畢竟、論文やレポートとは
畢竟、論文やレポートとは、自分の伝えたいこと、伝えるべきことを受け手視点で考えることができるか。これが肝なのだろう。
大学での授業が始まる前に論文の基礎知識を学んでおこうと思い、2つの書籍を選択して学習を始めている。そのうちのひとつは『ことばと表現』という書籍だ。
他の類似書籍に手を付けているわけではないのであくまで感覚だが、芸術系出版社の発行というだけあって、論文でありレポートといったものは表現活動という芸術である、という視点を感じる点が散見され、私の現業も創造分野であることから、とても相性が良いと感じている。
途中まで手を付けたところで、言語化をしたくなった学修があったので、ここに記しておこう。
論文でありレポートとはつまるところ、自己満足ではなく読み手側の心の動静を考慮した他者満足を得ながら、自らの伝えたいこと、伝えるべきことが記されているということが肝であり、表現とはそれらを満たすために用いられるべきだということ。その感覚が正しいものであるのか否かは現時点では判断できないが、今後さらに学修を進めていく上で都度確認していこうと思うが、左程差異は無いのではと想像している。
社会人として相手に伝わる文章というのは、日々心掛けているつもりでも、学びを経ていない私は自己流の範囲を超えることはない。折角の機会なので、一般的・常識的・通例的という新しい土を入れて基礎を耕し、自分らしい表現という建物を新築していければよいと考えている。
畢竟、論文やレポートとは、自分の伝えたいこと、伝えるべきことを受け手視点で考えることができるか。受け手にとってより魅力的で伝播性の高い表現の伴った文章を書けるように、再び学びを進めていこう。
最後に、ブログということであれば実際はこのような堅苦しい論調、論文・レポート形式よりは、もう少し砕けたほうが受け手を考えた体裁だと考えるのだが、ここは五十路にして大学生、目指すは弁護士という目標であったり、大学での学修を言語化して記録していく場なので、敢えて論調はこのような堅苦しい体裁で統一、訓練の一環としても位置付けていく。
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