キーウィ伝(複数の記述より)
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何から書けば良いのかわからない。こんな感覚はあんまり無いな。いつもは構成ノートも無しに書き出そうと思えばなんだって書けるんだ。それが一辺倒に良いことっていうわけじゃないんだけど、語り始めようと思ってつっかえるのは慣れない感覚だ。紙の向こう、画面の向こうの人へ。
それじゃあ何から書こうか。まずは私がいつも手元に置いている小さいノートのこと。百円ショップで買った小さい青いノートに思ったことをその都度書いてる。ラクガキとかがいっぱいある。だからなんだっていう話なんですが。嫌だなあ。文章を書くのが下手になってしまったみたい。こういう独り言みたいなものをノートに書いてる。私はその習慣が文章力の低下を起こしたんじゃないかと自分で睨んでいるんだけども……。なんでもすぐ文章にしてしまうのってひょっとして下品なんじゃないか?文章に対する冒涜なんじゃないか?まあどちらでも知ったことではない。私は小説家じゃないし。さて、じゃあ私はなんなんだろう。分からなくなってきた。酔っ払ったみたいな感覚。足元がなくなったような……。自分を疑った時に起こる反作用を感じない不思議な感覚。分かりますか?このところずっと頭がボーっとするんだ。夢に似た感覚。自分の歴史が分からなくなる感覚。日常で自分が何か分からなくなるタイミングってあんまり無い。いや、以前はあまり無かった。風景の夢を見た時、過去のことを思い出した時、抗不安薬を飲んだ時。薬を飲むようになったから頻度が格段に増えた。何が楽しいのか分からない、いたく空虚な感情になって、目の焦点が合わないくらいボーっとしてしまう時、逆に暴れて大声を出し喚きたくなる時、瞬きをするのさえも億劫になってしまう極度の無気力がある時、周りの誰もが自分を嫌っていると感じる時、死が最適解に思える時などに抗不安薬を飲む。辛さが強いほど効果も強くなっているように感じる。こうした強い不安感や倦怠感は薬によって30分ほどで力を失い始める。ゆで卵の殻が取れるみたいにするりと身軽になるんだ。楽になるのを実感しつつ、自分で考え感じていると思っていた感情(それまでの自我)が嘘だったり悪役かのように自覚できるのが空恐ろしいのだ。自分だと思っていたものはほんの30分の時間をかけて自分から乖離し悪役になる。それでは薬を飲んだ後の自分ははたして作り物でないと言えるのだろうか?第一、自我や思考というものが単なる物質的なものだということがそもそも怖い。感情とはただの電気信号なのか。ホルモンバランスによって人間の気性は激しく変化する。私が乗っていると思っていたこの乗り物は操縦しているように見えて、勝手に動き進路を決めているのか。
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地下鉄に乗ってここまで書いて気づいたら最寄駅に着いていた。危うく降り過ごすところだった。すみませんと周りの乗客に謝りながら降りる。下を見ているその視線の先、ホームと停車している車両のスキマになにか茶色いものが挟まっているのが見えた。なんだろう。毛質のものであることは分かった。乗客は完全に降りきる。ホームを歩く人々の靴が鳴らす音。毛質のものが気になって眺めていると「ホームドアから離れてください」というアナウンスが聞こえる。おそらく私に向けたものだろう。そんなに熱心に気になる必要も無かったのだ。車内の乗客も一心に地面を見つめている私のことを不思議に見ているだろうか。もう一度、今度は苛立ち紛れに「ホームドアから離れてください」というアナウンスが聞こえる。早く関心を失わなければならない。一度ぼんやり興味を持ってしまってそれを引き剥がすのが難しい時がある。惹きつけられたように瞬きもせずそれを見た。駅に鳴る様々な音が反響する。slowdive
みたいだ。その丸い残響の中で一際高い音が響く。発車の合図だろう。何かを言っているようなアナウンスが聞こえる。早く凝視をやめなければいけない。動けなくなるという私の不安の症状がひどいタイミングで出ている気がした。まずい。なんとしても凝視をやめて動かなければいけない。次第に頭が働かなくなっていく。外界は混迷を極める。水の中に沈んでいくような愚鈍なぬるさ。環境音が一つにまとまって包括されたぼやけた曲になる。三半規管のブレ?水の中にいるようなぼーっとした感覚。瞬きができない。視界が眩しい。苦しくなって、呼吸が止まっていることに気がついた。そして、「不安の症状かもしれない」と客観視できたことによって膠着が解けた。勇気を出して力を指先にやり、脳で指示を出した。私はほんの先の脳の映像を追いながら勢いよく屈み、茶色いそれをむんずと掴んで小走りで電車から離れた。直後甲高い発車音が響きホームドアがしまった。実際にはそれほど長い時間ではないのだろうがきっと多量のアドレナリンが出たのだろう。睡眠のように長い凝視だった。
