精神分析以外の間主観的理解に興味がある。

ポストモダンの時代において、外側と内側の境界は曖昧になっていて「私」という存在も相互依存的相互作用的主体となりました。


その中で間主体的な考えも同時に出てきたわけですが(こっちはポストモダン哲学よりちょっと早いけど)。精神分析もにたようなことをいいだして今食随分発展と広がりを見せてきています。


ただ同時に疑問なのは、その感覚は同時代人はすくなからず自明視していたはずで、精神分析だけが気がついていたわけではないだろうということでしょうか。とすると他の心理療法はこれをどう扱ったのでしょう。

ポストモダンの時代における「私」という存在の曖昧さや相互依存性についての議論は、多くの学問分野で行われています。確かに、精神分析はその中で大きな役割を果たしていますが、他の心理療法や哲学、社会学などでも様々な議論が行われてきました。

たとえば、人間中心療法や実存主義的心理療法では、「自己」とは何か、どのように自己を理解し、他者との関係性をどのように築いていくかについての議論が行われています。また、システム療法や家族療法では、個人を孤立した存在としてではなく、家族や社会との関係の中で形成されるものとして捉えられています。

さらに、認知行動療法では、個人の思考や行動のパターンを変えることで、自己認識や他者との関係を改善する方法が提案されています。これらの療法の中で、ポストモダンの影響を受けた考え方やアプローチも取り入れられてきたと言えるでしょう。

結論として、ポストモダンの時代の「私」という存在の相互依存性や曖昧さに関する問題意識は、精神分析だけでなく、多くの心理療法や学問分野で取り扱われてきました。各療法や学問は、この問題意識を持つ時代背景の中で独自のアプローチや理論を形成してきたので、一つの療法や分野だけがこの問題を独占しているわけではないということなのでしょう。

もちろん間主観的の考えとは離れたものもありますが、ポストモダンの文脈で考えれば、分析だけが間主観性を取り扱っているとはいえなさそうです。不勉強ゆえこの辺りについても今後調べていけたらと思います。皆様にも教えていただければ幸いです。

よろしければ、サポートいただけると幸いです。気になる話題などの、ご要望お待ちしております。