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「知らないのに懐かしい」戸田家の兄妹(1941年)映画。身一つで引き寄せる

美輪明宏さんファンによる「昭和初期の映画と正負の法則」シリーズ、第5回です。初めてご覧になる方は、下記リンクをご一読くださいね。

日本映画『戸田家の兄妹』 / 知らないのに懐かしい

日本を代表する映画監督の一人である小津安二郎は、1903年(明治36年)12月12日生まれで、2023年12月12日に生誕120年・没後60年を迎えます。明治・大正・昭和の3時代を生きたかたです。

今回取り上げる映画は、1939年に日中戦争から帰還した小津監督の久々の作品で、大船のオールスターが出演する『戸田家の兄妹』です。公開は1941年(昭和16年)。

佐分利信、高峰三枝子、葛城文子、藤野秀夫、桑野通子といった豪華な顔ぶれが揃う同作は、1930年〜1960年頃の映画が好きな私にとって「知っている人ばかり」。現代の映画では中々得られない感覚です。

またその愛着とは別に、ダントツに既視感や生々しさを感じた作品です。この時代を直接は知らないのに、妙に懐かしいのです。

私の人生初の小津作品は、京マチ子目当てで観た『浮草』(1959)でしたが、『戸田家の兄妹』のように強い懐かしさはありませんでした。まあ『浮草』の設定が非日常ですし、懐かしさよりも初めて見る小津調に圧倒されていました。そうそう。杉村春子、京マチ子、若尾文子といった昭和の女優さんの魅力も今後綴ってまいりたいです。

過去世か、リアルの既視感か

万年青オモト

昭和16年の映画が、今までに観たどの映画よりも懐かしいとは興味深いものです。その時代に生きた過去世を持っているとしたらロマンがありますね。私は所謂スピリチュアルな話も好物ですが、今回の場合は実際に昭和初期の名残を体験していたのだと思います。

例えば既視感は小道具にもありました。九官鳥と共に引越しに連れて行かれる複数の観葉植物は、万年青オモトですよね。亡き祖母の家から、鉢を分けてもらったことがあります。歴史ある古典園芸植物だそうですね。オモトは一見あまり動きのないシンプルな緑の葉ですが世話をすると花や実が生り、子株も出来ます。映画では大小複数の鉢が見られます。

25歳を過ぎて独身を笑われた

親戚付き合いでも、昔の名残を体験していました。アラサーの頃だったか、親戚の集まりの席で、大叔母から私の年齢で未婚であることを笑われたんですよね。しかも皆の前で年齢を言わされるという公開処刑。高齢の大叔母が、30前後の大姪(姉妹の孫)をからかうのは、元気で結構なことかもしれません。親戚一同も笑っていました。

しかしその頃の私は病気をしていてあまり働けず、十分な医療を受けることが出来ていないなど、大変苦しい状態でした。世間の目を気にして病人や優秀でない人を隠す家系なのか、はたまた地域の風習なのか?、私以外にも普段は隠されている親戚がいました。そんな状態でしたので家出して事実婚生活を送っていたこともありました。

何年も後で気付くことや思い出すことがある

ああ、だから『戸田家の兄妹』に既視感があったのかもしれません。記事を書きながら気付きました。妙な懐かしさや既視感の正体はこれだったんですね。

同作で未婚のヒロインと母親は、結婚している姉たちに邪険にされてしまいます。お姉さんのお友達が来る時は、外出して欲しいと言われるなど、一緒に暮らしていることを隠されるのです。

ヒロインたち母娘は贅沢をせず質素に暮らし、手伝いなどやるべきことはやっています。困りごとに関してもあくまでアサーティブに伝えています。それでも、姉の方に非があったとしても露骨に迷惑がられ、もっともらしい言葉で否定・非難されてしまうのです。この境遇、良く分かります。

