なぜ中国語講師をやめたか
私は中国語の研究が大好きで、人が成長するのを見るのが好きで、どうやら説明もわかりやすいようなので祖母も私に教師になってほしいと思っていたようです。
実際教員免許も持っていて、教員も語学の講師もしましたが、なんかしっくりこなくて辞めてマカオに行ってしまいました。
なぜしっくりこなかったか。
それは上達方法を教えてもその通りに実行しないために上達しない人が多すぎるから。
そこを工夫するのが教師だろと思っていたので、そこにモチベーションを持てない私はきっと教える仕事が向いてないんだろうなと思っていました。
そんな理由を抱えていたので、よくマカオでも「中国語教えて~」というリクエストをいただいてましたが、単価を釣り上げて断ってました笑
でも、人生経験を経て今はちょっと考え方が変わりました。
それは人が「何かを学びたい」って思った時の動機を無視していたからこういうことになったのではないかということです。
例えば高校で教員をしていた時生徒たちの動機は明確でした。
テストで点数をとりたいのです。
もちろんそれをあきらめてしまってふわーっと授業に参加している子もいましたが、半分の生徒ちゃんたちの動機が一致していれば、教師からするとそれはやりやすいんです。だって、もうとにかく論理的にわかりやすく。何がテストに出て何が答えかをちゃんと教えてあげれば生徒は満足。結果も出る!
ということで、一番私のやる気を削いだのがいわゆる町の「中国語学校」です。
ここにはいろんな動機を持った人がごちゃまぜにいます。
中国に旅行をするのが好きで、以前言った時うまく自分の意志が伝えられず悔し思いをしたからサバイバル中国語を話したい。
今大好きな人の母語が中国語だ、だからいろんな感情を中国語で表現したい。
会社で中国市場の展開が決まっていて、駐在員として名乗りを上げたいから仕事で中国語が使えることをアピールしたい。
単なる資格マニアで勉強している自分が好き。
もうこうなるとクラスのエネルギーってバラバラなんです。純粋に学ぶ人もいれば、自分の知っている知識をクラスでひけらかして満足気にしている人もいて・・・
動機が違えば勉強の仕方、その目的の達成方法が全然違うのに、とりあえず「中国語」というキーワードだけで人を集めるとみんなにとって非合理的なことになります。
だから今は語学を勉強する人は「今なぜこの言語を勉強しているか」を明確にすることがすごく大切だと思います。
今は私が中国語講師をしてた頃よりずっとテクノロジーが進んで、昔の集合研修タイプの勉強以外にいろんな方法があります。このブログではそれぞれの目的に合ったツールなども紹介して、昔ならひとまとめにされてた皆さんが自分に合ったスタイルを見つけられるような情報を提供できればと思います。
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