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『爪と目』藤野可織

濁っていても、美しい小説があるんだな。

最初に頭に浮かんだのはこの言葉でした。
『爪と目』は、公園の川みたいに澱んでいて、泥も混ざっていて、飲むと絶対にお腹を下すと分かっていてもその手を止めることができなかった、みたいな雰囲気が漂う作品でした。

藤野可織さんが芥川賞を受賞した際のインタビューを見ました。

普通の、平凡な人の持つ平凡さを極限まで突き詰めた感じで、傷つきやすい人よりも"傷つかない人の傷つかなさ"、と言ったものを書きたいと思って書きました。

下記の動画より 

主人公は「自分のことなんかどうでもいい」そう思っているようでした。
名言していたわけではないけど、普通の人なら傷ついたり怒ったりしそうな場面で、主人公はすんとして澄ましている。感情を失った、または元々持ち合わせてもいないようでした。主人公の感情の無さが、作品全体の不穏感を煽っているようにも見えました。主人公に対して畏怖感を覚えた人もいるのではないでしょうか。

しかし、主人公の女が怖い、怖いと怯えながら読んでいると、何かおかしくなる瞬間があったはずです。恐怖の対象がいつのまにか子供へと移り変わっていた人はいませんか?

子供は主人公と同じように、大した主張をしない。大人の言うことをしっかりと聞いて、自分から何かを言うことはない。ただひたすらお菓子を食べるか、爪を噛むだけ。

そもそもこの小説は二人称視点で主人公にあなた、と呼びかけている。二人称小説の面白いところは、誰があなたと読んでいるのかを考えることだが、『爪と目』ではその答え合わせがされている。あなた、と読んでいるのは子供なのだ。

いくら母親違いの家族とはいえ、母さんと呼べなくとも子供が"あなた"と言うのは気持ちが悪い。主人公(母親)と子供の間にほとんど会話がないのも不気味だし、展開もハッピーエンドが待っているようにはとても思えなくなっていた。
ラストの展開があることも必然的のように感じる、子供の狂気的な性格。母親に対して、父親に対して、何を思ってどう感じていたのか想像したくなります。

こういう、恐怖の対象が変わっていく様は『むらさきのスカートの女』を彷彿とさせます。(おそらく『爪と目』の方が先に出版されていますが)

この作品は、人間による「感情の標的」になることがどれだけ怖いか実感させました。
芥川賞の選評では、難しいとされる二人称に挑戦し、成功している作品とも評価されるほど、人称を上手く扱った作品だなと思います。"巧み"と言う言葉が似合うなと読み終えた今、思います。

芥川賞読破への道…第149回(平成25年上半期)

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