外面は良いきょうだいたちですが、彼らは実際のところ「暮らしの質を今より落としたくない」「私の家なのだから余計なことしないで欲しい」のですよね。彼らが母親と三女を家に受け入れても、食いっぱぐれない程の裕福さは十分にあるはずですが。でも子育ての方針に関しては、自分たちのやり方で行きたい気持ちも少しは分かります。結局のところ、ヒロインも感じているように相性がよろしくないのです。

正負の法則。生きやすさと、持続する幸運を得た方法

ヒロインたちの健気な暮らしぶりを書きましたが、実際問題、理不尽な境遇に置かれてうんざりすることってありますよね。相手の一つの言動にキレるのではなく、積み重なって「もう無理。これ駄目なやつだ」となるようなことです。昔の映画の女性達が好きな私ですが、ただ耐えることを美徳としている訳ではありません。

正負の法則で説明します。辛い出来事の中に、正負の法則の正を見出すのは、しなやかに生きる知恵であり開運のコツでもありますが、それは「辛い出来事を甘んじて受け入れること」でも「無理なポジティヴで誤魔化すこと」でもありません。辛い出来事の"直接的な結果"や"感情的な不快さ"ではなく、対になっているところや別のところに実りがあることも多いのです。

「自分にやれることはやってきた」「日々努力してきたが上手く行かない」というときは、一旦上手く行かない方が良いことだってあるのです。映画でもそうですし、私の生活でも、家から離れた方が上手く行きました。

正の部分に気付き、或いは探しながら、自分自身や大切な人たちのために課題をクリアしていく感覚です。この考え方は、私の人生において浮き沈みの激しさや行き詰まりを緩和し、穏やかさや持続する幸運をもたらしてくれました。落ち込むことが0になる訳ではありませんが、回復が早くレジリエンスも強化されます。

小津作品のヒロインたちの多くは、例えばこれまでより貧しくなったとしても、人を愛する心を捨てることなく、芯は強くあるまま、変化には柔軟に適応します。新たな次元での豊かさを手に入れるのです。そんな彼女たちを人も社会も神様も放っておかないでしょう。いずれまた暮らしも幅広い意味で豊かになることは想像に難くないです。

現代社会においては、不景気、鬱などの現代病、新種の疫病など新たな問題もあり、開運の実感を得るには想像より時間が掛かるかもしれません。(あと自由度が増した分、欲を刺激するような社会でもありますし誘惑は多いです)

周囲がどうであれ、水面下でも良いのでポジティヴなアクションを継続し、自分の道を叶えてまいりたいですね。

主要人物の年齢差

女たちの会話は怖いか

映画の冒頭、まだ波乱が訪れる前の姉妹たちのやり取りも、実はとても好きなのです。繰り返し観ているので、今仲良くても後で冷たくされると知っているのですが、それでも良いシーンだなと。「話の合う部分で気持ちよく交流している」感じ、これは人間の裏表とは別だと思います。←感覚的に分かるかたがおられたら嬉しいです。

ーとはいえ最も折り目正しい長女が一番キツく豹変したのには堪えましたが。

さて、経済的に豊かな環境で愛されて育ったであろう姉妹2人と、ちょっと気が強そうで同じくお嬢様育ちだったと思われる兄嫁、普段は別々に住んでいる彼女たち3人が語らっています。両親の年齢は、干支で確認するとピンとくるようです。「お父様、おさるですもの」「ねえ、そうするとお母様、辰かしら?」のように。

昔は干支が今より身近だったようですね。子供の頃、大人(主に女性)が干支の話をしていたのを覚えています。

主要人物の年齢差

主な登場人物の年齢を、下記に整理しました。

◼️戸田家、主要人物の年齢設定。【】内は役者さんの名前。

・父親【藤野秀夫】69歳、明治5年生まれの申年。
・母親【葛城文子】61歳、明治13年生まれの辰年。夫とは8つ違い、二女より三回り上。(還暦は、数え年の61歳、満年齢で60歳)

・次男【佐分利信】二女より年上。独身。
・二女【坪内美子】25歳、辰年。父親の還暦祝いの時に女学校で、三女はその時まだ小さかった。
・三女【高峰三枝子】ヒロイン。女学校を卒業しお嫁に行く予定だった。

