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HSPが語るバチェロレッテ2に観るアダルトチルドレンの解決法【ネタバレ】

こんにちは!
HSS/HSPのずぼらーまめ子です。

このブログでは、HSPであることを知ってから10年間試行錯誤して得たHSPノウハウをシェアしています。HSPの方には人生の参考に、HSPでない方にはHSP(あるいはHSS型HSP)である私の体当たりな人生を楽しんでいただけたら嬉しいです。振り返ると滑稽な人生ですが、本人は至って真面目に生きています^^;

本日のお題

本日のお題は「バチェロレッテ2に観るアダルトチルドレンの解決法」です。今回の記事はバチェロレッテ2を観て、内容についてあーだこーだ言って楽しむ内容なので、まだご覧になっていない方は読まないでください。 ネタバレを含みます。

皆さんバチェロレッテ2はご覧になりましたか?
私は最後まで観ないと気がすまない質なので、最終話がリリースされてから3日ほどで観ました。

バチェロレッテ2の視聴者の評価はあまり芳しくなく、
(なにがそんなに悪いのー??)
と疑問を持ちながら観ました。

鎧(よろい)の原因。


最終話でみきさんのお母様が出ていらっしゃいました。なかなか個性的なお母様でしたね。経営者である旦那さまを立派に支えてこられたんだろうなぁ、という印象を持ちました。

その後、みきさんが
「学校でいじめられ、円形脱毛症ができてしまった時に家族がすごく心配し、そこから心配させないように鎧を着るようになった」
とおっしゃっていました。

おや?

と思った私です。
なんだか聞いたことのある話だったのです。
そう、父親の仕事で海外に行き、言語が喋れず、それを言えなかった自分と重なったのです。

誰もが憧れるバチェロレッテと凡人を一緒にするなー!

とヤジが飛んできそうです。確かに、私は上場準備会社の経営者ではなく、男を振り向かせるほどの容姿ではなく、ビキニを着ても谷間なんぞできない。だが、そこは許していただきたく。

話が逸れましたが、
要約すると
『親を必要以上に心配させたくなく、鎧をまとう必要があった』
というのが共通しているのです。
私は現地の言葉がしゃべれないことがコンプレックスとなり、周りの人と話すことができなくなりました。日本人の駐在員の子どももいたのですが、親が現地にいながら日本人と関わることを良しとせず、私は一人で居る選択をしました。何を言っているかわからない授業。長い昼休みは一人。トイレも一人。孤独でした。でも、親に打ち明けたらきっと悲しみます。そこまで優秀ではなかったものの、聞き分けの良い私は、我が家の期待を背負った長女だったのです。心の奥ではわかってほしいと叫びつつも、親にSOSは伝わらずその後、家族に鎧を脱ぐことはありませんでした。過食症になりかけた私に気がついても母親が私と向き合うこともなく、色々な出来事により少しずつ鎧は分厚くなっていきます。自分がアダルトチルドレンであり、自分の不安定な部分の元凶が母親との確執だと気づくのは出産をしてからです。

そんな私は今も親に対して鎧を脱いでいません。
でも、アダルトチルドレンは改善されました。

なぜか、

それは、良い伴侶を得たから。

人生の半分以上の選択肢が失敗だったと思える私の人生ですが、唯一正解だと思えるのは伴侶選び。今の夫に出会えたことで私の人生は一変しました。

私の夫は否定しません。
私が「あぁもうダメだ」
と言っても
「だいじょうぶだよ」
と言ってくれる。

HSS/HSPの私が突拍子もないことを言っても            
「いいんじゃない」
と言ってくれる。

未だにこの会話には助けられます。
初めて夫に鎧を脱いだのは、私が留学中の時でした。
それは大学生の頃。交換留学に行った私は、なんと留学中にうつ病になるというマヌケな事態に。そんな時に親が遊びに来ると言っており、顔には出さずとも少し楽しみにしていました。子どもというのは本能的に母親を愛したいと思っているものですね。

ホテルの予約やら準備を積み重ねていたところ、
娘(妹)の花粉症の鼻の手術があるため行けなくなった、とのこと。
鼻の手術ってなんじゃそら!という感じですが、やけくそになった私はここで自分がうつ病であることを母親にメールで伝えます。鎧をまとった私が一世一代の勇気を振り絞って。

うつ病だったこともあり、狂ったようにメールの返信を待ちました。
ようやく数日後に返ってきた返信を読むと

「お母さんも体調悪いのよね。」
と返ってきました。


ガクッ!

絶望の果て。


本当にしょうもない母親です。
昔から何も変わらない。
母親として正しいことはたくさんしてくれたけど、
子どもの気持ちを汲み取ってくれない。
どういう思いで娘がうつ病であることを打ち明けたのか
どう思っているのか
まったく理解してくれませんでした。

やっぱりダメだった。。。

親になって完璧な親になるというのは本当に大変だと実感しています。でも、子ども側からするとそんな事情なんておかまいなしです。落ち込みました。とても。

この時、
今の夫と付き合っていなければ本当に自分がどうなっていたかわかりません。

夫は毎朝5時に起き、
当時はラインなどなかったのでIP電話で電話をしました。
病んでいた頃の私なので、しょうもない話をグチグチ言っていたと思いますが、とりあえず「うんうん」と聞いてくれた。おそらく対して深く考えていなかっただろうけど、それが私にとっては救いでした。

夫はここから10年以上もの年月、同じように耳を傾けてくれています。親の前で鎧を脱ぐことはありませんでした。しかし、夫のおかげで私は鎧を脱ぐ場所を手に入れました。


バチェロレッテの場合


私は恵一推しだったので、恵一が選ばれるところが観たかったです。ただ、みきさんが私と同じアダルトチルドレンだと仮定すると、愛を囁き続け、みきさんを全肯定してくれるマクファーが正しい選択肢だったのかもなぁ、と思う最近です。

親に心を開けない苦しみはアダルトチルドレンに限ったことではないかもしれません。どういった苦しみであれ、新たな人との関わり合いで改善することがあります。みきさんにとってマクファーがそのきっかけになるかもしれませんね。

HSPである私にとって、アダルトチルドレンになることは容易だったかもしれません。母親は未熟ながらに精一杯母親を務めていたのだと思います。親がいくら完璧でも、繊細すぎる私はアダルトチルドレンになっていたのかもしれません。

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