茶色のそれはもぞもぞと私の手の中で動いた。結構力が強い。遠くからモフモフしていそうに見えた毛は実際にはゴワゴワしていて動くタワシのようだ。逃がさないように抱え込んでいる両手をみると、茶色のそれはモグラだった。ここから私の罪の告白。
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薬局を出てエレベーターを下る。郵便の制服を着た男の人が一緒に乗り込む。軽く会釈をされる。薬の入ったビニール袋を軽く振ってカサカサいわせる。一階について、コンビニの裏の隠し扉みたいになっているホールからコンビニ店内を抜ける。そうすると商店街に出る。ちょうど真向かい、目線の先にドーナツ屋さんがある。迷いもなく、プロミングされたロボットのように真っ直ぐ、するするとドーナツ屋さんのドアに手をかける。甘いものはやめられない。砂糖依存という言葉を知った。どう考えても私はそれに該当している。躁鬱とかいうもの……。最近は甘いもの以外が喉を通らなくなった。人、(ごく僅かにいる信頼できる人)と飲み食いする時には平気なのだが、どうも甘味以外を摂取すると吐き気がする。食欲自体はある。卵が先かニワトリが先か。精神状態がすぐれないため吐き気を催すのか。それとも吐き気を催し甘味だけを摂取するため栄養不足、メンタルの不調が起きているのか。どちらにせよ負の連鎖が起きていることは間違いない。食事に関して言えば。
以前見かけて食べたいと思っていた、丸いホイップが内蔵されているドーナツを買った。上に空いたヘソから生クリームがちょんとはみ出ているのがかわいい。一つくださいと言って、200円弱払った。店員のお姉さんが紙袋にドーナツを入れてくれる。そのヤワな荷物を受け取ってベンチに座る。機嫌は良い。二ヶ月も大荷物に抱えてきた希死念慮をどうにかするため、今日はとうとう精神科に罹った。久しぶりに家から出た。診察も雰囲気が良くて、薬をもらった。良くなるかは知らないけれど、行動をできたというのが嬉しい。小さい記念日のような気分だ。ドーナツを一つ買ってしまう程度。馬鹿笑いするカップルが歩いている。人が笑っていると思う。すごいと思った。ドーナツを食べた。想像の味とは少し違った。ホイップは固くて、生地はしょっぱい。あまり大きな意味を持たなかった。
しばらく座って、ようやく動けるようになってきた。最近はどうも異常に疲れやすい。15分くらい歩いて二時間くらい休んでしまうこともある。お医者さんは、脳みそがずっとものすごい速さで空回りしているんだと言っていた。かわいそう。くるくる空回りしている脳みそを考えていたら、ハムスターが滑車を回す光景が頭に浮かんできた。なるほど、マヌケだなと思った。授業にも出ず、家からもでず、それを楽しんでいるわけでもなく、ただ在る不安に耐えているだけの無意味で乾燥した日々。そこには時間もない。マヌケでボンクラ。私にお似合いの私のマヌケな脳みそ。好きや素敵だと微塵も思わない。滑車を回すハムスター。滑車を回さないハムスター。負の連鎖。ここら辺でよそう。薬を飲んで、良くなるかもしれないじゃあないか。
ようやく座っていることに飽きられて、ふらふら歩き出す。目的がない人特有の足取り、目線。クリスマスに向けた、申し訳程度の飾り付け。平日の昼間。柄の悪そうなアベック、楽しそうな笑い声。その中でフラフラ歩くのは逆に楽しい。少し自分に酔って歩いていると、知った顔を見つけた。向こうにも見つかったらしい。すぐにこちらに向かってくる。でも何でだろう?奴は隣の県の大学に進学した。地元の人に会うよりかは不思議ではないが、たまたま会ったのだとしたらそこそこの確率の偶然だ。
「おー久しぶり」
そいつは相変わらず目の合わない、挙動不審な喋り方で挨拶をしてきた。そこそこの確率の偶然を驚いていない感じも奴らしい。いつもだったらニヤリくらいは笑えたかもしれないが、ここ二ヶ月はどうも両頬が重く稼働しない。あんまり会いたくなかった。奴のことは好きだしもちろん友達だが、引きこもって毎日泣いたりするような私には気分を上げるのが億劫で億劫で仕方がないのだ。一方奴はそういった私の気分の差を微塵も気にしない。
「あのさこれ」と言ってゴソゴソリュックを漁り始める。こいつは何なのだ。厚手の巾着袋を取り出し押し付けるように渡してくる。
「これ、渡したかったんだよね。好きって言ってなかったっけ。」
相変わらずごにょごにょしていて聞きづらい。何だか良くわからないが、とにかく厚手の巾着袋を受け取った。生温かいなにかが内部で動いているのを感じる。ぎょっとした。
