本当に正解ってなんだろ?

私は『正解』を常に意識していたと思います。




例えば


遅刻しない

間違えたらすぐ非を認めて謝る

出された課題はきっちり期日を守る


など





なので、遅刻した人はありえないと思っていて、課題を出してない、やっていないと堂々と言っている人は信じられなかったのです。



しかも、きちんと課題をやっているのに、周りの子に合わせてやっていないと言う子も不思議でした。



課題なんてできる・できないではなく、やるか・やらないかです。



そこで友情は変わるくらいならそこまでの友達だったと思うし、なぜウソついてまで友達に合わせるのか不思議でした。



友達に合わせてまで人間関係を作るなら、一人でも好きな時間を楽しんでいた方が気楽かなと思っていました。




私は先生や評価のあること集団行動は従順に合わせていましたが、友達等、自由選択できるものと認識していたことはマイペースでした。




私の中で無遅刻、無欠勤(体調不良を除く)は世の中生きていく中で正しい答えであり、必ず守らなければならないことだと信じて疑わなかったのです。



しかし、生き方に正解なんてないのです。

私の受けた教育では遅刻はよくない、経験でも人に迷惑をかけてしまったと感じることがあったので、無遅刻が正しいことと認識があります。

結局、 自分の正しいことは教育と思い込みに過ぎないのです。




子どもに質問されても●●は○○だとはっきり言うことができなかったことがあります。





小学生の子どもに「誕生日って朝からお祝いするの?」と聞かれたことがあります。



誕生日の日にちにもよりますが、大半の家庭は夜にご馳走を用意して祝うと思いました。



でも、息子のようにまだ保育園も行っていない月齢で、パパが有給を取れるような家庭だったら朝からレジャーに連れて行ったりするでしょう。



反対に日々の生活が常に厳しく誕生日をお祝い出来ない家庭もあります。

大人になってからの誕生日の過ごし方も変わるでしょう。



たった一言の質問に誕生日は夜お祝いするものだよと決めつけた答えをすることはできませんでした。


私の考えを子どもに決めつけて教えてしまっているのでは?と思ったのです。




なので、私の家は夜お祝いするけど、朝からお祝いするお家もあるし、お祝いできないお家もあるよ。



と答えました。



答えが散らばってて逃げているようにも感じましたが、「そうなんだ」とあっさり受け入れてくれました。



そこから、私に朝からお祝いしてほしい。起きたら誕生日おめでとうって誰かからお祝いの言葉とプレゼントがほしいと理想の誕生日の過ごし方を教えてくれました。



私はこの子のママではないので、全ての願いは叶えてあげられませんが、ここで話を聞きながら、どんなプレゼントが入っていてほしい?




朝起きてすぐがいいの?昼はダメなの?と想像できそうな楽しい質問をしていました。



誕生日の過ごし方も正解がありません。




どの本にも載っていないし、最高に楽しいと感じられるのは本人のみです。



まだ起きていないことを想像しながら、話すことって楽しいのです。



次から次へと想像が膨らみます。




正解のないことを想像しながら楽しめる人になれたら、世の中楽しく見えるかなと思いました。


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