愛情を受け取るのが下手…照れ逃げ脱却で「好意の循環」を作る
ある定期的な会の主催をしているのですが、気づけば3年経っていました。
改めて振り返ると、協力してくださる人の数が増えて、回を重ねるごとに良い雰囲気になっています。
ありがたいと思いつつ、どこかで「なんでみなさん、こんなに協力してくれるんだろう」と、不思議に思っている自分がいました。
昨日、いつも催しをサポートしてくれている人とLINEでやりとりをしていて「自分の好きな人が楽しそうにしているのを見ると幸せになれる」という言葉を頂戴し、涙腺が緩みました。
僕は褒められるのが苦手で、愛情を受け取るのがきっと苦手な人間です。
どこか根底で恐怖があり「自分なんかが…」という気持ちがあるのでしょう。
それが結婚してから、少しずつ変わりました。
きっと妻が日々注いでくれる愛情によって、心の中にある愛情を入れる容器に愛情エナジー?みたいなものが溜まり、だんだんと増えていったのでしょう。
これによって、愛情を示してもらったときに、だんだんと実感できるようになりました。
ここ最近は、嬉しいこと、感謝の気持ちが高ぶるとよく目がうるうるしています。
感情の蓋を外したことによって、感性が鋭敏になっているような実感が少しあります。
昔から「あなたは愛されキャラだから」と、よく言っていただくのですが、これももうひとつピンとこないのが本音。
協力してくれる人、応援してくれる人、サポートしてくれる人が現れ、だんだんと増えている実感がありますので、やはり「ありがたい」としか言いようがありません。
褒められたり、感謝を告げられるとすぐ照れてしまい、シャイな子どものようにモジモジしてしまうのですが、最近は頑張って「ありがとうございます」「嬉しいです」と返すようにしています。
せっかく愛情を注いでもらっているのに、遮断するのは失礼な行為。
恥ずかしさで、滞りを作ってはいけないのです。
愛情や好意が循環するようになれば、世の中はもっと良くなっていくでしょう。
「返報性の原理」ではないですが、感情は伝染し循環します。
悪意を向けてきた人には悪意を返したくなりますし、好意を向けてもらえると、好意を返したくなるのが人間という生き物。
「照れくさい」というだけで、好意の循環をとめてしまうのはもったいないですね。
好意を循環させていくためにも、改めて「自分が心底好きと感じられる人を絞っていくのが大事」だと思いました。
今いる環境はかなり良いもので、かつてのように心に蓋をして生きる必要がなくなっています。
孤立無援だった時代は終わり、気づけば心優しい味方に囲まれていました。
まだ警戒心が強く、心の癖としての防衛は残っていますが、ゆっくり解除していけたらと考えています。
きっと幸せや愛情は、そこら中に転がっているんです。
でもキャッチする側が心を開かないと、それに気づけません。
それってすごくもったいないですし、与えてくださっている方に申し訳ないですね。
「貧すれば鈍する」という言葉が示すように、ゆとりを失えば様々なことに気づけなくなりますし、ともすれば曲解した悪意を含む解釈をしかねません。
そうなると地獄街道まっしぐら。まるで楽しくないですね。
だからこそ、自分の心身を整え、しっかり愛情を感じ取れるような状態でいたいと思うのです。
そしてお返ししていきたいです。
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