「よかった。たまたま会えて。用事あるから行かなくちゃなんだけど。じゃあね。」と言って一方的にやつは歩き出した。なにも反応できない。とんでもない奴だ。高校二年生のとき一度奴と神保町に行ったことがあったけれど、その時も大変だった。奴は写真が趣味で、特に給水タンクの熱心なオタクだった。神保町の古いビルの屋上をじろじろ見て、あれは珍しいとか言って勝手にフラフラ屋上に不法侵入をし写真を撮って戻ってくる。私は私で古本にしか興味がないので、じろじろ見上げてばかりの人とじろじろ俯いてばかりの人の二人組になっていた。はたから見ていたら奇妙だっただろう。奴は自閉症らしい。そう言っていた。普段は無口だが突飛な行動が面白く仲が良い。だが今回はいかがなものか。この巾着袋はなんなのか。明らかに動いている。生物だろう。どうして生物を巾着袋に入れているのか。生物って袋に入れて良いのか?でも有袋類っているしな。その場で開けるのはなんとなく良くない気がした。なんとなく疲れていたのでその荷物を両手で抱えて、今日はもうそのまま家に帰ることにする。
家に帰る間巾着袋はもぞもぞ動いていた。両手のひらでちょうど覆えるくらいのサイズ。生暖かい。冷たく硬い部分もある。恐ろしい。奴はいったいなにを渡してくれてしまったのか。巾着袋を両手で抱えているため、ビニール袋が風に揺れてカサカサ音を立てる。なんとなく人目を気にしながら、とはいえ平日の昼間なので誰にも見つからず家に着く。開けたい好奇心を抑え手を洗う。やや荒廃した部屋。机にたくさんの空のペットボトルと空き瓶。来客用の敷布団が汚い。脱いだ服がいくつかベッドの上にそのままにしてある。ゴミが溜まっている。敷布団の上にほうった巾着袋が一人でにモゾモゾ動く。やや汚い部屋に嫌気がさしながらも好奇心に負け巾着袋を開ける。茶色い毛箒みたいな物体。抵抗なのか協力なのかモゾモゾを最大限にしている。やっとのことで毛玉を出すと大きい硬いものがつっかえる。それがクチバシだと気づくと同時に、巾着袋の中身がキーウィなのだと分かった。袋を出たキーウィは状況を理解できずパニックになったように横になった状態でジタバタしている。私は血の気が引く。キーウィって絶滅危惧種なのではなかったっけ。ニュージーランドの国外に出しちゃダメなんじゃ……。日本には唯一天王寺動物園にいるんだっけ……。バレたら捕まるんだろうか?自分からすすんで飼育したわけではないけれど、大麻なんかも所持だけでも犯罪だし。頭が真っ白になった。とりあえず嘴をヒモで縛られていたのがどうもかわいそうだったので安い同情でヒモを解いた。キーウィは電子音みたいに鳴いた。その思いの外の音量に頭がいたくなる。近所にバレたらまずい。どうしたら良いのか分からない。泣いてる赤子が頭をよぎったので、とりあえずエサをやろうと思い立った。キーウィを脇に抱き、嘴を片手で握りしめた。キーウィが抵抗する。キーウィがなにを食べるのか知らない。そのとき悪い考えが思い立った。法に怯えながら、自分から手を染めたわけでもない犯罪に怯えながらコイツを飼育する意味があるのか?つまり、コイツを殺してしまえば……。いや、絶滅危惧種の殺傷の方が問題なのではないか。それに大前提、私はキーウィが好きなのだ。命を奪うこともあんまりしたくない。食肉なんかはするけれども……。それとこれとは別だ。私の倫理では、人間も食物連鎖にはいっているのだから食肉は哺乳類ぜんとして必須であって、そのためにヒトが進化させてきた脳を使う現代の食肉文化は正しいと思う……。いや、そんなことはどうでもいいんだ。とりあえずキーウィにはリンゴをやった。丸々だと食べれなさそうだったので切ってやった。飛べないことが幸いで、腕から解放されたキーウィはシンクの中に入ってじっとしていた。リンゴを嘴の前にやってから足元にやると意外と従順に食べた。それから私がキーウィを隠して飼う生活が始まった。渡してきた例の友達とは以来連絡が取れていない……。
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なんでこんなに重要なキーウィの記述を隠していたのか。それはキーウィとの不思議な別れにある。率直に言うと、キーウィと出会ってからの数ヶ月私はこの子を殺そうと企んだことが何回かあった。罪の意識によるものと、あとはキーウィによって私生活が制限されることにあった。キーウィがいることを隠し通さなければいけない。キーウィが鳴き声をあげようものなら急いでエサをやったり撫でたり、喋らない生物の制御をするのは本当に難しかった。キーウィがいることによって出来ないことが増えていった。人付き合いが悪くなった。自室にいても常に気を張って面倒をみなければいけないのは気付かないうちに疲労として蓄積された。僅かな外出でも部屋のキーウィのことが気がかりでしょうがなくなっていた。