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009 「当たり前」の水準を上げる

 こんばんはー、シタシマです.調子はいかがでしょうか.ぼくは浜松・東京から帰ってきまして、足がバキバキです.夜行バスは慣れますが、できれば避けたいものです.

 今回の遠出の目的は浜松でセミナーを聞くことだったのですが、その翌日にも、とあるイベントに参加してきまして秋田にいるのでは得られない刺激を受けたので、今日はそのお話をします.

 そのイベントというのは、学生(高校生から大学院生まで)によるグループディスカッションをし、社会問題について考えさせるというような趣旨のものでした.主催者側のうたう参加する意義として、基礎知識の習得、グループディスカッションの体験、他学校の学生との交流という3点が挙げられていました.
 では実際どうだったか.実をいうと、なんとびっくり開催されなかったんですよ.これnoteに書いていいか怪しい部分もあるのですが、主催者側の手違いがあったようで、誰も担当の方が来られなかったんです.ぼくを含め、参加者たちも、最初は違和感を感じていましたが、もう途中からは来ないと割り切り談笑タイムになりました.ただ実はこの談笑タイムが、とても実りあるものだったのです.

 参加者の学生のみなさんは、専攻もイベントの参加理由も様々だったのですが、話をしていくうちに気づいた共通点が2つありました.

1.専門以外の知識をよく知っていること
2.将来のビジョンをある程度もち、そのために学外で動いていること

です.ある人は大学で人工知能を学ばれているのですが、4つの働き方
(E・S・B・I)についてパパっと説明してくれたり(詳細は、これが載っている本のリンクを貼るのみとします)、薬学部の方のお話に、薬学が専門外の方が付いていけていたりと、なんだか別世界のようでした.
 また別の学生の方は2拠点活動を行っているという話を聞かせてくれました.曰く、東京出身だったが地方の楽しさに気づき、その魅力を発信したい、と.そのための実践だそうです.そして、ぼくにも聞いてくれるんですよ.「なにか将来考えていることはありますか」と.そして「そのために今から何ができるでしょうね」と続きます.

 先ほどぼくは「専門がこうなのに専門外の知識も知っている」という書き方をしたのですが、おそらく当人たちからすれば、それって当然のことだろうとおもうんです.またぼくにいろいろ質問をしてくれた人も、自分がそういう思考と実践を繰り返しているからぼく同じ土俵にあげて話をしてくれただろうと考えます.「なのに」ではなく「だからこそ」で考えているのだろうなというのが、すごく伝わってきました.

 つまり張っているアンテナと、それをさらに別のかたちに昇華させる頻度が、圧倒的な差を生んでいることに気が付きました.それには「自分のいる環境」と「自身の意識」の2つが大きく関わると思っています.ここでぼくは「意識を変える」ことが今できることです.具体的には、「当たり前」を徐々に積み上げていくことかな、と.

 今回は、ぼくが専門分野の知識もままならないまま、いかに閉じてしまっていたか.再確認する良い機会でした.ただこういうイベントなどでの気づきというのは、聞いた直後がピークでそれ以降どんどん追いやられていってしまう感じがしますので、なんとかこうして今文章を書いているのですが、すぐにでも行動に移せることは始めていきたいと思います.

ではまた.

 

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