二女が母親を「三回りみまわり上」と語った際に、私は「母親と30歳違いかぁ。あれ、そしたら8年前の父親の還暦祝いに女学校に行っていたというのは年齢が合わない」と一瞬疑問に思いましたが、落ち着いて考えると干支が三回り上なのですよね。本来「一回り上」とは12歳上を差すのですが、現代では10歳上として使うことも増えて来ているようです。私も昔は12歳上と理解していたのですが、いつの間にか10歳上で使っていました。

年齢が三回り上ですと、36歳の差ということ61ー36で、二女は現在25歳、8年前の父親の還暦祝いの時は17歳(満年齢だと16歳くらい)でしょうか。

三女は母親の還暦祝いの際に「女学校を過ぎて、もうじきお嫁さんですものね」と言われているので、8年前でも幼児とまではいかないと思います。

ですので「あなたあの時、まだこれくらい」というジェスチャー(正座した状態で肩より低い位置を示す)は、大袈裟に小さく表現しているのでしょう。普段離れて暮らしている年上の親族が「あの時、まだこんなに小さかったのよ〜!」と懐かしむことは、現代でもありますものね。笑

数字で具体的に俯瞰する

昔の映画シリーズを執筆していると、大叔母とのやり取りも良い経験だったかもしれないと思い始めました。なんなら「貴重な経験」として脳内に保存し直しました。『戸田家の兄弟』で中学2年の少年を演じた葉山雅雄は大正14年生まれで、2023年現在、御年98歳。父方の祖母たちきょうだいはこのくらいの世代です。私と大叔母と感覚が違って普通なのです。

輪廻する私たち。身一つで引き寄せる

巡る魂

最終章です。兄夫婦の家にお世話になった際、ヒロインはお惣菜を拵えたりお掃除したり、母親と二人でお布団に綿を入れることさえありました。お嬢様ではなく庶民の生活ですよね。

戦前、お布団は家庭で仕立て家庭で打ち直すものだと、映画をきっかけに知りました。綿の打ち直しというのは聞いたことがありましたが、お布団を作る段階から家で女性が行うとは驚きました。

なお『麦秋』(1951)では、三宅邦子が母親とお布団の仕立てか打ち直しをしているシーンがあります。『戸田家の兄弟』によって三宅邦子に意地悪なイメージが定着することはありませんでした。

それよりも、お馴染みの女優さんが出てくる作品を複数見ていると、輪廻を繰り返し様々な役割を演じている、私たちの魂のようにも思えてきました。・・・結局スピリチュアルも交えてしまいますね。

上乗せされる幸運

戸田家の末娘であるヒロインは泣き虫で、ちょっと甘えん坊なところもありそうです。それでも、悲しみは悲しみでちゃんと味わって、そこから前を見て歩み始めています。一方、強情な人や薄情な人、不誠実な人は、そこそこ良い思いをしても後々苦労することが当時の映画でもよく見られます。逆転するんです。

『戸田家の兄妹』の終盤で、兄のお嫁さん候補として、ヒロインが友人を紹介する場面が印象的です。「とっても綺麗なかた。頭が良くて、素直で、優しくて、とてもいいかたよ」と太鼓判を押します。

その友人というのは職業婦人で、父親が健在の頃から人に使われる立場であり、ヒロインとは身分の違いがあるようです。むしろそのような中でも凛として生きる姿は、ヒロインにとって信頼でき、尊敬の対象となっています。

映画でも現実世界でも、正負の法則の正は、逆境を乗り越えるときに嬉しい上乗せがあるような気がします。努力や工夫、誠実さにより境遇のマイナスが減るだけではなく、更にプラスアルファがあるのです。

触れたいシーンが沢山あり無限に語ってしまいそうですので、とりあえず今回は『戸田家の兄妹』①とさせていただきます。noteで取り上げたい作品が多くて、続編は数年後になるかもしれませんが。笑

最後までお読みいただき、ありがとうございました!毎度のことながら、ボチボチ見直して修正します。

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