キーウィは基本的におとなしかったが、もし鳴き声をあげていたら……。だんだん大学に通うことも困難になっていた。一度行けなくなったら心理的な負担が雪だるま式に大きくなって戻るのが難しかった。そういった生活を過ごしておよそ二ヶ月たった頃。この可愛い生物を、私がすすんで飼育し始めたわけでない罪の塊を、消してしまおうと考えた。決心したその週の精神科帰りにドーナツ屋さんに寄った。それは習慣になっていた。クリームのたっぷり入っている例の丸いドーナツを二つ買って、やっぱり紙袋を丁寧に抱えて帰った。その間もキーウィのことばかりを考えていた。キーウィにドーナツを食べさせる……。人間のスイーツはきっとキーウィには毒だろう。刺し殺したりするのはさすがにムリだ。なによりトラウマになりそうだし。いまも家で鳴き声をあげていないだろうか。近所にバレていないだろうか。怯えながら早足で帰った。
不思議なのはここからだ。キーウィはいなくなってしまっていた。ベッドの下を探しても風呂場を探しても戸棚を探してもどこにもいない。キーウィの足がフローリングを蹴ってなるカチカチという音も、いつもこのくらいになってあげる鳴き声もない。家は当然万全に戸締まりしているからどこかに出ていったとも考えられない。本当にどこにもいなくなってしまった。頭が空っぽになった。喜びも悲しみもない。ただ信じられないという強いショックだけがあった。心のトンネルを強い風が吹いてるような気分……。唖然として何も考えられなくなった私は、頭が回らないまま警察に電話した。そこからのことはいわずもがな。「違法に飼っていたキーウィがどこにもいなくなった。」というバカバカしい通報を受けた警察は、まっすぐ私の通ってる精神科に電話をいれ、ただイレギュラーな診察日が増え、薬が増えただけだった。
この一連の事件から自分の過ごした数ヶ月に自信が持てずどこまでが本当でどこからが幻か分かっていない状況である。サンタの正体を論理的に悟る子供のように夢から醒めたような正気をもちつつ、キーウィを抱いていたときの確かな手触りも確かに残っているのだった……。自我を、一人称を疑い始めたのはそのときが始めてである。
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モグラの手触りがキーウィを思い出させた。医者にも幻覚だと言われ、忘れるようにしていた数ヶ月間の出来事だった。思えば、生活がおかしくなっていったのもキーウィとの同居からではないか。幻だったんだろうか?私の脳ミソはそんなにも信頼に足らないものになっているんだろうか。凝視してつかみとったモグラを放り投げた。どうせこれも幻なんだろう……。知らないよ。私には何も分からない。放り出されたモグラは線路内に落っこちた。幻であろうとなかろうと、もう家に持って帰るなんていう自己破滅行動はしない。モグラのことを忘れて家に帰ろう。いや、なぜそもそも家に帰らなければならないのか。問題はそこだったのではないか。キーウィが幻か幻じゃないかはどちらにせよ、私はここ数ヶ月病院以外に外出できなくなっている。キーウィがいなくなってからもそれは
変わらなかった。また家に帰ったら病的なこの生活を繰り返すだけだ。時間を過ごすことだけを念頭に置き、何も活動しないそういった生活に意味はあるのか。帰りたくない。こんな生活を続けていたいとは到底思えない。正直もうとうに限界を超えていた。体が勝手に動いた。熱を出したみたいな浮かぶような足取り。めまいがする。ホームドアに手を掛け、それを乗り越えた。地下鉄線路のなかに転がり込む。モグラはどこにいったのかいなくなっていた。幻か。 ひょっとしたらモグラは私なのかも知れない。モグラってエサを探すために穴を掘るんだけれど、穴を掘るためには常にエサを食べ続けなきゃいけない。だからエサを探し続けなきゃいけない。これって変だ。生命維持を目的に活動時間の全てを使うって。初めから居ないのとどこが差?だいたい、生命維持を目的に生きてるのってなんか変だ。私も同じで、私もモグラなんだ。家でなくて地下にいられたら。地上は、日光は私にはすこし眩しかったか。正解が分かったような、スッキリした気分になった。頭も澄んで楽になってゆく。ふらつく足取りで地下鉄のトンネルのより暗いほうに歩き出す。視界が妙に揺れ、呼吸がうるさい。頭が痛い。暗くなってゆく。
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以上のこれらの文章を書いたユーザーですが、行方を眩ましたまま6ヶ月経った現在まで見つかっていません。noteの下書きより。
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