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012 知的な背伸びがしたい

どうもどうも、シタシマです.今日も短めですが書きますね.

 『ホンモノの思考力』という本を父からもらったのですが、その書籍の一節に

人前で知性を示すのはぶしつけだ、あるいは、はしたないと思ってきたことも、日本に独創的知性が育ちにくかった原因だろう(中略)背のびをして難しい本を読んだり、専門書が理解できるふりをしようとしない.むしろ、それはもっとも下品なこととされている.知的な見栄を張ることが、みっともないこととされている.

とありました.ぼくの中にも、この気持ちが邪魔をしてしまうことが多々あります.自分に知識がないことを理由に質問や議論をうやむやにする場面がおおくありました.今noteを書いているのだって、もっとできる人や実績のある人が書けば、そっちのほうが読まれるじゃないとか思わないでもありません.しかし実際どうあるべきかを考えてみれば、背伸び大歓迎が自然で、それでこそ知力が向上するのではないかと思うんですね、著者の言う通り.
 先日仙台にて中山英之氏の講演を拝聴したのですが、中山氏は予備校時代に同期が話しているよくわからない映画や音楽を、話に参加したいからと見ふけったといいます.大学だって本来なら見栄を張って、おおいに議論をすべきなのではと思います.映画『コクリコ坂から』のカルチェラタンでは、学問に心酔した学生たちがここぞとばかりに新入生を勧誘していて、熱気すごいなと思ったことを覚えています(実際どうかは存じ上げません).ちなみにぼくはガタイの良い哲学研究部の彼が好きです.

 以前、ぼくのnoteを見てくれた方から「ネット上でも自分以外の他の人のことは案外見ていないもの」という言葉をいただきました.また同じころに同様の趣旨のnoteの記事を見かけました.だからこそなんですよね、見られていないなら余計にさらしてどんどん書いていけばいいじゃないと、理解しづらい本も読んでnoteにまとめればいいじゃないと.改めて考えさせられました.

 最後に1つ.ぼくが「背伸びしていると思われているんじゃないか」と思っているということは、ぼくが人に対して同じことを思っていることでもあるわけで、そっちのほうが注意したほうが良いよなあと.こんな気持ちでは有益な話し合いはできないでしょうから.器の大きい人になりたいです.

 そして早速、哲学の本を手に取ってみて、冒頭から自分の学力との差に打ちひしがれております.背伸びをするのにも、それなりに筋肉がいるようです.

ではまた.

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