学びがある魂 毒親に育てられる意味とは

なるべくなら毒親に育てられないほうが幸せだと思う。しかし、学びがある魂だった場合、毒親の存在は必要だとも言える。これは毒親を正当化しているのではない。あくまでも結果が良かった場合のみに限られる。ここでいう結果とは、「生きて幸せになること。自分の出来ることを見つけられること。魂が成長し、磨かれた魂になること。心に邪なところがなく、あったとしても、それを好まず、できるだけ内面を綺麗にする努力をする人」のことで、それを「生きているときに気がつく人のこと」である。その場合にのみ、振り返った時に、毒親は必要だったのかもしれないという結果論に過ぎない。それは毒親に育てられた子、本人が思うことであり、第三者が判断するべきではないことだと思う。

学びがある魂、魂の飛躍的な成長を遂げたい魂は、毒親家庭を自ら選ぶことが多い。そういう魂の子が生まれた場合、その親も学びがある魂である。だからその親は早く自分が毒親だという自覚をするべきで、自分の子を虐めてしまうのは何故かということに気がつかないとならない。それが一番、難しいのだと思う。毒親は自分を正当化しているから毒親なのだ。自分が一番良い人だと信じて疑わない。自分の毒に気がついてない。自分の間違いを認めない。認めてしまえば、自分の存在を全否定されたかのような衝撃を受け、それを受け止める自信も強さも持ち合わせていない。自分が既に精神的に病気であること、自分の子が精神的に病気であることを発見し、自覚しなければならないと思う。魂の成長とは、精神的に強くなること。精神的に磨かれるには、それに対する耐性も鍛えなければならない。私は個人的に「しなければならない」という言葉が嫌いなので、言い換えるのであれば、苦しみが嫌いであれば精神的に豊かになる必要があり、苦しい状況が好きであれば、精神的に成長する必要もないのである。苦しみを除くことは、必ずしも、その人の人生が幸せであるという約束をしたわけではなく、病気の治療でいうところの対症療法のようなものに近いと思う。精神的、魂的に成長することで、幸せな人生を引き寄せる人生になる。幸せは、その人自身が幸せだと思っていたら、それは幸せだという主観的事実である。そしてそれは客観的に見て不幸でも、他の人に迷惑をかけてない場合は、幸せといえるのではないだろうか。精神、魂の成長が苦しみを除くことにより、それは未熟な精神、魂だった時よりも幸せを多く感じられる人になる可能性は高いと思う。そのきっかけの一つとして毒親の存在が、もしかしたら、あるのではないか?ということである。

私自身も毒親に育てられた経験があり、そこから学んだことを短くまとめてみました。

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