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noteには「この世は人を蹴落として、なんぼ」の考えに絶望した人が多数⁉説
ドラクエなら僧侶、ファイナルファンタジーなら白魔導士。
自分を分析してそのように感じる。
自己理解が深まっていないときは、自身の気質を無視して戦士や武道家になろうとしたこともあったが、てんで上手くいかなかった。
幼少期からジャイアンみたいな同級生が本当に苦手で、競争させられるのが嫌だった(男性の集団が形成する、ホモソーシャル的な世界観が今でもすごく苦手)。
とはいえ「この世で生きるとはそういうことだ」と思い込んでいたときは、無理やり競争心を振るいたたせていた記憶もある。
ちなみに先日とらせていただき、たくさんの回答をいただいた下記の投稿を拝読すると、INFJ(提唱者)の方で「競争は苦手だが、ゲームや競技などの中での競争は好きです」とお答えになった方が複数おられた。
確かにゲームや競技としての競争は僕も嫌いではない(昔、格闘技もやっていたし)。
40代になって世の中の仕組みについて考えるようになった。生き方や働き方について、じっくり考えるようになった。
そして、競争ではなく貢献する働き方もあることに気づいたのだ。
確かに資本主義社会は、競争によって成り立っている。人間も動物の一種なので、生物の宿命としての優勝劣敗もあるだろう。
ただし人類が進化する過程で、競争のみで全てが進んできたとは思えない。
イギリスの人類学者ロビン・ダンバーは「人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度」という説を唱え、150人がダンバー数として定着しているが、150人の集団になると、各々のパーソナリティにもかなり多様性があるはずだ。
その中には「誰かに喜ばれたり、誰かを癒やしたりする立場の人間もいたはず」と推測している。
そしてそういったタイプも一定の需要があったので、子孫を残して今にいたるのだろう。
心優しすぎる人間は、競争社会で生きづらさを覚えるかもしれない。
社会の仕組みは、必ずしも全員にとって幸せなものとは限らない。
心優しい人は、誰かを押しのけて自分の利益のみを追求するのが苦手だ。
一部のインフルエンサー的なユーチューバーがたまに「お前らの年収を、俺はたった一ヵ月で軽々稼ぎ出してるんだ」といったマウント発言をしてるのを見て、なんだかなあという気持ちになりつつ「ああ、人種がちがうんだな」とも正直思う。
noteにはHSP気質、INFJの方が不思議と集いやすいし、そういった方々の中で「競争は苦手なんです」という所感を持ちながら、地道に暮らしておられる方も少なからずいるのではないだろうか。
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