大人になってやっと、勉強したくなってきた。
学生のころ、とにかく勉強がきらいでした。
特にきらいだったのは漢字ドリル。
なぜに同じ漢字を何度もなんども反芻せねばならないのか不思議でたまらなかったですし、親の仇かってくらい憎んでいました。
あ、話が脱線しますが、えんぴつを2本かさねて持ち、1回の書く作業で2行を埋めるワザをあみだした時は自分を天才と信じて疑わなかったことを今でも覚えてます。特許とればよかったな。
はい。元のレールに戻ります。
時は過ぎて、大学の頃3年生くらいだったか。「あ、この分野についてもうちょい知りたいな」と思うことがありました。
最初は「障がい者支援」についてだったと思います。
かぶりつくようにテキストを眺め、狂ったように文章を書きとめ、脳みそのシワというシワに情報を染み込ませていったことを、昨日のことのように思いだせます。
この「勉強したい欲」の源泉はなんだったかな?
ふと思い返してみると、大学からはじめた「読書」という経験からはじまっていたなと。
いまでも覚えているのは、卒論を意識しだして図書館へ通う回数が多くなり、息抜きで読んだ1冊のビジネス書がぼくを読書沼へ導いたということ。
そういえば、インスタのストーリーズに投稿していたなと思い、見返してみると発見。
そのストーリズと本がこちら↓↓↓
2017年12月、今からおよそ7年前。とんでもなく懐かしい。感想もつたなくて恥ずかしい。でもよーーーく覚えています。
おもしれかったぁ。
この本が大学の図書館ではじめて手にした、まったく授業に関係ない本であり、はじめて手にしたビジネス書でもありました。
「こんな世界があるのか!こんな意識の高さで仕事をしているのか」とのけぞるほどいい意味で驚いたことを今でもハッキリと覚えています。
この本を読んだあと、本とゆかりのない人生から本を心の依り代にする人生が始まるとは、この当時の清瀬少年は夢にも思っていませんでした。
「1冊の本が人生を変えた」なんてうたい文句をよく耳にしますし、そんな事ねーだろなんて思ってた自分が、1番その恩恵を受けていたなんて。本当に人生ってどうなるか分からないよな、とおもいます。
そんなこんなで、今。
ぼくはコピーライターに、いや正確にいえば「ことば」にものすごく興味があって、キャッチコピーを中心にして外へ外へと、ことばの知識を集めています。
つまり、能動的に勉強しています。
仕事もしながら。ついでにバイトもしながら。家事もこなして自分の人生も楽しみながらの、勉強です。
忙しい。
でも、勉強したい。
勉強したいから、友だちと遊ぶことも呑み会に参加することもグンと減りましたし、朝起きる時間も6時に固定されました。
起きてふにゃふにゃと怠惰に過ごし、YouTubeで時間を潰すこともなくなり、起きたら即、読書という生活。
大学生の頃のじぶんよ。7年後は、なんか凄いストイックになっているぞ。なに目指してるかは、自分でもよくわかってないからそこは変わってないかもしれないけど突っ走ってるぞ。がんばれ……なんて教えたくなる。
……でも、これでいいと思う。
今がとても、充実しています。決して簡単なことじゃないし、シンドいし、苦しい。でもそれ以上に使えることばが増えて、表現の幅がひろがるのが楽しくて仕方がないんです。
なにより勉強欲が高まっていくのが、肌感として理解できる。これがなにより嬉しい。
勉強という苦行から1秒でも早く抜けたいと思っていたのに、人生というのは本当になにが起こるかわかりませんね。
これからもきっと、人生の節目節目で振り返ってみたときに「あ、20代は狂ったように本読んで勉強してたな」とか「そういえば、30代は●●について勉強してたな」なんて思い返せるんだろうな。
きっと勉強にのめり込んで、もっと好きになっていることでしょう。いや、一周まわってまた嫌いになってるのかもしれません。
どっちにしておもしろそうなので、それを楽しみに勉強しながら生きるのを楽しんでみようと思います。
この記事を読んでくださったみなさんの、勉強熱が上がった瞬間にも興味があるので、もしよければコメントで教えてください♪
今日はこんなところで。ほな勉強してきやす。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?