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【エッセイ】2022→23年録〜年末年始を1人で過ごしてみる思考実験〜


Ⅰ.ある言葉

2022年が終わり2023年になった。
振り返ってみると2022年はフワフワした一年だった。

理由はきっと努力していないからだ。
社会人を5年もやっていれば、あらゆることをシャビのパス宛ら反射で捌くことができる。
そもそも今までの人生で特段努力したという思い出もないのだが、昨年は特に結果までの道筋が最短だった。

自分は直感で面白い、やりたいと思った勝ち筋だけをただ淡々とこなしていく。
その道にコミットすることが自分の関わる全てにとっても最善だと確信している。
それはスポーツでも仕事でも何でもそうだった。
何か結果を残しても当然の出来事として通り過ぎる。

昔、進学校の合格発表を見に行ったまま遊びに行って、夕方帰宅と同時に合格を伝えた際、怒られたことがある。
親族総出で結果を待っていたそうだが、幼い自分にはその心配や期待が理解できなかった。

この感覚は、
今の自分に"できると許されていること"は必ずできるということで、
逆に今できないことは"今の自分に許されていない"ということなのだ。
なんとも傲慢だが、そういう確信に近い評価軸が自分の人生にはあった。
そこに不安や意外性はない。

そしてそれは、育った環境や、家族・友人との関わりの中で培った人格形成を信じきっているとも言い換えられる。
もし自分が否定されることがあれば、それら全てを否定されたも同然なので、どんな手段を使ってでもその対象を圧倒しないと周りに顔向けできないと心から思っている。

そんな全盛期のレアルマドリードばりにイキり立った価値観で、いつも通り常勝看板だけを掲げ切るはずだった昨年、

BOSSに言われた"ある言葉"が今も心にチクりと引っかかり続けている。

「"自分の中で"という口癖をやめた方がいい。」

正直ハッとして拒絶を覚えた。
今まで信じきっていた"自分の中で"という正義を井の中に仕舞い込まれたような、このままでは何かに負けてしまうという危機感を植え付けられたような、そんな恐怖を感じた。

これは間違いなく"今の自分に許されていない"ことだ。
"自分の中"の器の小ささをそっと指摘されたことに思わず焦りを感じてしまった。

今まで自分は、誰にでもできるようなことを、さもアレテーかのように大切に愛でては、まんまと歯車の一助を担っていたのではないかと。

その瞬間、自分のペースを守って犠牲なき全体最適を貫いてきた今までの人生をもう一つ上のフェーズに上げなければならないと悟った。
テキサスホールデムで不慣れなオールインをカマす直前のような心境だ。

それからだ。ずっとフワフワしていた。

青春アミーゴのような柔な負け知らず感を振り翳す相手はいつの間にか視界からいなくなった。

自分はこれから誰の中に「実在」を見つければいいのだろうか。

資本主義の先頭を行く本物の強者の"ある言葉"はこの世から一時的に"自分"を消し去ってしまった…。

Ⅱ.リズムと節目

そんなモヤモヤを抱えながら、年末年始は1人で過ごしてみることにした。
冷静になってみれば年末年始にわざわざ年末年始をやる意味もよく分かっていない。
(そこに意味を求める時点で多分ズレている。)

自分の日々のリズムは一切変わらないというのに、誰に会って何を話せば心が踊り、切り替えのようなものが起こるのか、もはや分からなくなっている。

生活のBPMを丁寧にとっている自分にとって、他人の存在は基本ノイズになる。
たまに即興のジャズセッションが噛み合う瞬間はあるものの意図したタイミングでなかなか起こるものではない。

外的な刺激はほとんどが場面完結で、一旦引き出しに仕舞われては「そういえば引き出しに単三電池があったな」くらいにしかならない。

結局、それを欲しがるタイミングは内的な衝動で、引き出しにあったとしてもコンビニまで自分の足で買いに行ったあとにふと思い出す。
(予備燃料が見つかるありがたさにも気付き始めてはいるが…。)

きっと潮時なのだ。
このまま過ごしていても、世間も他人も斜めに見過ぎてしまう。
外的な刺激にどうしてもピンと来ない。

昔からリズムが"変わらない"ということを、周りが、社会が、許してくれなくなることにきっと耐えられない。

自分の"変わらない"とは年齢に妥協して本当の理想を下げないことだ。
心地良い負荷の中で、面白い理想だけを追っていたい。
それがカブトムシやサッカーボールからアートやビジネスに変わった。それだけだ。
サウナでもキャンプでもラーメンでもない。

いまの日本は"そういう空気感"を感じ辛い気がする。
"負荷"にも"面白い"にもギャップを感じるし、なにより"夢を追っている感"がない。

そういえば、うちの両親は日本が"湘南"に憧れ熱狂している時、サンタモニカにいた。
そのせいで上の世代が"サザン"のグルーヴを出してくると妙な抵抗感がある。
この人たちは"ボンジョヴィ"じゃなくて"サザン"していたんだ、とlittle brianが呟く。

きっと今の孤独感の正体はこれだ。
自分の語る理想は"ボンジョヴィ"なのだ。

だからもう海外に行くしかない。

そうやって、"自分の中"から抜け出すための腑の落とし所を無理やり探してみるのだ。
(出した結論が、「日本からいなくなる」というぶっ飛ばし具合がなんとも憎たらしいが…。)

あくまで、"自分の信じた道の先にある出会いの必然性"を信じ過ぎていて、目の前の行動規範を変え切れないのはご愛嬌。
運命論者的なロマンチズムからはまだ抜け出せそうにない…。

Ⅲ.対岸の浜辺

自分が信じて突き進まんとするビジネス×アート(クリエイティブ)の道は、いつもどっち付かずになるかもしれない恐怖と孤独が付き纏う。
この道の先に"佐藤可士和"はあるのだろうかと。

しかし、両方プロフェッショナルになれないかもしれない怖さが心地良い負荷になって面白さを終わらせない。その理想が山を越え、海を渡らせてくれる。

自分には、メガバンクに入って果てしない資本の海を彷徨い続けることも、
画家になって終わりなき表現の砂漠を放浪し続けることも、きっとできないだろう。

それでも居心地の良いプライベートビーチくらいは探し当てられる自信がある。

慣れたワインを片手に浜辺から海を眺めて「ここが至高の"ブルーオーシャン"だ」と言って退ける。
そこにはロマネコンティもバスキアの絵もいらない。
海の広さも砂の踏み心地も好きな人と一緒に楽しみながら、渚のリズムに時間を委ねる。

そしていつか、砂浜に交じった綺麗なガラス片を集めて、海の財宝をかき集める猛者たちに自慢してあげたい。
村に籠る人も、山脈に向かう人も皆んな集めて浜辺に寝そべれば、"変わらない"自由を共有できる気がする。

もちろん、そのために海の残酷さも砂漠に聳え立つ山脈の荘厳さも先に知っておかなければならないので、やるべきことは尽きない。

理想のために決断した次の一歩はさすがに少し骨が折れそうだし、静かな焦りも感じてはいるが、持ち前の楽観性を存分に発揮してそれすら楽しんでいこうと思う。

自分のオールインが最期に誰とどんなものを連れて返ってくるのか、
まだ誰も知らない対岸の浜辺にて待つ…。


〜あとがき〜
壮大な感動風ラストにもっていければ寄り道は雑でいいと思っている銀魂癖全開のイタいエッセイ爆誕で草。
来年NYに挑戦するので応援してくださいという話です。

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