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★【自画自“評”】私が描いてきた絵を紹介してみます

私は中学・高校・大学と美術系の部活・サークルに所属していました。また、幼稚園や小学生の頃も絵画教室に通っていたので、人生の大半で絵を描くということに触れてきました。

中学までは風景画などを、並行して中学の頃から徐々にアニメ調の、いわゆる萌えキャラ的なデフォルメで人間を中心に描くようになっていきました。

大学に入ってからは社会学などの勉強にのめり込み、また折からのストレスフルな生活が幸い(災い?)し、自分の気持ちや不満、怒りなどを絵にぶつけるようになりました。

最近ではそうした気持ちなどはnoteや読書記録などに認めることで、絵は描かなくなってしまいましたが、また描きたいなと思っている今日この頃です。

大学以降の絵はインスタ、Twitter、pixivなどに載せたり、大学内・複数校の合同展で展示してきました。そしてそれをもっと多くの人に見せたいのと、描いた狙いやそこに含めた思いを紹介したいので、noteで何回かに分けて自画自“評”していきたいと思います。

1.ある程度素直

ある程度素直2

自分で描いた絵の中で一番のお気に入りです。

私はデジタルイラストを描くときにCLIP STUDIO PAINTを使用しているのですが、これの「デコレーション」のツールが非常に便利なのです。背景の蝶と花のような模様はこれを使用しています。一から描くのはメンドクサイので…

また私は文字や記号、定規を用いた線などを多用するので、卑怯だのなんだの思われてもおかしくないかもしれません。

もともとこの絵を描く直前、私が所属していた美術研究会(当時4年生)に後輩として入ってきた女の子(1年生)と、美術に関する論争をしていました。

その時私が話した、文字で説明を入れた絵のことを、彼女は「それは絵とは呼べない」と真っ向から否定。私にとっては絵の定義がこれといってないので別にいいのではないかと、彼女にとってもそれがどうして絵と呼べないのかを明確には説明できてはいませんでしたが、でもそれは違う、という思いがあったみたいです。ただ、彼女の意見はおそらく大多数の人に賛同されるでしょう。

何はともあれ、私は説明くさい絵を描きたくなったので描きました。御法度と思われようとも素直に(というかわざと)文字や記号を多用したので、作品タイトルは「ある程度素直」です。どうして「ある程度」と付けたかは覚えていません。語感で付けたのたかもしれません。

ちなみに、この絵を描いた時は欅坂46(現 櫻坂46)の鈴本美愉さん(卒業済み)を推していたので、インスピレーションを受けている可能性があります。


2.My Super Idol

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これもお気に入りです。

この絵にはこれといって意味がありません。私の描く絵は大抵、訴えたいことを伝えるために描く絵と、私がただ単に見てみたいものを投入した絵の2種類です。この二つはコインの裏表というよりも、白と黒のように、グラデーションのように混ざりながら、極端なものもあれば両方合わさったようなものもあります。そう言う意味では、この絵は訴えたいことがあるのを白とした時の、完全な黒です。

服の色と髪の色が『ある程度素直』と真逆になっているので、おそらく好きな色なんでしょう。あと三白眼も好きです。

背景は昔の男子トイレのような濃い青のタイルで、端っこはカビている感じにしました。また、床と背後の文字は血文字のような乱暴な赤の表現としましたが、今見るともっと濃くしても良かった気がします。

左手にワインボトルを持たせてます。大酒飲みの女の子に萌えを感じるからでしょうね。


3.どれだけ気持ち悪くても、普通でいるより圧倒的にマシ

どれだけ気持ち悪くても、普通でいるより圧倒的にマシ3

『My Super Idol』で使ったタイル張りの背景に味をしめて、こちらの絵でも用いています。

納豆を描いたのは完全な思いつきでしたが、これが後輩に絶賛されました(といっても1人だけですが…)。

あとは傷やよだれとかも含め、気持ち悪い要素を用いています。この絵は先ほどの白と黒の喩えで言うとグレー、つまり訴えたいこと(=作品タイトルでもある、「どれだけ気持ち悪くても、普通でいるより圧倒的にマシ」ということ)と見たいもの(=こういう女の子と背景などの色味の組み合わせ)を両立したものになります。

この絵を描いた頃は、「見た目に不快になるもの」と「長ったらしいタイトル」がマイブームで、他にも同じような特徴を持つ絵がいくつかあります。

ところで私は気持ち悪い絵を描くのが好きなのですが、はずかしながら最近になって、「表現の自由には責任が伴う」ということを覚えました。『美味しんぼ』のニコニコ大百科のスレッドにて度々出てくる意見です。

要は何を描いても自由だけど、それを描いたことによって起きる責任も取れなければならない、ということです。

私も絵を描いていた時はなんでもありの絵を描いていましたし、見た人の大半が不快になっても、けれども一部の人にだけ刺さるものが描ければいいなと思っていました。

なので私は、自分の絵のスタンスを明確にするということで、その責任としたいと思います。それは、「最低、最悪、ひどいと思われる感情を持つ人の気晴らしになってもらいたい」ということです。

感じてはいけないこと、抱いてはいけない思いをもって抑圧されていると感じる人に私の絵が目に止まって、ちょっとスッキリしてもらえたり、あるいはその人独自の発散方法のヒントになってもらえればいいなと思っています。アメリカのトランプ大統領が何にも臆せずズバズバものをいうことで、支持者がスカッとするみたいな、そんな感じになってくれれば嬉しいです。


今回はここまでとします。またいずれ紹介します。

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