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脱・生きづらさ!「認知の歪み」を自覚するには「心の眼鏡のひび」に気づくこと

誰でもどこか認知が歪んでいるものだ。

一切歪みのない人などいないだろう。

先日、面前DVについての記事を投稿したが

家庭の中で、頻繁に怒鳴られる経験が多かったからか、どうも僕の中で「人を怒らせてはいけない」「地雷を踏んではいけない」という恐怖や不安がある。

これらに関連するもので、人と会った後に「やらかしてしまったかも?」「余計なことを言ってしまったかも?」と不安になる癖がついてしまった。

認知の歪みの一種といっていいだろう。

最近、ようやくこの種の不安によって苦しまなくなってきた。

不安そのものがなくなったわけではない。

不安になることも少なくないのだが「点で見るのではなく線でみよう」と意識したのだ。

ありがたいことに人間関係は恵まれている方だと実感がある。長期的に良好な関係が続く人が増えてきた。

こういう人たちは、僕のことをよく理解してくれているので、例えやらかしたとしても「まあ、そういうこともあるか」くらいの受け止め方をしてくれる。

受容されている感覚は、信頼を生む。

「ずっと変わらず付き合ってくれているので、今後もきっと変わらないだろう」と思えるのだ。

認知の歪みの厄介なところは、根拠がないのに勝手に傷ついてしまうことだ。

例えば僕の場合LINEをブロックされたり、関係を断絶された経験はないのだが、なぜか「そういう風になるのではないか?」という強い怯えがある。

根底に他者への不信感があったのかもしれない。

それが恐怖や怯えを生み出している可能性が考えられる。

人は人間関係の傷つきの中で、不信感を抱く。

しかし「人は信用しても大丈夫」と信頼感を芽生えさせてくれるのも、また人間なのだ。

自分の眼鏡に傷が入っていると、全ての状況がひび割れて見える。

それが常態化している人にとって、認知の歪みは必然かもしれない。

生きづらさから脱する最初の一手は、眼鏡のレンズにひびが入っていることを自覚することだろう。

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