与えてくれた。
過去に自分と出会い、影響を与え人格を形成してくれた全て人・現象に感謝できるようになったし、出会えた全てに恥じない自分自身であろうと努力をし続けたいと思えるようになったきっかけになった。

僕は、ねむさんを推していたことをいつか忘れてしまうかもしれない。
でも、この言葉や受けた影響は、たぶん死ぬまで自分の中に残り続ける。
物理的な永遠は存在しないけど、精神的な永遠は存在するんだと思えました。
そのことをテーマに僕が書いた曲がこれだったりします。
EVERLASTING.

※ちなみに、檸檬色という楽曲でたぶん意図せず同じ趣旨のことを歌っていて、広島でライブを見た時に生で聞いて思わず泣いてしまったのは良い思い出…一瞬だけど、あの時、世界には僕とねむさんしかいなかったいなかったんじゃないかと思えた…。

<2>
私が、私たちが、どん底にいたのを救い上げてくれたのが、ファンの人たちでした。私たちは全然万能なんかじゃない。むしろ欠けたところばっかりのいびつなアイドルです。だから、インタラクティブに、ファンの人たちも救いたい。それが私にとって世界を救うということだし、私にできる恩返しだと思うから。

「アイドルって、インタラクティブだ。」という発言を幾度となくし続けてきたねむさん。元々、彼女はメディアアートを美大の時に専攻していたり、
「美術を支えてきたパトロン、コレクターの存在」と「アイドルを支えてきたヲタの存在」の類似性も語ってきていた。

僕も元々バンドでライブをやっていて、もちろんステージから客席を見て反応があると演者であるこっちも高まって今まで以上のパフォーマンスができるし、逆にシーンとなっていると自分たちの実力不足とはいえ気持ちが盛り下がる経験をしていた。だからこそ、自分が起こしたアクションに対してポジでもネガでも反応があって、それによってこっちも工夫してさらにアクションして、というインタラクティブ性は、自分の人生でも大切な軸として捉えている。そしてその本質は、ただ反応し合うということでなく、互いの不足している部分を認め合い、補い合うということだと、それを気づかせてくれたのも、ねむさんだった。

<3>
・何かになれなくても、何かになりたい気持ちが、何かになれてる人より強くなる場合がある。未満。

ねむさんの「魔法少女☆未満」という楽曲で有名な夢眠ねむ哲学の一つ。
これも、自分の価値観に大きな影響を与えてくれました。
何かになれない一種のコンプレックスが、強い動機になる。色んな苦難や壁が立ちはだかって、泥だらけになるけど、それでも諦めずに努力をし続ける強さに変わる。

ガンダムUCのマリーダさんも、「それでも!と言い続けろ」と言っていたし、ロッキーも「人生ほど重いパンチはない だが大切なのは
どんなに強く打ちのめされても こらえて前に進み続けることだ」って言ってた。その原動力が、何者でもない、"未満"であること。”未満”である者たちへのエールだと思ってます。※ロッキーのはちょっと趣旨が違うなw


これからのねむさんとの向き合い方

(と、いうとめちゃくちゃ大袈裟なんだけど…w)

たくさんの影響を与えてくれたねむさん。
特別なにかが変わるとは、個人的には思っていなかったりする。
アイドルを辞めることで会いに行ったりはできないけど、書店を始められるそうだし、ピューロ等のイベントでも裏方として活躍なさるみたい。

なので、個人的には、ねむさんからいただいた良い影響を、次はねむさんに与えられるくらい(!)に、自分自身がいま向き合っていることに情熱を注いでいきたいと思っている。
アイドル活動を通じて、ねむさんはたくさんの人に良い影響を与えてくださったんだから、次はもらった良い影響の種をヲタクである僕たちが芽吹かせて、周囲に良い影響を与えていければ、それこそ人生をかけたインタラクティブアートになるんじゃないかと思う。

そうすることが、ねむさんへの一番の恩返しというか、ねむさんとの思い出を更新させることになるような気がするから。



※全ての文章は個人的な見解です。ねむさんの意図を汲みとれてなかったらすみません。

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