支援を求めることは恥? 〜相棒正月スペシャルを見て〜
※多少ネタバレあり
ラストの方で、こんなセリフがありました。
涙が出てきました。
そして、ある出来事がよぎりました。
「あなたは働いているでしょう?その上、障害年金まで貰うつもりですか?」
これは、病院のケースワーカーに言われた言葉です。
この頃、僕は障害雇用で働いていました。
(そことは別の病院で広汎性発達障害と診断されていた。)
支援者などの助言を得て、年金の相談にいったのです。
ちなみに、働いていることは、申請が通り難くなる要因にはなるみたいですが、
受給できない、ということにはなりません。
しかし、自分の中でとてもとても強い抵抗がありました。
手帳は3級だし、自分のような比較的軽い症状の人が、そんなものをもらってはいけない、と強く思っていました。
事前に色々と調べていたため、仕事をしていても障害年金はもらえる、ということは知っていました。
しかし、「働いている上、年金ももらうのか」というケースワーカーの言葉は、いわゆる、水際作戦だと感じました。
強烈な拒絶を感じ、何も言えなくなりました。
ケースワーカーは終始カルテを見ていて、こちらを見ることはありませんでした。持っていったメモも一切見ませんでした。
相談にいく、というだけでもかなり勇気が必要で、就業する前から何年も悩んでいました。
メモを見せることもかなりの勇気を必要としました。
それだけに、障害年金がもらえないことなんかより、
その「態度」が一番傷つき、そして強烈に恥ずかしい感覚に襲われ、心は凍りつき何も言えなくなりました。
年金がもらえないことは覚悟していました。
しかし、まさかそんな対応を、しかも病院に取られるとは思いませんでした。
障害年金の支給要件に合っていれば、貰っていいはず。
しかもそれを決めるのは、僕でもケースワーカーでもなく、
審査にあたる人のはず。
なのに、なぜこんなにも、恥ずかしいこと、と感じなければならないのだろう。
僕は、この感覚によって、失業給付の延長をも自ら逃してしまいました。
思い出すと、とっても悔しいです。
「自己責任」という空気
この空気に覆われているのは、何も障がい者の方だけではありません。
全ての人が覆われていて、そんな心理的安全性に欠ける社会の中で全ての人が生きている。
本当に困った時には恥をかかなければならない、
自覚しづらいぼんやりとしたそんな恐怖の中で生きている。
そうはならないようにと、必死に耐えて生きている。
だからこそ、他人に「自己責任」と言いたくなる。
僕の中にも、上記のことがあっただけに、そのように言いたくなる衝動がある。
僕は、支援を受けることをはずかしいこと、と思い込まされているのでしょうか?
それとも、個人的な経験でそう思い込んでいるのでしょうか?
いずれにせよ、そんな空気に負けた自分が悔しい!!
自分に申し訳ない!!
自分の真実に立って、生きていきたい!!
杉下のセリフが響いた夜でした。
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