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018 生きものと作者とわたし

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 どうも、シタシマです.年の瀬ですね、早すぎていろいろ追いついておりません.

 きのう友人と2人で青森県の十和田と八戸に行ってきました.今日から何回かは青森小旅行でのいろいろをnoteで共有していこうと思います.

 十和田市現代美術館にて、
企画展「Significant Otherness生きものと私が出会うとき」
を見てきました.AKI INOMATA氏の個展で、動物と人間の関係を見直すような作品を作られる方のようです.展示はどれも、生き物との強い関わりを持ったものです.様々な色の布を身にまとうミノムシや、都市を模した彫刻の乗った透明な殻を背負うヤドカリなどの生き物自体もセットで展示物になっているものから、絶滅してしまった馬の骨格に氷で肉付けした作品など様々でした.見る前は、人間とその他の生き物の境界があいまいになって、どこまでが人の手でどこまでが自然なのかを伝えるものなのかと、なんとなく考えていたのですが、そうではありませんでした.あくまで人間と生き物は明確に区切られており、その両者の結びつき方を新たに示してくれるような作品たちでした.そういう作品を見ながら考えたことがありましたので、いかに書きます.

なんだかふしぎな作者と作品の関係

 これらの作品群を見て、作品と作者の関係が従来の芸術作品と異なると感じました.例えば絵画では、画家がキャンバスの上に絵を描くという行為の中ですでに作家と作品は分かれていますし、鑑賞する立場の人はその絵画からメッセージや作家の雰囲気を感じたりすると思います.つまり作者と作品がはっきりと分かれていることが言えます.

 一方でAKI INOMATA氏の作品では、彼女の制作したものをまず生き物が触れ、それをぼくらが鑑賞する形をとります.作品の1つである『やどかりに「やど」をわたしてみる』では、INOMATA氏の作ったやどを、やどかりが背負う様子をぼくたちが見ます.このときINOMATA氏が作ったものは「やど」ですし、それを見ているのは「ぼくたち」なのですが、間に必ずやどかりがいないと成立しません.そのため自然に「やどを背負うやどかり」を作品としてみることになります.作品と生きものが分かちがたい結びつきを持っており、それをごく普通にぼくが受け取られたというもの新鮮で興味深かったです.

 また別の作品『彫刻のつくりかた』では、ビーバが削った木を彫刻に見立て、それを展示した作品がありました.そこではビーバーの削った木と、その木を模して人間が同じように削りだした大きめの木が同時に展示されているのですが、それはヤドカリのときと全く別の手続きで作られています.生きものの削った木に倣って人の削った木をぼくたちが見る.要するに作者→生きもの→見る人だったのが、生きもの→作者→見る人という順番に変わっていることになります.そうした変化もすごく面白く感じられ、ぼくはビーバーの作品がお気に入りです(単純にビーバーかわいいし).

やっぱり歴史知ったほうがいい

 ここまで素直な感想を述べてみましたが、正直芸術も不勉強でほとんど知識がありません.もし美術史をざっとでも頭に入れると、作品と作者の関係についてもわかることがたくさんありそうです.またここでの作者という言葉は表現者やアーティストに近い雰囲気で言っているのですが、従来の画家や彫刻家、彫刻家といったものとアーティストのすみわけがどのように起こったのかも、過去にヒントがたくさんありそうです.
 わからないでも十分楽しかったので、視点が増えたらもっと楽しくなると思うと勉強しない手はないですね.

 生きものと人間ははっきり分かれていると言ったのにもかかわらず、作品として見ようとすると生きものの立ち位置が不明瞭になる.わかったようでわからない感じがなんとも言えません.生きものを含めた作品の新鮮な面白さと、歴史の知識の重要性を感じた十和田美術館でした.今後も何回か青森関連の記事を書きますので、ふらっと見ていただけたら嬉しいです.

ではまた.


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