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エーリッヒ・フロムの「愛するということ」から学ぶ自己愛とナルシシズムの違い

ここ最近、連日INFJ(提唱者)の方とコミュニケーションさせていただいているが、発見があって興味深い。

探究心が強い方が多く、おすすめのゲームや本などを聞くと「それやりたい!」「それ読みたい!」と好奇心がすぐ刺激される。

そんな流れもあってエーリッヒ・フロムの「愛するということ」を購入し早速読んで見た。

まず表紙がシンプルで上品だ。

僕は加藤諦三さんの本を何冊も読んできたが、彼の著書の中に何度も登場するエーリッヒ・フロムがずっと気になっていた。

「愛するとはどういうことか?」についての追求した一冊。

200ページほどで、読みやすい内容だった。

愛の対象を
・友愛
・母性愛
・恋愛
・自己愛
・神への愛

に分類して書かれている。

自称、自己愛研究家の僕はまっさきに自己愛の項目へ飛びついた。

今の日本では「自己愛」という言葉は、歪な自己愛を持つ者、自己愛が強すぎて周囲を困らせる者というイメージがついている。

僕もそういった文脈で自己愛という言葉を使うことが多い。

西洋の考えの中で「自己愛は利己主義と同じ」というものがあり、宗教改革者のジャン・カルヴァンは「自己愛はペストである」と称したと本書に書かれている。

しかし、こちらの本では自己愛とナルシシズムを区分けしている。

本来の自己愛は、自分をかけがえのない存在だと認め愛する健全なものだ。

対してナルシシズムは、徹底した自己執着だ。強烈な自己執着が発生する要因として、自己の不在、自己不信と他者不信があるのかもしれない。

本書の中で「おおっ、そういうことだったのか!?」と感銘を受けた一文があったので引用させていただこう。

フロイトによれば、利己的な人間はナルシシズム傾向が強く、いわば自分の愛を他人から引きあげ、自分に向けている。たしかに利己的な人間は他人を愛せないが、同時に自分のことも愛せないのである。

エーリッヒ・フロム「愛するということ」紀伊国屋書店

ナルシストとは、人も愛せず自分も愛せない。つまり「誰も愛する力を持たない」という残酷な事実が本書で看破されていた。

「愛の反対は無関心」という言葉がある。ナルシストの関心は、自分にだけ向いている。

フロムは、愛するためには謙虚さと客観性を備えた理性が必要であると説いている。

自分の話で恐縮だが、かつての僕は歪な自己愛を持つナルシストの集団の中にいた。

そこでは成果を出しかけた人間を、自分たちの低いレベルに引きずりおろす行為が横行していた。

健全な自己愛を持つ者か、ナルシシズムの持ち主かを見分けるわかりやすい基準がある。

それは仲間にとって幸せなことが起きたときの反応だ。

ナルシスト集団に数年身を置いていたことがある。そこでは結婚報告や仕事での成果報告をしたら、一瞬で不穏な雰囲気になった記憶がある。

このときのナルシストの内心は「お前だけ幸せになりやがって!(俺たちがこれだけ苦しんでいるのに)」である。

あなたのことを本当に思ってくれている人は、あなたが幸せに向かって進み出した瞬間、必ず祝福してくれる。

あなたが祝福されるべき体験をしたにもかかわらず、眉間に皺を寄せたり、舌打ちしたり、陰口を言ったりする人とは今すぐ縁を切った方がいいし、心理的な距離を引き離すべきだ。

それが自分を大切にするということなのだから。

エーリッヒ・フロム「愛するということ」を読むと、本当に自分を愛してくれている人、そして自分が愛せている人は誰かがより明確になるだろう。

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